第7話 闇の精霊の魔法陣
国王の毒殺未遂事件を捜査させられる事になったイリスは、上司のライナーが去った後の椅子に腰掛け一人で考え込んでいた。
呪いが解けない以上、イリスに逃げる道はない。こうなったなら早く被疑者を割り出して、正当な捜査が出来る人間に繋ぐしかない。
宮廷医バルウィン
侍従長ルイス
宰相エアネスト
王国軍大佐ヴィルへルム
この四名がさしあたっての調査対象だろう。
まず怪しいのは宮廷医師のバルウィンだ。アロイスの話では国王の症状は毒とすぐにわかるほどの中毒症状ではない。薬に詳しい医師であれば、どのくらいの量を服用させると異常が出るかの微調整も得意なはず。
だが、全く違うというケースも考えないわけではない。彼は毎日国王を診察している。初期に過労と診断してしまえば、かえって症状が悪化してきても気付かない可能性はある。実際、彼は侍従長には国王を休ませるよう進言していた。
また、仮に毒を疑ったとしても、医師では毒の検出までは難しい。魔塔出身の魔術師であるアロイスだからこそ、魔術を用いて瞬時に分析できたとも言えるのだ。
そして、動機が謎。
「直接聞けないのが困るのよね」
動機の点では侍従長のルイスも同じ。国王が王子の頃から仕えている彼は、まさに王とは運命共同体に近い。国王が倒れて最も困るのは、確実に職を失う彼だ。
「動機の面でいうと、宰相が一番……」
イリスは腕を組んで唸る。
一番に王の味方であるべき人物。そして、捜査の陣頭指揮を取るべき地位にある彼を、ライナーは怪しいという。
イリスは彼の姿を脳裏に浮かべる。廊下ですれ違った氷の仮面のような顔。男性なのにやたらと美しく、そのくせまるで吹雪に遭ったくらいに感じる冷ややかさだった。
しかし、一瞬だが夢の中で見せた驚くくらいの艶っぽさと、飛び降りるイリスを止めようとした優しさ。あれが人殺しをしようと企む人間なのだろうか。
「いやいや、夢に引っ張られてはいけないわ。どっちが彼の本性なのかわからないんだし」
金髪をわしわしと引っかくと、絡んだ髪に指が引っかかった。
「痛たたた」
今朝は急ぎすぎて、きちんと髪をといていなかった。思い出したイリスは引き出しを探すが櫛がない。壁の小さな鏡を見て、まあいいか、と諦める。
多少磨いてもどうにかなるものではない。
魔塔でもイリスの目の見えないモフっとした頭を鳥の巣だとバカにする生徒はたまにいた。そんな彼女につけられたあだ名は『闇のイリス』。なかなかクールな呼び名だが、単に真面目なイリスを暗い奴だと揶揄したものだ。まあ、陰でそう呼んでいた相手は、イリスの魔法を見れば黙りこくったのだが。
しかし、このままではいけない。
ライナーが部屋を去った後、イリスは部屋の奥の本棚をあさる。古い楢の木で出来た本棚は、天井までびっしりと本が詰め込まれている。イリスは脚立を持ってきて、その棚の上から分厚い魔術書を何冊か引っ張り出した。
ライナーはイリスの抗議など蚊が止まったくらいにしか考えていない。今夜にも自分は夢魔の姿で誰かの夢の中に放り込まれてしまう。
魔術師が魔法を使うには、魔力を集中させる杖が必要だ。だが夢の中には杖がない。魔法陣を描くのに指先一つで魔力を制御する者もごく稀にはいるが、さすがのイリスでもそれは危険でできない。
ライナーがいうように夢の中へ入って調べるというのは、魔術師として生きてきたイリスにとって、飛べない鳥になったも同じこと。
過去二回の経験では、イリスが目覚めるには夢の中で意識を失うのが鍵のようだ。ライナーの性格では、きっとイリスがどう逃げるかまで考えてはくれていないだろう。
自分の身の安全は自身で確保しておかねばならない。イリスは棚から引き出した本を抱えて机の上で広げた。
その日の深夜、やっと準備を終えたイリスはやれやれと宮廷の厨房で作ってもらってきたサンドイッチを食べていた。すると、いきなり部屋の扉がバタンと大きな音を立てて開く。
びっくりして振り返ると、羊皮紙を両手に抱えたライナーがズカズカと足音をたてて入ってきた。
「ラ、ライナー様? 私、部屋の鍵を掛けていたと思うのですが」
「鍵? ああ、両手がふさがっていても入れるように、私の前にある戸は勝手に開くよう魔法を掛けている」
それは彼はどこにでも入り放題ということなのか。
宮廷には立ち入り禁止区域も多々あるのだが、何かあった時に自分が疑われると思っていないのだろう。ただ面倒というだけで自分に魔法を掛ける、常識はずれの使い方にイリスは怒りと呆れが入り混じる。
「女性の部屋に入る時は、せめてノックをしてください!」
イリスが叱りつけると、ライナーは『ん?』と一瞬考えるような素振りを見せた。これはきっとイリスが女性だという事を忘れていたに違いない。
「そんなことはどうでもいい。便利な魔法陣が描けたんだ」
そう言うと、ライナーは床の上にばさばさと手に持っていたものを置いた。
どうでも良くない、と思ったが、ライナーが大きな羊皮紙をテーブルに広げたのを見てイリスも黙る。
「お前は性格が暗いから闇の精霊と相性が良かっただろう。使いやすいように作ってやったぞ」
なんだか一言多い気がしたが、イリスはその魔法陣を見ながら唸った。
丸い円の内側を、黒い蔦のような呪がぐるりと描き込まれている。その更に内側には星のような幾何学模様が形を変えながら幾つも並び、黒い狼のようにも見える絵が中央に紋章のように描かれていた。
見ているだけで狂気をそそるような禍々しさに吸い込まれるようだ。そして、その狼の胸の部分だけが白く抜けている。
よく見ると、呪の蔦の中にイリスの名が入っていた。これはイリスの為に描かれた魔法陣だ。
「凄いです。『闇の精霊』に夢を繋げさせるのですね」
「奴らは人間の精神に入り込むからな」
「この空いているところは?」
「ここに繋げたい相手の名を書くのだ。どこにも行きたくない時は、自分の名を書いておけ」
そう言うと、ライナーは指先を滑らしてさらさらと魔法陣に書き加える。
「こうやっておいて、今からお前とこの魔法陣とを繋ぐぞ」
「え?」
今から? と聞く暇もなかった。
ライナーが呪文を唱える。すると今までただの絵だった魔法陣から黒い靄が吹き出し、みるみるイリスは靄に包まれる。何も見えなくなる直前、かろうじてテーブルの上の魔法陣が見えた。
その狼の胸に書かれた文字は、『エアネスト・フォン・ライゼル』。
(何をどうやって調べるのか言ってからにして!)
イリスの胸の叫びは黒い闇の中に溶け、後には気を失ったイリスの身体と満足げな様子のライナーだけが残っていた。




