隠しごと
時刻は夜。三ノ宮家でのある日の出来事だった。
「ふわぁー、さっぱりしたー⋯⋯」
三ノ宮姫乃は、お風呂上がりにリビングでコーヒー牛乳を飲んでいた。
──全裸で。
「もう、姫乃ったらまた服着ないでうろついて! 原始人じゃないんだから、ちゃんと着替え持ってからお風呂に入りなさい」
「ふぁーい」
姫乃が母とこのやり取りをするのは何十、何百回目だったか──もう数えることも難しい。
現在の彼女の姿はタオルを身体に巻くなどという小細工も一切ない、一糸まとわぬ姿だった。
ただ、姫乃の日常が裸族であるかと言えば違うし、こうした全裸での徘徊はたまたま着替えを忘れ、そのままお風呂に入ってしまった日だけだ。
わざわざタオルを身体に巻いたりしないのも、濡れたタオルを自室から脱衣場に戻しに行くのが面倒だからという、いたって簡潔な理由である。
「あ、時くん」
姫乃がリビングから出て階段へと向かい、自室に戻ろうとすると──実の弟である、三ノ宮時乃が部屋から出てくるところだった。
「わたし、今お風呂上がったところだよ。時くんも冷めないうちに入っておいでー」
現在の姫乃は生まれたままの姿なので、誰がどう見てもそんなことは分かる。
羞恥心という概念を母親の腹の中にでも置いてきたとしか思えないこの姉に、時乃は言いようのない苛立ちを覚えた。
「汚ねーもん見せるな! 死ね!」
「はいはい」
姫乃は、弟のことを妹か何かだと勘違いしているようだ。
異性だということをまるで頭にないような挙動をする。
時乃がまだ小さい頃は、外見が女の子みたいだからと姉のお下がりの服を着せられていた時期もあったが──今はもう、そういう歳でもない。
「嫌いだ⋯⋯」
それは喉から無理矢理押し出したような、時乃の声だった。彼はある時期からずっと、姉にこのような刺々しい態度を取っている。
いっそのこと、嫌われてしまいたかった。
こうして突き放し続けていれば、いつか姫乃だってうんざりして自分のことを邪険に思い、向こうの方から距離を取ってくれると考えたからだ。
姫乃に彼氏とやらができたことだって、自分が姉に対して抱いているのっぴきならない感情に踏ん切りをつける、いい機会かもしれないとすらと思う。
──なのに、なのに、なのに。
憎くて。悔しくて。苦しくて。情けなくて。痛くて。切なくて。悲しくて。淋しくて。卑しくて。侘しくて。
そしてなにより──恋しくて、愛しかった。
姫乃が男友達とふたりきりで動物園に行くと母から聞いた時には、どうしても邪魔をしてやりたくなった。台無しになればいいと、心の底から思ったのだ。
だから前日の夜に、時乃は姉の飲み物に睡眠薬を入れ、そしてぐっすりと寝静まった頃に目覚まし時計のアラーム設定を消し、スマホも放電させて電池を0%の状態にした。
こんなことが許されるわけがないと頭では理解していても、それでも彼は行動を起こさずにはいられなかった。
「ひどい! でもね、わたしは時くんのことが世界で一番大好きなんだよ?」
それはまるで、呪いの言葉のようだった。
「──だって、お姉ちゃんだもんっ」




