第5話 毒殺未遂判明
「夢魔の呪いって一体なに?」
確かエアネストもイリスを見て、夢に現れる魔物と呼んだ。あの時、鏡で見た自分の瞳は魔物のように縦に裂けていたが、この現象は呪いだというのだろうか。
「きっとこれは僕の夢の中だ。ライナー様は不眠症の研究をしていたんだろう? それに黒魔術の呪を組み込んでいたなら、使ったのは夢魔を招ぶ呪だったんじゃないかな」
「あの爆発で、私が呪われたってこと?」
「黒魔術の魔法陣って結構危険だろう? たぶん予想だけど、本来眠りを誘うために組み込んだ呪が、弾けた時に君の中に夢魔を召喚するよう魔法をかけたんだよ」
「夢魔を召喚……」
夢魔とはどういう魔物だったか。イリスは頭の中で素早く辞書を引いてみる。そして、魔塔の書庫で読んだその概要を思い出し、さーっと血の気が引いていった。
夢に現れ悪夢を見せ、人間の精気を吸い取るという魔物。魅入られてうっかり誘惑に負けてしまうと、生命力を奪われて命を落とすこともある。
男性と女性、どちらの姿の夢魔もいるが、共通しているのは性的な魅力にあふれているということだ。この今の自分の破廉恥な姿を見る限り、きっとアロイスの言うとおりに違いない。
それではこの先呪いが解けるまで、自分は誰かの夢に入っては男性を襲う魔物になってしまったということなのか。
ぱくぱくと声も出せずに震えるイリスをアロイスが慰める。
「だ、大丈夫だよイリス。何を想像したのか大体わかるけど、夢魔はそういうのだけじゃないから。夢に入り込むのは同じだけど、中にはちゃんとした妖精もいるから」
なだめるアロイスの言葉はイリスの耳には入らなかった。
仕事以外で男と接したことのない陰キャのイリスにとって、いきなり淫キャへの転身は刺激が強過ぎる。
「あっ、イリス、おーい、大丈夫? イリス!」
アロイスの慌てた声を遠くに聞きながら、イリスは再び夢の中で意識を手放した。
*****
翌日、イリスはいつもの寝ぐせも直しきらないもしゃもしゃの髪で、黒の制服に身を包んで出勤した。そして、宮廷に着くとすぐにライナーの研究室へと向かう。あのろくでもない呪いとやらを解かねばならない。
(あのクソ上司!)
すぐにでも退職願を提出したいところだが、エロい魔物にされたまま放置されてはたまらない。
「ライナー様!」
バンッと勢いよく扉を開けると、そこにはすでに先客が待っていた。
「おはよう、イリス」
「やっと来たか」
ライナーの隣には昨夜会ったアロイスが立っていた。イリスを見たライナーが先に口を開く。
「その様子では、昨夜アロイスが夢で見たのは本当にお前だったのだな」
「アロイスも覚えているのね!」
「呪いの事はアロイスから聞いた。確かにあの魔法陣には眠りを誘うために夢魔の召喚呪を組み込んだのだ」
「では、早く解呪をお願いします! 寝るたびに変な事になるんです」
「悪いが、解呪はすぐには出来ない」
「え?」
身を乗り出したイリスの身体が転びそうになるのを、慌ててアロイスが受け止めた。彼の腕にしがみついたまま、イリスは呆然と呟く。
「解呪、出来ない……?」
ショックを受けているイリスに、ライナーは平然と頷いた。
「暴発したものはどう解くのかわからん。研究するから少し待て」
そう飄々と言い放つ。どんな魔術をどう組み上げたのかわかっているライナーなら、解呪の方法もわかるに違いないと思ったのに。
はあ? と開いた口が塞がらない彼女に向けて、アロイスが苦笑いをする。
「仕方ないよ。これも何かの運命だと思って、しばらく夢の中だけでも楽しんでみたら?」
結構な美女だったじゃないかと囁くアロイスの靴を、イリスは思い切り踏みつけた。
「痛っ!」
「人の気も知らないで! また爆発するかも知れない研究を続けながら、夜は他人の夢の中をのぞく変態女になれっていうの?」
「もう一回暴発させたら戻るかも」
「死んだらどうするのよ!」
アロイスの首根っこを両手で掴んで、ガクガクと揺さぶりあげる。アロイスはヒイと悲鳴をあげながら、バタバタと両手を振って降参した。
「ごめん、冗談だって。悪かった、怒らないでよ。さっき、この件についての良い話を持ってきてあげたんだから」
「良い話?」
思わずライナーを見ると、彼は腕を組んで頷いた。
「不眠治療は中止だ」
「何故です?」
あれだけ熱心に研究していたのに、と首を傾げると、アロイスが代わりに答える。
「陛下の不眠症の原因がわかったんだ」
「不眠の原因?」
「そう。あれは毒だったんだよ」
アロイスは苦々しげな顔で続けた。
「毒は僕の専門領域だ。君から陛下の症状を聞いてもしやと思って、昨日夜通し調べていたんだ」
夜通しと聞いたイリスが寝てたじゃん、と突っこむと、アロイスはあれは仮眠中だったの、と念を押す。まだ疑っているイリスにふんと鼻で息をして、アロイスは自慢げに報告した。
「陛下は不眠の他にも体調が悪そうだっただろう? 気になって検査したら、陛下の尿からアルカロイドの反応が出た」
「アルカロイド?」
「そう。アルカロイドの中には不眠を起こす作用もあるのは、イリスも知っているだろう。まだ毒物自体の特定はできていないけれど、陛下には今朝一番で解毒魔法で処置をしたからだんだん回復されるはずだよ」
なんだ、結構やるものねと、とイリスは感心する。
毒の種類を鑑定し、術式を組み解毒する。毒に関してアロイスはかなり優秀な研究者だ。彼に任せていたら安心だろう。
にこにこしているイリスに、ライナーは呆れたような視線を向けた。
「何をのんきに笑っているんだ」
「え? だってもう不眠の治療は必要ないじゃないですか」
あの危険な研究から逃れられるのだ。そしてライナーには心置きなく解呪の研究をしてもらえる。これが喜ばずにいられようか。
首を傾げるイリスを、アロイスが深刻な表情でじっと見つめた。
「イリス、これは毒殺未遂事件だよ」
「陛下に毒を盛った人物がいる。それを探らないと終わらない」
「私達が捜査するんですか?」
なぜ? と驚くイリスに、ライナーは当たり前だとばかりに頷く。
「毎回の食事には毒味役がついている。それをかいくぐっての毒殺未遂だ。よほど手際が良いのか、それとも陛下自身が信頼している人物だろう。もし常に陛下の身近にいる人物ならば、下手に報告を入れると逃げられるおそれが高い」
「だから僕は毒殺の可能性が判明して、すぐに魔術師長に報告に来たんだ。陛下の治療も誰にも知らせていない。陛下本人にも解毒魔法ではなく、体力を回復させる魔法だとだけ言っている。陛下の症状はそこまで激しい中毒じゃない。推測だけど、ゆっくり衰弱させるつもりだったんじゃないかな。アルカロイドは身体に蓄積しにくいから、きっと頻繁に少量ずつを摂取させられてきたはずなんだ」
アロイスは国王の解毒はしたが、犯人は判明していない。毒の特定はこれからで、そしてその混入経路もまだわかっていないと言いたいのだろう。イリスは頭の中で情報を整理する。
二人は王の側近達を疑っている。そして、まだ王は危険に晒されている状況なのだ。再び毒を飲まされる可能性も高い。
「どこから毒を摂取させられていたのか、それがわかるまでは油断できない。僕は毒物の特定と陛下の治療を続ける。ライナー様とイリスは研究を続けるふりをしながら誰が犯人なのかを調べて欲しい」
「誰が敵で誰が味方なのかまだわからない。イリス、我々だけで調べるぞ」
自分は魔術師であって宮廷法務官ではない。ただの研究職のはずなのだ。
なんて面倒な、とイリスは頭を抱えるが、ライナーはさも当然とばかりに拳を握る。彼はこの状況をきっと楽しんでいるに違いない。
「ライナー様、遊びじゃないんですよ。私は聞き込みなんてできません!」
ただでさえ人との会話が苦手なのに、宮廷の重職の面々をそれとなく調べるなんてできそうにない。
しかし、イリスの悲鳴が聞こえないかのように、ライナーは意気揚々と彼女の襟首を引っ張っていった。




