第41話 転職先は宰相閣下の腕の中
手紙を手に持ったまま立ち尽くすイリスに、エアネストは真顔で頷く。
「クライスト伯爵はゾフィー嬢を責任をもって預かってくれるそうだ」
「それは良いのです。私が尋ねているのは——!」
声を張り上げるイリスを、エアネストは手を挙げて制止した。少しだけ前屈みになって、イリスの顔をのぞき込む。
「君にこの国に残ってもらう為に、待遇は考えると言っただろう? 伯爵に手紙を送ったのは陛下だが、これは私からの提案だ。もちろん、君が『うん』と言ってくれればの話だが」
クライスト伯爵からの手紙の内容は、ゾフィーの件の了承以外にもう一つあった。それは、フリードリヒ国王の申し出どおり、イリスをライゼル公爵に預けるというものだ。実家を出て十年も戻らない放蕩娘をよろしく頼むと、歓喜に踊るような文面で書かれてある。
「魔塔の長にも言われたが、君の闇の魔術は公になると狙われる恐れもある。君の身は私が守る」
「でも、この提案はあまりにも閣下にご迷惑がかかります」
『公爵家に預ける』、それはすなわちイリスを花嫁として贈るということ。
王妃宮に入るときに、イリスは身元の保証としてエアネストの後見をもらった。あの時、王妃はイリスがエアネストの婚約者だと誤解していたが、あれはあくまで捜査の為。しかし、今回は本当に家同士の契約だ。これを通してしまうと、エアネストは本当にイリスを妻にせねばならない。
「君は私が嫌いだろうか」
深いサファイアの瞳がイリスを見つめる。どこか不安気な声に、イリスはぶんぶんと首を横に振った。
「ちがうのです! 私は自由に研究が続けられて、平和に暮らせればそれで——」
「結婚しても宮廷魔術師として研究を続けられるよう保証しよう。君の魔術を戦争に使わない事も約束する。私の妻になるなら誰も君に手は出せない」
「でも、閣下はお相手など選び放題ではありませんか! 好きでもない相手と結婚するなんて、絶対後悔します。私の為にこんな事をする必要はありません」
自分の能力を評価してもらえるのは嬉しい。しかし、こんな報酬は絶対に嫌だ。いくら貴族の結婚に愛は二の次とはいえ、こんな形で公爵夫人を決めてしまうなど——。
イリスの必死の訴えに、エアネストは『あ……』と言って口を手で覆った。うーんと唸ったかと思うと、困ったような顔をする。
「すまない、また私は失敗したようだ。先に大事な事を言っておくべきだった」
エアネストはそう言うとその場に片膝をつき、うやうやしくイリスの手をとり見上げた。
「イリス、私は君を愛している」
エアネストの瞳がイリスを絡めとるように甘く輝く。そして、その目を伏せると、彼はイリスの指先に唇をよせた。
イリスは目を見開いて、ふるりと身を震わせる。
「まさか、魅了魔法が残ってます?」
「ははは。信じられないか? 確かにあの魔法は凄かったが、今の私は素面だ」
頬を真っ赤にして首を傾げるイリスに、エアネストは笑い出した。その屈託のない表情にキュンとして、イリスはますます顔を赤らめる。
「ですが、いつもの私はもしゃもしゃの頭で、淑女らしくもなくて……」
「それも可愛いと言っただろう」
「本当に? 夢魔の私ではなくて?」
「あの夢がはじまりだったな。夢の中で翻弄してくれる君も可愛いかったが、やっぱり現実の君がいい」
エアネストはそう言って立ち上がると、イリスを抱き上げる。
「ずっと、君を探していたんだ。初めて私の夢に現れた時から。やっと捕まえた」
「閣下」
「エアネストと呼んでくれ。イリス、夢で会った時から好きだった」
まるで夢のようだ。
イリスはふるえる唇で、ずっと言いたかった台詞を口にする。
「私も——、エアネスト様が大好きです!」
エアネストの首に腕をまわして抱きつくイリスに、エアネストはいつか見たような熱を浮かべた瞳を向けた。
「もう、私の前から逃げたりしないでくれ」
懇願するようにそう告げると、彼はイリスの顔に自身の顔を近付ける。
ほのかな梔子の香りに包まれながら、イリスはそっと目を閉じた。




