姉と妹
それは三ノ宮姫乃が登校してから自分の席に着き、趣味のクロスワードパズルを解いている時のことだった。
「──あの! そこのボッチのかた!」
教室の前に、見知らぬ女子生徒が来ていた。履いている上履きの色からして、学年は一年生だろう。一年生は青色、二年生は黄色、三年生は赤色という決まりになっている。彼女の上履きは青色だった。
三ノ宮はその呼びかけに対し、一瞬だけビクッ⋯⋯! と肩を跳ねさせたが、教室内を見渡すとように勉強したりゲームをしたりで、ひとりで過ごしている生徒も数名ほど散見できる。
どうやら自分のことではなさそうだと、ホッと息をついた。
「そこの! 今ホッとした女子のかたです!」
──いやいや、まさかまさか。
三ノ宮はやれやれ、と肩を竦めて知らぬ存ぜぬの態度を一貫した。そもそも彼女とは面識がないし、どなたか他のボッチ系女子をお呼びなのだろう。
「無視しないでくださいよう、三ノ宮せんぱーい」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
ペロペロキャンディでも舐めるかのように、舐め腐った態度をとる一年生だな──と、三ノ宮は唖然とした。
まったく最近の若いもんはと言いたくなる衝動を抑えつつ、これ以上名指しで騒がしくされても困るので、三ノ宮はしぶしぶ席から立って彼女の元へと移動する。
「わたしに何か用?」
「あたし、逆瀬川青菜って言いまーす! いつも姉がお世話になってますう。三ノ宮先輩ですよね?」
「さかせがわ⋯⋯?」
三ノ宮はその聞き慣れた名字に今一度、彼女の容貌を全身くまなくじっとりと、舐め回すようにして見た。
髪型は低い位置で結ばれたツインテール。鮮やかなブルーの髪色は姉である逆瀬川水菜とそっくりだが、明確に違う箇所がひとつだけあった。
胸部だ。姉に雌としての尊厳を丸ごと奪われてしまったのかもしれないと思うくらいに、なんとも慎ましやかなサイズ感をしている。
「今なんか、すっごい失礼なこと考えてます?」
三ノ宮が己の胸部を凝視していることを察したのか、青菜はビキビキと額に青筋を立ててそう言った。
気にしているのだろうか。三ノ宮は先ほどまでの青菜の無礼な態度を水に流してあげることにして、さらには彼女に慈愛の念すら抱きながら、しれっと嘘を吐いた。
「まさか! 可愛い子だなって思っただけだよっ」
「ふぅーん、へぇー、ふぅーん⋯⋯」
お返しだと言わんばかりに、値踏みするような青菜の視線が三ノ宮の胸部に向けられた。三ノ宮はけして豊満と言えるようなレベルではないが、いたって平均的なサイズの持ち主だ。
──ふっ。勝ったな。
三ノ宮が心中で静かに笑う。茨白雪や逆瀬川水菜といった、わがままな胸部を持つ彼女たちにはいつも煮え湯を飲まされていたのだ。
上には上がいるとよく言うが、下には下もいるものである。
「⋯⋯あんたたち、何してんの?」
そこへ今しがた教室にやって来た逆瀬川水菜が、怪訝そうな表情を浮かべてふたりに尋ねた。
「お姉ちゃん! 青菜ね、体操着忘れちゃったのー。だから、お姉ちゃんに貸してもらおうと思って!」
「それはべつにいいけどさぁ。あたしが聞きたいのは、なんでこいつに絡んでるのかって話」
「だって、三ノ宮先輩はあの美男先輩の彼女なんでしょ? 《難攻不落の美男子》を落としたのがいったいどんな人なのか──気になってもよくない?」
そう言って、青菜は三ノ宮に悪戯っぽく笑いかける。
姉の水菜は『呆れた』と短く呟いてから、体操着の入った手提げ袋を妹に放り投げた。
「ほら、もう行きなさい。のんびりしてると授業に遅刻するわよ」
「はーい。それじゃあまたね、三ノ宮先輩!」
軽く手を上げてから離れていく青菜の後ろ姿に、「ばいばーい」と陽気に手を振って見送る三ノ宮。その様子を見て、水菜は顔を顰めた。
「姫乃、あんたもう少し危機感とか持った方がいいかもね」
「なんのこと?」
「こっちの話。そのうち嫌でも分かるわよ」
ここからは密談を始めるためか──水菜は姫乃の肩をがしりと組んでから、ひそひそと耳元で囁いた。
「それと池澤先輩とのことは、ぜっったいに妹には言わないでよ。あの子に知られると面倒なことになるの」
池澤先輩とは、ひとつ上の学年(三年生)にいる水菜の彼氏である。
池澤先輩が女子に人気があるからこそ、交際の事実をひた隠しにしているのだと姫乃はこれまで考えていたが、真相は別のところにあるのかもしれない。
──姫乃は、実の弟に彼氏の存在が露見した時のことを思い出す。
『ブスのくせに彼氏作るな、ブス!』
確か、こんな感じのことを言われたような気がする。どこの姉弟でも姉妹でも、似たり寄ったりな揉め事が起きてしまうのだと、姫乃は納得した。
「もし言ったら?」
「あたしはあんたを殺さなきゃいけなくなる」
殺人予告だった。
「はい⋯⋯」
「せいぜい、あたしを殺人犯にさせないことね」




