第40話 実家からの手紙
「わあ……」
建物に一歩入った途端にイリスの口から溜め息がもれる。
吹き抜けの高い天井、中央は大きなホールになっており、司書官が座る机と閲覧用の椅子が並んでいる。建物の左右の翼に沿って木製の書棚が設置され、茶色の革表紙がずらりと並ぶ。
階段を登った二階、三階も同様の造りになっているようだ。
「三階の書庫を使いたいのだが」
エアネストが司書官と話している。鍵を受け取った彼はイリスを振り返って手招きした。
エアネストについていくと、三階の奥に鍵がかけられ明らかに厳重に管理されている部屋があった。鍵穴に鍵を入れて回すと、かちゃりと音がする。エアネストはゆっくりと扉を開いた。
「君が満足するような本があるだろうか」
「——凄いです!」
中へ入ったイリスは声をあげた。
こぢんまりとした部屋だが、中の蔵書は古い歴史書から最新の医学書まである。そして、魔塔でもみた貴重な魔術書までが揃えられていた。
「これ、読んでもいいのですか?」
「自由に手に取っていい。私も久しぶりに来たから何か読むとしよう。ゆっくりしてくれ」
彼の言葉に甘えて、イリスは早速本棚を見上げる。しばらく物色して、上の方にある本を取ろうと背伸びをしていると、後ろから長い手が伸びてきた。
「この本か?」
エアネストが背中越しに本を引き抜く。背に彼の身体が触れるのを感じて、イリスはドキリとした。差し出された本を受け取って、イリスは小さく礼を言う。
「君は小柄だから、取りたい本があれば遠慮しないで私を呼ぶといい」
「……はい」
本を胸に抱えて、イリスは赤くなって頷いた。
それからイリスは興味のある本に何冊も手を伸ばした。その度にエアネストが手伝ってくれるのを申し訳なく思う。
そして、天の中心にあった太陽が傾き、光が赤みを帯びる頃、二人は図書館を後にした。
「閣下、ありがとうございました。読みたい本がたくさんあって面白かったです」
「そんなに喜ぶなら、また連れてこようか」
「え……」
驚くイリスにエアネストは薄く微笑む。
「このあと店を予約してある。行こう」
エアネストは戸惑うイリスを再び馬車に乗せた。
次に馬車が止まったのは、裕福な市民や貴族達がよく利用する高級料理店だった。イリスはいつも一人のため、こんな店には入ったことがない。中に入ると給仕人が奥の個室に案内してくれた。
イリスはおそるおそる尋ねる。
「閣下はこのお店にはよく来られるのですか?」
「まさか。ここはヴィルヘルムの部下が教えてくれた。女性を誘って来たのは初めてだ」
エアネストは少し耳を赤くして答えた。女性を誘うのは初めて、という言葉にまさかと思いつつ、イリスはなぜかほっとする。
給仕人がはじめにスープを持って来て、グラスにワインを注ぐ。スープに口をつけるイリスを見つめがら、エアネストはテーブルに両肘をついた。
「イリス、君が以前言っていた事なのだが……」
「はい、なんでしょう」
「転職を考えているというのは本当なのか?」
魔塔の長のマーリン宛てに、次の職場を探してもらえないかと手紙は書いた。しかし、戦争のない国は少ないため希望の職場は見つからないかもしれない、という返事が返って来ている。イリスはどう答えようかと思いながら、苦笑いをしてみせた。
「そのつもりだったのですが、なかなか良いところはないらしくて」
「君はどういう職場を希望しているんだ?」
なんだか面接のようだわ、と思いつつ、イリスは答えを考える。
「生活に役立つ魔法を研究できるところでしょうか。みんなが笑って暮らせるような、平和な国で働きたいです」
答えながらイリスは思った。フロイス王国は理想的だ。対外的に強く、内部は若い国王とその側近達が改革を進め、国力を高めている。今回の件もただ犯人を罰するのではなく、不安がる地方領主の権利も守れるように考えていると聞いた。
イリスの返答に、エアネストは頷く。
「君らしいな。この国では駄目なのか?」
「いいえ……」
フロイス王国の宮廷魔術師の仕事は、イリスの理想通りだ。
少し……いや、かなり困ったところもあるが、上司のライナーも扱いようによっては悪くない。アロイスも他の同僚も良い人物ばかりだ。
何よりフリードリヒは尊敬できる国王である。侍従長のルイスと王国軍大佐のヴィルヘルムも、イリスは驚く事もあったが助けてもらったし決して嫌いではない。
そして、宰相のエアネストも——。
「好きです。——この国が」
『貴方が』と言いたい。
けれど、イリスには出来なかった。
「この国の宰相としては、その言葉は嬉しいな」
控えめの笑顔で喜びを伝えるエアネストに、イリスは切なくなる。
その気持ちに気付かれないように、イリスは給仕人が運んでくる豪華な料理を前に笑顔で話し続けた。
食事が終わり二人が外に出ると、店の前には馬車が迎えに来ていた。
「閣下、今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「私もだ。イリス」
明日からはまた、宰相とただの宮廷魔術師だ。おいそれと会う事もないだろう。
イリスは寂しさを隠して笑顔をつくる。
「食事も美味しかったです」
多分美味しかったのだろう。味は半分くらいしかわからなかったが、イリスはそう伝える。
「また誘おう。近いうちに」
「え?」
エアネストの言葉に、これきりだと思っていたイリスは驚いた。イリスが戸惑っていると、エアネストが胸のポケットから何かを取り出す。
「忘れていたわけではないのだが、渡すタイミングがなかなかなくて。これが預かっていた手紙だ」
「あ……」
それは、父・クライスト伯爵からの手紙だった。
イリスは手紙を受け取る。封蝋の紋章は確かに実家のものだ。なぜか自分ではなく国王に宛て送られたもの。読んでよいのか迷っていると、エアネストが開くようにうながす。
「読むといい。封は切ってある」
「はい」
イリスは中の手紙を取り出した。開いて文を目で追いながら、だんだんと顔が青ざめてくる。
「閣下、これは一体——」




