負け犬の遠吠え
──自分のことを好きでいてくれる女の子のことを、ぼくは別に嫌いじゃない。どちらかというと好きだと思う。ラブではないが、ライクの方で。
しかし港未来のこの考えは、女子からすると理解に苦しむ考え方らしい。
好きでもない男に好意を寄せられるというのは、異性にモテて嬉しいと思うことよりも、圧倒的に気持ち悪さが勝つそうだ。
好意を寄せられることが嬉しい相手というのは、女子にとっては極めて少数の相手に限定されている。
そういえば中学生の頃、お相撲さんのような体型をした男子に告白された女子が号泣していたのを港は思い出す。
この女子にとって告白してきた相手があまりにもアウトオブ眼中なのは分かるし、なにも泣くことはないじゃないかとは口が裂けても言えなかった。
自分も同じ状況に置かれれば、泣いてしまうかもしれない。きっとそういうことなんだろう。
難聴系主人公でもなければさしあって鈍感な男というわけでもない港には、自分に恋をしているであろう女の子くらい分かる。
例えば──三ノ宮姫乃。同じクラスで、隣の席の女子だ。
顔は悪くないが、港の好みのタイプではない。バストのサイズが、少し物足りないと思うからだ。
しかしここで重要なのは、彼女が思春期の女子ということである。
身体の成長につれ、もしかするとそちらの方も健闘して大きくなることもあるかもしれない。その時には色々と検討したいと彼は考えていた。
「おっ、おはよう⋯⋯港くん」
朝の挨拶だった。三ノ宮は平然を装って港に自然に話しかけているつもりなのだろうが、まじまじと彼女の様子を観察するとなんだか色々と察してしまう。
港に声をかける直前にギュっと学生鞄の肩紐を握っていたところとか、今も僅かに震えている手とか。
好意が態度に出ないタイプ、と自分では思っていそうな子ほど露骨に分かりやすいものなのだ。
「おはよう、三ノ宮さん」
港がそう軽く返すだけで、恋する乙女の微笑みが見られる。
三ノ宮が他の男子にはまず向けない顔だ。このことを自分だけが知っていると思うと、そう悪い気はしなかった。
「三ノ宮! 昨日のことなんだが⋯⋯」
鞄を机の上に置き、席に座ろうとした三ノ宮に待ったの声がかかった。
その声の主は、同じクラスの美男綺麗だ。
港は自分よりうんとパンチが効いているフルネームの人間がいるだけでも救われるのだが、なんと美男はその名に恥じないイケメンである。
もう彼くらいしかそのフルネームで生涯を生きることは許されないだろうと思うし、凡人ならばこんな御名前を頂戴した時点で虐められまくりそうなものだ。
余談だが、港のフルネームは《港未来》であり、平仮名で読むと《みなとみらい》である。この名付けに横浜への愛が包み隠さず伝わってくるのは、みなとみらいが彼の両親が初めて出会った場所だからということらしい。
千歩くらい譲って語呂はいいかもしれないが、まったくファンキーな名付けをするものだ。
「あ⋯⋯うん⋯⋯」
ふいっ、となんだか気まずそうに、三ノ宮が空返事で顔を背けた。
──え? 昨日? なに? 何の話?
ただならない雰囲気からして、昨日のバラエティ番組の話などではなさそうだ。すぅー、と謎の深呼吸してから美男が何かを決心したように口を開いた。
「なぁおまえ、オレのことす⋯⋯むぐぅ」
「場所! 場所を! 考えて!」
続けざまに開こうとした美男の口を、顔を真っ赤にして慌てた三ノ宮が物凄い勢いと速さをもって手で封じた。まるでアイアンクローをするかのように。
す⋯⋯に続く言葉はなんだというのだ。港は酷く混乱した頭で思考する。
──オレのこと寿司で例えるとなんだと思う? とかだったりして。うーん、ぼくてきにはきみは鮪の大トロあたりなんじゃないかなって⋯⋯いやいや待て待て、落ち着け、冷静になれぼく。
「むぐむぐ⋯⋯」
口封じをされて喋ることのできない美男は、親指だけを立ててクイクイと教室の外を指した。
こことは別の場所で話をすることを三ノ宮も了承したらしい。こくりと頷いて、彼女は美男からその手を離した。
その、瞬間だった。宙に浮いた三ノ宮の手が美男に握られて、そうして──
「好きだ! 三ノ宮!」
教室中に、それどころか廊下まで響くような大きな声だった。教室にいるクラスメイト全員が、なんだなんだと注目を向ける。
「オレ、どうしても昨日のことが頭から離れないんだ⋯⋯。メシ食ってる時も、風呂入ってる時も、勉強してる時も、全部。あれからずっと三ノ宮のことしか考えられなくなってる。こんな変な気持ちになるのは初めてなんだ⋯⋯!」
港は知りたくもなかったが、しかし知ってしまった。恋するオトコの顔というやつを。この男は今、確かに恋をしていた。
「えーっ! じゃあ、今日からふたりはカップルってことになんの!? ヤバ!!」
それまで傍観を貫いていた群衆のうち、逆瀬川水菜がいの一番に声を上げた。
「おめでとう三ノ宮さんっ!」
「こちら側にようこそー!」
「記念にツーショとか撮る?」
それに続く、わざとらしいくらいの女子たちの歓声。もう確実に何か事情を知っているとしか思えない挙動だった。
美男は昨日、と言っていた。つまりは昨日、何かあって、それで⋯⋯。
なお、『こちら側』というのは彼氏持ちの女子による発言である。
おいたわしや、リア充と独り者とでは生きる次元すらも違うようだ。
「昨日はどうなることかと思ったけどー、あたしって恋のキューピットだったり? でもあのことはほんとごめんねっ、三ノ宮さん」
快活ながらも両手を前に合わせて、すまなさそうにする逆瀬川。三ノ宮はというと、にこやかに微笑んでいた。
「き、きっ、気⋯⋯ふーっ⋯⋯⋯⋯ううん、もう過ぎたことだから」
三ノ宮は噛んでしまったのかあるいは何かを言いかけた様子だったか、当初の言葉が続くことはなかった。
「じゃ、はい! 撮るよー!」
三ノ宮の手を握ったままの美男に、クラスメイトからスマホが向けられる。
その無機質なカシャ、という音と共に、港の中の何かが崩壊していくのを感じた。
──あれ? 三ノ宮さんって、ぼくのことが好きなんじゃなかったの⋯⋯?
それはある日唐突に、自分が主人公だったはずの物語から急にモブAに配置転換され、舞台裏へと左遷されてしまったような──なんとも度し難い気分だった。
『遠くの薔薇より近くのたんぽぽ』なんて言葉がある。
これはつまり、女子の大半が美男のことをうっすら好きだとしても、実際に付き合ったりしたいと考えるのは身近にいる男子ということでもあるのだが。
──よもや、三ノ宮さんは薔薇を獲りに行ったっていうのか⋯⋯?
女の子というのはなんてしたたかで、狡猾で、末恐ろしい生き物なんだろう。港は膝から崩れ落ちそうになる。
既にたんぽぽは用済みで、お役御免なのだ。
身体の温度が芯まで冷える。こんなのってありか? 少女漫画でよく見るような、当て馬役ですらないじゃないか。
港はまだ、出陣すらしていない──これでは馬小屋から指をくわえてふたりのロマンスを眺めているだけの、ただの馬だ。
港は事のあらましを一切知らないが、これは全てが何か悪い冗談なのではないかと疑わざるを得なかった。
真相に少しでも近付くため、三ノ宮を注視するように視線を向けた。
一瞬だけその視線が交わったが、『雑草は引っ込んでな!』とでも言うようにすぐにサッと三ノ宮から目を逸らされた。
目は口ほどに物を言う。偉大なる先人たちの言葉に、彼は打ちひしがれた。
「オイ、女子一同で盛り上がってるところ悪いが少し待ってくれ。オレはまだ三ノ宮の方からちゃんと⋯⋯その、返事を聞いてない⋯⋯」
──乙女か。イケメンの皮を被った乙女なのか貴様は。
「三ノ宮、結婚を前提にオレと付き合ってくれないか?」
重い。聞き間違いであってほしいと港は切実に思う。自分たちがまだ高校二年生の身の上であることを忘れてはいないだろうか。
「えぇ!?」
三ノ宮もこれには驚いた顔をして、声を荒らげた。
しかし美男は彼女の返答を二つ返事として受け取ったようで、誰もが見惚れてしまうような綺麗な顔で爽やかに微笑んだ。
「そうか、良かった! これで晴れて恋人同士だな」
港の心の闇が生み出した勘違いなんだろうか。
先程の『えぇ!?』が幻聴でないとするならば、『えぇ』という同意の方の返事ではなくて、『えぇ!?』という驚いた声だった気がするのだが──。




