部活見学祭(3)
その日の午後。部活見学祭の午前に行われていた文化部側の部活動が終わり、今度は運動部側の部活動が始まった。
三ノ宮姫乃が見学に行く部活は一箇所だけ事前に決めているものの、残り二箇所をどの部へ見学に行くかは決めかねていた。
もっとも見学する部活は最低一つでいいので、行かないという選択肢もあるが。
午後の部活見学祭はあらかじめ運動部での体験活動に備え、学校指定のジャージを着用する決まりなので、現在は女子更衣室で着替えの最中だった。
「雪ちゃんは、どっか見に行きたい部活とかある?」
姫乃が茨白雪にそう尋ねると、彼女は軽く首を振って答えた。
「ううん、ゆきは姫ちゃんと一緒ならどこでもいいの。姫ちゃんが行きたいところがあったら、そこで大丈夫だよ」
献身的な彼女みたいな台詞だな、と思いながら姫乃は白雪の好意に甘えることにした。
そうしてふたりが着替えを終えてから到着したのは、剣道部の道場前だ。足を踏み入れようとして扉を開けると、そこには──
「キャーッ! 美男様ぁー!」
「綺麗様ステキー!」
「こっち向いてーっ!」
先頭に立っていた姫乃は無言で、そっと道場の扉を閉じた。
「入らなくていいの?」
白雪が、不思議そうに首を傾げる。姫乃がすぐに扉を閉めてしまったために、中の様子があまり見えなかったらしい。
「うん⋯⋯。ここはもう、定員オーバーなんじゃないかなぁ⋯⋯」
道場内はかなりの広さがあるが、見学者の数があまりに多く──100%女子で構成された集団が、絶え間なく黄色い声援を上げていた。
あれが噂に聞く、美男綺麗ファンクラブというものなのだろうか。
この状況下で姫乃が道場内に足を踏み入れることは、即ちそれは死を意味するところとなるだろう。
「雪ちゃん、とにかくここは危険なんだ! 早く別の場所に移動し「三ノ宮ッ!」
遅かった。道場に背を向けて歩き出そうとしていた三ノ宮の手首が、美男に後ろからがしりと掴まれた。
三ノ宮はその手を、渾身の力で振り払う。まるでバーサーカーをその魂に宿したかのような、とても女子とは思えない力強さだった。
「HA☆NA☆SE」
これまでの彼女からは考えられないあまりに強い拒絶に、美男は一瞬怯む。
その隙を見逃す三ノ宮ではない。その場から脱兎のごとく逃げ出した。
「待ってくれ、三ノ宮⋯⋯!」
美男が追随するも、既に追いつけない距離まで差が広がっていた。
美男の方は袴を着ていて多少走りづらいということがあるかもしれないが──それ以上に三ノ宮はなぜ文化部ではなく、運動部に入らなかったのか疑問になるくらいの逃げ足の速さだった。
「⋯⋯はぁ、ふぅ⋯⋯」
そろそろ撒けたか? と、三ノ宮が全速力で走りながら少しだけ後ろを振り返ると、前方不注意だったのか誰かとぶつかった。
「わっ⋯⋯!?」
かなり勢いがついていたために、三ノ宮は後ろに倒れそうになる──が、そうはならなかった。
「三ノ宮さん⋯⋯?」
三ノ宮の両肩を掴んだ港未来が、彼女の重心を支えていたからだ。三ノ宮がぶつかった相手は幸か不幸か、想い人である港だった。
「そんなに慌ててどうしたんだい?」
思わぬ至近距離に、三ノ宮は目が眩みそうになる。しかし、今は悠長にときめいている場合ではない。
彼女はデスゲーム(命賭けの鬼ごっこ)の最中なのだ。
「ごっ⋯⋯ごめんねっ⋯⋯!」
三ノ宮がまたすぐに走り出そうとすると、その手首がまたがしりと掴まれた。本日二度目の出来事である。
「──待って!」
港の静止がかかった。
背後を気にしながら死に物狂いで走り続けようとする三ノ宮の様子に、灰色の脳細胞を働かせた港は、この時あるひとつの結論に辿り着いていた。
「その⋯⋯、よかったらうちの部活においでよ」
それは、この機を逃すわけにはいかないと彼が出した精一杯の勇気だった。
三ノ宮にも、その手を振りほどくことはできなかった。
港に部活見学を誘われた三ノ宮は、よく考えてみれば隠れられそうな場所ならどこでもいいと判断し、断る理由もないので快諾した。
当初に予定していた剣道部への見学が不可能となると、渡りに船の状況とも言えるだろう。部活も最低ひとつは見学しておかないといけないのだ。
「うちの部は、初めてでもわりと楽しめるんだ。せっかくだし、体験もどうかな?」
案内されて着いたのは、弓道場だった。港は弓道部の部員である。彼が着用している白黒の袴からして、三ノ宮にも当たりはついていたが。
「そうなの? それならわたしもやってみたいかも」
「うんっ! それじゃあさっそく案内するよ。道具持ってくるね」
港が用意してきた、弓、矢、弽を受け取り、三ノ宮は的へと矢を構えた。(弽=弓道に使われる手袋のこと)
「三ノ宮さん、矢の構え方はね──」
まず、港が三ノ宮の肩に触れた。次に腰、腕、手、指、とまるでマネキンを扱うようにテキパキと所作を正していく。
彼はふだんの部活では、後輩の男子にこうした指導を行っているために、このスキンシップは極めて無意識にしていた。
──あわわわわあわあわあわひえ⋯⋯
突然の出来事に、三ノ宮の思考はパンク寸前だった。
「これでよし⋯⋯と! ささっ、打ってみて」
「はい⋯⋯」
三ノ宮は動揺のあまり、ガタガタと震える手で矢を打っていく。初心者なら矢が的に向かって飛ぶだけでもよし、と港は考えていたが──
「さ、三ノ宮さんって実は経験者だったりする⋯⋯?」
熟練の部員でも難しいような精度で、三ノ宮が打つ矢は次々と的の真ん中だけに命中する。港の問いに、彼女は照れくさそうに答えた。
「モンハンを少々⋯⋯」
「それゲームだよね!?」
上手に打てない三ノ宮に、手とり足とりじっくりと教えて親睦を深めるぞ、という考えがあった港には、これは青天の霹靂だった。
まさか三ノ宮が、麻雀部に留めておくには惜しいほどの人材だったとは──。
「そういえばさっき、どうしてあんなに急いで走ってたんだい?」
港にはなんとなく予想はついているものの、あえてこの話題を口にした。
「美男くんと鬼ごっこしてたんだ⋯⋯捕まると死ぬタイプの。美男くんのファンクラブの方々が、剣道部に集まっててね。とても見学なんかできそうにないから、逃げてきちゃった」
美男はクラスの男子の中では、一番足が速かったような──と、港は思い出す。それを余裕で振り切るほどの三ノ宮の足の速さには、目を見張るものがありそうだ。
「⋯⋯三ノ宮さんってさ、美男くんのどこが好きなんだい?」
この時、初めて三ノ宮の打った矢が的から外れる。驚いた顔をする彼女の返答を待たずに、港は続けざまに言う。
「そんなにいらない苦労をしてまで、付き合いたいと思う相手なのかい?」
これ以上は言ってはいけないと、頭では分かっている。それでも、もう言ってしまえと港はやけになっていた。
世界で一番、薄汚い告白をしよう。
──どうしてぼくじゃ、駄目なんだ。
「三ノ宮ッ!」
しかし、その言ノ葉が紡がれることは許されなかった。
「げ! 美男くん⋯⋯」
弓道場の扉が勢いよく開いて、美男綺麗が姿を現したからだ。
ぜぇぜぇと息を切らしながらも早足で三ノ宮の前まで来て、まだ逃げようと画策している彼女の手首を、今度は逃がさないぞとばかりにしっかりと掴んだ。
「いやー! 行きたくないーっ!!」
急に学校に行くのを拒否する、小学生のような嫌がり方だった。
そんな駄々っ子と化した三ノ宮に、美男は戸惑いを隠せない。
「いったいどうしたんだ、三ノ宮⋯⋯」
「殺されるぅー!」
会話になっていなかった。
「無理強いはよくないよ、美男くん。前にも言ったような気がするけどきみは、自分の置かれてる立場をよく考えて行動した方がいい」
港は美男を諌めるようにして三ノ宮への手首の拘束を解かせ、その繋がりを引き剥がした。
「白羽の矢が立つのは、三ノ宮さんなんだから」
後日談。
三ノ宮は部活見学祭では結局、剣道部に戻ることはなくそのまま弓道部での体験活動を終えた。港が仲裁に入ったためだ。
どうやら美男にはファンクラブの声援は日常と化しているために、彼女たちの存在は気にも留めていなかったらしい。
そして、翌日の放課後。
姫乃は「今日は奢るよ」と白雪に声を掛け、ふたり揃ってフルーツパーラーでパフェを食べていた。
白雪は気を使っているのか、メニューの中でも一番安価な《バナナチョコレートパフェ》を選択した。
一方で姫乃が選んだのは、《旬のフルーツパフェ》だ。メロンとマンゴーが夢のコラボレーションをしている。
「──と、いうわけなんだよね。置いてっちゃってごめんね、雪ちゃん」
事のあらましを説明すると、白雪は首を横に振った。
「ゆきは気にしてないよ。悪いのは姫ちゃんじゃないもん」
姫乃が心の広い友に感謝していると──彼女の背後から聞き覚えのある声がするとともに、覆い被さるように両肩に手が置かれた。
「話は聞かせてもらいましたようー、三ノ宮せんぱぁい」
逆瀬川青菜だった。その隣には、同じ桜木高校の制服を着た男子が立っている。今から帰るところなのか、男子の方は伝票を手にしていた。
「彼氏?」
盗み聞きとはいい趣味だな、と三ノ宮は思いつつ揶揄うように尋ねる。
「そーですよ。友達のですけど」
「??」
謎の返答が帰ってきたことに、三ノ宮は困惑する。
友達の彼氏、というのは彼氏と聞かれてもはたして彼氏なのか──議論の余地がありそうだ。




