第36話 夢の終わり
「おい、イリス。何やら感動的なやり取りをしているようだが、私にはどうなっているのやらさっぱりわからん。早く説明しろ」
抱き合う二人の横で腕を組んで立つライナーが、痺れを切らして声を掛ける。
イリスはスンと真顔に戻って、ライナーに顔だけを向けた。
「ライナー様、そこにいたんですか」
「冗談言っとる場合か。この淑女をいつまでこんな部屋に閉じ込めておくつもりだ」
「そうですね。宮廷の中より私の家に身を隠した方が良いかも。ライナー様、悪者が押し掛けても絶対安全な結界魔法を教えてください」
「それは構わんが……、だから事情をさっさと教えんか!」
足踏みするライナーにイリスはふふふと笑った。いつも振り回されていたライナーを焦らすのは楽しい。ライナーも完璧な淑女であるゾフィーの前では、いつもの傍若無人ぶりも発揮できないと見た。
日頃の恨みでもう少し放置してもよいが、彼には解呪もしてもらわねばならない。イリスは惜しく思いながらも説明することにした。
「ライナー様が言っていた容疑者は、すべてハズレだったんです」
「なんだと?」
「宰相閣下は陛下の身を守ろうとしていました」
かくかくしかじかとこれまでの事を伝えると、ライナーはぽりぽりと無精髭の生えた顎をかく。小姓になったり侍女になったりと、宰相の元へ預けられたイリスが奔走していた事に、少しは責任を感じたらしい。
「その、なんだ、悪かった」
「結構大変でしたよ」
「ああ、苦労したみたいだな」
「では、夢魔の呪いの解呪をお願いします」
「うむ」
「夢魔の呪い?」
二人のやりとりを聞いていたゾフィーが首を傾げた。イリスはあのね、と説明する。
「ライナー様の魔法陣が暴発して、夢の中に入るようになってしまったの。それを今から解いてもらうわ」
「まあ、それで?」
ゾフィーが目を丸くする一方で、ライナーは床に複雑な模様を描き出した。大きな円の中を、踊るように呪文が並ぶ。完全に黒魔術で描かれているが、光が飛び散るような星のような図形だ。
イリスはその中心に立つ。
ライナーが呪文を唱えると、魔法陣は銀に輝き、イリスを星が包み込んだ。その瞬間、身体から紫色の煙が立ち上る。しかし、銀色の光はその煙にふれると輝きを増し、焼き尽くすかのように消し去った。
「これで大丈夫だ」
ライナーの終わりの言葉を聞いて、イリスは大きく深呼吸をする。
ようやく夢から解放された。
嬉しい反面、もう夢ですらエアネストには逢えない事にじわじわと胸が痛む。
「これで本当に終わりね」
自分に言い聞かせるようにイリスは小さく呟いた。
翌朝、イリスはゾフィーに外套を羽織らせて宮廷を出た。そのまま街にあるイリスの自宅へと向かう。身を隠すにはそのほうが安全だろうとの判断だ。ライナーが作ってくれた魔法陣を家に掛ければ完璧だろう。
「あのお店のパンは、宮廷のシェフの作るパンに負けないくらい美味しいのよ。毎週日曜日に広場に来る露店では、いつも果物を買うの」
街の人々が行き交う石畳の道を歩きながら、イリスは普段自分が通う店をゾフィーに教える。石造りの建物のガラス窓を覗くと、焼きたてのパンがずらりと並んでいるのが見える。
「私、街では宝石店かカフェくらいしか入ったことがないわ」
「ふふふ、普通はそうね。あそこの食堂とか、メニューも多くておすすめよ。ドレスでは行けないけれど」
ゾフィーはもの珍しそうにきょろきょろと見ていたが、ふと気になったのかイリスに尋ねた。
「イリスは伯爵家を出て、いつから魔術師になったの?」
「この国に来たのは一年前だけど、魔塔の魔術師学校に入ったのは十年前ね。それから家には帰ってないわ」
「ええ? そんなに?」
「私、ザクラス王国には友達もいないし、研究が楽しかったから」
こんなふうに友人と歩いたこともない。
魔術師の友達とは少しは遊ぶこともあったが、そもそも女性の魔術師はあまり多くなかった。それもイリスが自分から壁を作ってしまっていたので、仲が良い友人はごく僅かだ。イリスは今になって後悔している。
ゾフィーのように、話ができる友人がいると楽しいのだと今更ながらに気がついた。
「ゾフィーは社交界にも出ていたでしょうし、たくさん友達もいるでしょうね。全部が済んで落ち着けば、手紙を書くといいわ」
「そうね。イリスみたいに自分で生きていけるようになれたら……」
ゾフィーも先々の不安に向き合う気力が出てきたようだ。明るい笑顔が見えて、イリスも微笑む。
「ここが私の家よ。小さな借家だけど、隠れて住むにはちょうどいいわ」
イリスは家の鍵を開ける。
「まずは先にこれをしておかないと」
杖を取り出すと、扉に向けて魔法陣を描く。
青く輝いた魔法陣は建物全体を包み込むように広がると、また小さく縮んで木の扉に吸い込まれるように消えた。
「さあ、入って」
ゾフィーをうながして家の中へと入ろうとする。
と、その時、
バアン
鼓膜を貫くような大きな音とともに、イリスの頭のすぐ横を何かが通り過ぎた。
きな臭い匂いが辺りに漂う。
家の外壁に何かがめり込んでいるのを見たイリスは、急いでゾフィーを扉の中に押し込んで振り返った。
誰かの悲鳴が聞こえて、慌ただしく街の人々が走って逃げてゆく。
(どうしてここが?)
イリスの目の前に現れたのは、一人の軍服を着た将校と、十数人の部下らしき軍人達だった。
先ほどの銃声は、将校の構える短銃から発射されたものだろう。彼の後ろの何人かはマスケット銃を構えている。
将校は短銃に弾を込めなおしながらイリスを睨んでいた。
「シュトイベン大尉……」
背後の扉の陰から、ゾフィーの息をのむような掠れた声が聞こえる。
まだ捕えられていなかったのか。
イリスの背中を冷たいものが滑り落ちた。
「マルヴィッツ男爵令嬢を引き渡せ。彼女は国王の暗殺未遂犯だ」




