第42話 国王陛下のひとりごと
「なあ、エアネスト。お前、婚約者とはどうなのだ?」
書類にうずもれるようにして机に座るフロイス国王フリードリヒが、ペンを持ったまま彼の片腕である宰相に尋ねる。
あの毒殺未遂事件からもう半年が過ぎた。その後、事件の処理や地方貴族の新たな問題が起こったりしていつも以上に忙しく、エアネストがイリスと婚約式を挙げたのはついこの間である。
「どう、とは? 手を止めないでください。この案件の決済は本日中に議会に提出ですよ」
「ううむ、読むところが多すぎるのだ。もっと簡潔にまとめた資料を作らせろ。……いや、話をそらすなよ。イリスとは上手くいっているのか」
「ひとの婚約者を呼び捨てにしないでください。陛下が気にされることではありません」
表情ひとつ変えない相手に、フリードリヒは顔をしかめた。手元の資料にサインをしながら、彼は唇を尖らせる。
「こう毎日仕事を詰め詰めにされたら、クリスティーネのところへ行けないではないか。お前もイリスという婚約者が出来たのだから、時間を作って会いに行けよ」
「陛下がさっさとやるべきことを終わらせてくだされば、私も暇になるのですが」
「そもそもの量が多いんだ。お前と同じ処理速度を俺に求めるなよ。もう少しいたわってくれないか」
ぶつぶつと文句を言う国王に、エアネストは選別していた書類から目をあげた。
「どこにいたわる必要が?」
毒のせいで一時期体調を崩していたフリードリヒだが、治療後は健康そのものである。肌ツヤも良い国王を、エアネストは冷ややかに笑う。
それを見たフリードリヒはやれやれと言ってペンを置くと、腕を組んでジロリと宰相を睨んだ。
「王妃宮にもっと頻回に来いと公爵夫人が怒るのだ。そろそろ世継ぎもいるだろうが。俺がジジイになってからでは遅いのだぞ」
言われたのは本当だが、フリードリヒは単に王妃によしよしと慰められたいだけである。美しく優しい妻は彼の心の癒しなのだ。
拗ねる国王に、エアネストは仕方なさそうに溜め息を吐く。
「今、信頼できる補佐官を探しているところですよ。陛下の負担が軽くなるように」
「おお、ありがたい!」
「私も少しは時間が欲しくなりましたから」
そう言ってエアネストは横を向いた。フリードリヒもつられてそちらを向く。彼の視線の先には、宮廷魔術師達の研究室のある棟があった。
「お前が女性に興味を持つ日が来るとは思わなかったな」
「ひとを欠陥人間みたいに言わないでくれますか。私も人並みの感情は持っています」
「だが、どんなに美しい令嬢達に囲まれても、眉一つ動かさなかったではないか。あんまり冷たくあしらうものだから、みんな吹雪に遭ったみたいに凍りついていたぞ」
「やらねばならない仕事が山積みなのに、女性と遊んでいる暇などないでしょう」
「だが、イリスは別だったのか」
うぐっと言葉に詰まったエアネストを、フリードリヒはにやにやと眺める。
「俺に小姓を付けると言った時に、女性だというから変だと思ったんだ。たいして危険でもないのに攻撃魔法を使える魔術師を選んだとか言うし」
「陛下が狙われていたのは本当だったではないですか」
「彼女に怖がられているから、さりげなくフォローしてくれと言ったのは?」
「…………」
エアネストは白い頬をほんのり赤くして、そっぽを向いてしまった。
仕事に支障をきたすからと言い訳していたが、蓋を開けてみればこれである。途中からなんとなく気付いていたが、ここまでべた惚れだったとは。
「もっさりした地味な子だったから、まさかと思ったが。侍女になると言った時、素直に後見を引き受けたのもわかっていてやったな」
「何をです?」
「わざと噂を否定しなかっただろう」
「誰の目に入るかもしれないのですから、牽制はしておかないと。彼女は美人なので」
美女揃いとして有名である王妃の侍女達の中でも、彼女の可憐な姿は際立って目をひいていたらしい。後で知ったフリードリヒは、エアネストがイリスの隠された容姿をどこで知ったのか疑問に思って尋ねたが、彼はそれを語らなかった。
「魔塔の長にはイリスに職場を斡旋しないよう頼みこみ、クライスト伯爵家には先に手紙を送って逃げられないよう先手も打ち……。イリスは知らないのだろうな。お前の企みは」
「失礼な。まるで陥れたみたいに言わないでください」
ジロリと睨む宰相に、国王は肩をすくめてみせた。
「それで、ちゃんと本人にもうんと言わせたのだろう。どうやってイリスを落としたのだ? あんなにお前に怯えていたのに」
「大変でしたよ。臆病な子ウサギを懐かせるのは」
エアネストはふふふと笑って目を伏せる。氷の美貌を誇る宰相は、意外と恋には燃えるタイプだったらしい。きっと、彼女の心をつかむために、いろんな策略を練ったに違いない。
自分が何重にも張り巡らされたワナに捕まったのだと、彼の婚約者はいつ気付くだろうか。
フリードリヒがイリスを少しばかり気の毒に思っていると、サインのすんだ書類を抱えてエアネストが立ち上がった。
「この書類を持っていってきますね。サボらずに仕事をしていてくださいよ」
「言われなくてもやるからさっさと行け」
口をへの字にして、しっしっと追い払う国王に、宰相は軽く笑って背を向ける。
「全く、怖いやつだ」
フリードリヒは部屋を出てゆくエアネストに聞こえないよう、こっそりと呟いた。
彼の婚約者は今でも魔術の研究をしている。彼女の手助けした工事で、氾濫を繰り返していた川は無事に堰が築かれ、水路の引かれた農地では豊かに作物が育っている。
エアネストの改革もあと少し。彼等の結婚式までには、宮廷内も落ち着いてくるだろう。そうなれば自分ももう少し王妃とゆっくり過ごせるはず。
「まあ、国にとって益になるならなんでもいいが」
とりあえず、今はこの目の前に積み上がる仕事をどうにかしないといけない。
フリードリヒはげんなりしながら、またペンを持って机に向かった。




