第8話 宰相の部屋
先走ったライナーによって、イリスは気を失うように眠りについた。
魔法陣を発動させる前に、まずは順序というものがあるだろうに。あらかじめ聞き出す方法とか、その内容とか、普通は色々指示を出すものじゃないのだろうか。
全部現場に丸投げとはどういう事だ。
「何でなのよっ」
イリスは両腕を挙げて毎度のごとく憤慨する。
霧に霞んだ目の前が晴れると、なんとなく見覚えのある部屋の風景が目に入った。
壁際に深いマホガニー色のチェストと、その上に掛けられた大きな鏡。部屋の中央には天蓋から紗のかかる大きなベッドが据えられている。
幸い誰もいないが、ここはエアネストの寝室に間違いないだろう。
とりあえず再び夢魔になったものの、この身体は一体どうなっているのか。服を見下ろし、また露出の多さに赤面した。
「これどうにかならないのかしら。もう少し大人しく襟が詰まってて、裾も長い服にならないの」
そう呟いた途端、ふわっとドレスが広がった。胸と脚が隠れて、少しまともな服装になる。
「あら……」
他人の夢の中とはいえ、意外と思うようになるらしい。
それに、身体の中にいつもより魔力が満ちている気がする。
壁際の鏡の前まで歩いてまじまじと覗き込むと、魔物の特徴である縦に裂けた瞳孔がこちらを見返す。
(魔物になる呪いだし、この魔力は使えるかも)
人間よりもずっと強力な力を持つ魔族。夢の中のひとときとはいえ、この力は魔術師にとって魅力的だ。
試しに指先に意識を集中させてみる。
魔法陣を描いて弾くが、何も起こらない。
「やっぱり精霊を使うのは無理か……」
魔物に精霊は従わない。となると、この身体の能力とはなんだろう。
イリスは腕を組んで考える。
ライナーが魔法陣に夢魔の召喚魔法を組み込んだのは、不眠症を治療するため。夢の名がつく通り、夢魔には人を眠らせ夢を操る魔力があるという。それ以外にも何か出来る事があるのだろうか。
とりあえずはライナーに従って、容疑者の彼等の真意を探るのが先決だ。夢には本人しか知らない深層心理が現れやすい。何か手がかりになるものが見つかるかもしれない。
そこで、とイリスはきょろきょろと周囲を見回す。
「この部屋の主人はどこに行ったのかしら」
夢の中で行方を探すというのも変だなと思いつつ、前回鍵のかかっていた扉に手を掛ける。すると、扉の向こうから話し声が聞こえた。ぴたりと手を止めて、イリスは耳を澄ます。
「——それでは困ります」
「陛下の体調管理がそなたの仕事だろう」
「だからこそ。陛下は働きすぎなのです。薬は処方しておりますが、ほとんど眠れていないご様子。宮廷魔術師の長にも相談しましたが、眠りが浅いばかりか脈も呼吸も乱れがち。このままでは倒れてしまいます」
「仕方がない。陛下は今、国政の改革に着手している。先王時代の高官達の横領を暴き出し財務総監理府と軍事総監察庁を作ったは良いが、今度は両者がいがみあっていて埒があかない。しばらくは矢面に立っていてもらわねば」
「陛下のお命が危うくなれば、国政など共に倒れましょう」
バタン、と大きな音がして誰かが出ていったようだ。
(宰相と、宮廷医のバルウィン?)
扉に張り付いて聞いていたイリスは、今の内容を頭の中で反芻する。
エアネストの夢の中の会話だが、これは現実にあった事なのだろうか。この会話を聞く限り、バルウィンは必死で国王の体調を優先するよう訴えていた。
(バルウィンは容疑者から外してもいいのかしら)
毒を盛るには薬と偽るのが一番簡単だったのだが、どうも違うように思える。どちらかといえば、宰相の方が国王を駒のように言うあたり、怪しいかもしれない。
これは一旦ライナーに報告しよう、そう決めて扉に背を向けた途端、カチャリと音が響いた。
「また君か……」
背後で響く低い声にハッとして、イリスは振り返る。
「エアネスト宰相!」
外へ出て行ったのは、どうやらバルウィンだけだったらしい。
思わず名前を呼んでしまい、イリスは慌てて両手で口を押さえた。しかし、口から出たものは消すことはできない。
「君は私の名を知っているのだな」
バルコニーまで急いで後退ろうとするイリスの腕を掴み、エアネストは眉をしかめた。
「また飛び降りられるのは気分が悪い。何もしないから逃げるな」
逃げるなと言われても、とイリスはふるふると子犬のようにふるえる。彼はもう片方の手で背後の扉を閉めると、イリスの腕を掴んだままその顔を覗き込んだ。
「君は何者だ。なぜ私の前に現れる」
「…………」
まずい、とイリスは身をすくめる。
まさか毒殺未遂事件の容疑者の捜査に来ましたとは言えない。
彼は国王がいなくなると次の支配者となりうる、ライナーが一番の容疑者だと言う人物だ。若くて美形とかいう以前に、恐怖がひたひたとこみ上げてくる。
じっと見られるのを逃げることもできず、イリスは片手で胸を押さえて立ち尽くす。
前の時のような甘さはない。鋭い視線にただふるえるイリスを見た宰相は、怪訝な顔をして首を傾げた。
「その瞳、魔物のものだろう。寝室に入り込み男を誘うつもりかと思ったが、どうやら君にはその気がないらしい。そして、先程の会話を聞いていたな」
真っ赤になって首を横に振るイリスに、エアネストはその美麗な顔を近付ける。
「君は一体何のためにここに来た」
(これは無理!)
イリスが手練の間諜ならば話を逸らす為に娼婦の真似事でもできたのだろうが、残念なことに彼女はそこいらの令嬢よりも初心だった。
こんな冷酷そうな男に向かって、ライナーのいうようにうまく誘導して話をさせるなど到底できるはずがない。
彼の視線をブロックするように、両手を顔の前で交差する。
「寄らないで!」




