第34話 証人の保護
ゾフィーの夢から覚めたイリスは、着ていた夜着から魔術師のローブへと着替える。髪をわざとくしゃくしゃにすると、ゾフィーの訪れるのを待った。
まだ夜は明けておらず、外は暗い。
しかし、厨房ではすでに火をおこしパンを焼いているのだろう。窓から細い煙が空に上がっているのが薄く見える。厩の掃除に向かう馬丁の姿も遠くにあった。
(来るか、来ないか……)
これは賭けだ。彼女を助けられるかどうかの。
イリスは静かに時が過ぎるのを待つ。
コンコン
王妃の侍女達が起きるよりも一時間ほど前になって、不意に部屋の扉を叩く音が聞こえた。無言で扉を開けたイリスは、立っていたゾフィーの腕を掴むと中へと引き込む。パタンと扉を閉めて鍵を下ろすと、イリスはにこりと微笑んだ。
「待っていたわ」
「イリス——、夢じゃないのね」
ゾフィーはイリスの服装を見て、ほうっと大きく息を吐いた。
「ゾフィー、薬は持ってきた?」
「ええ。これよ」
ゾフィーが手のひらを開くと、緑色のガラスの小瓶があった。その中には瓶の半分ほどの量の水が入っている。イリスは『よし』と呟いた。
「今から王妃宮を出るわよ」
「どこへ行くつもり? 宮殿の門は閉まっていて、衛兵もいるのに」
「心配しないで。私が王妃様に呼ばれていたことにして外に出るわ。ゾフィーも一緒に行きましょう」
「でも、私がいると大尉に連絡が行くわ」
不安そうに小瓶を両手で握り締めるゾフィーに向けて、イリスはふふふと笑って見せる。そして、袖から杖を取り出すと、床に向けてくるりと真円を描いた。
「見えなければ大丈夫でしょ」
*****
宮廷魔術師長ライナーは私生活が謎の人物だ。イリスが以前にそう評したとおり、彼は大抵自身の研究室で寝泊まりしている。
前日夜通し新たな魔法陣の開発をしていたライナーは、明け方近くになってようやく研究室のソファーで横になった。さすがに疲れたと思いながら深呼吸をして、すうっと眠りに落ちかける。
と、その時、鍵をかけていたはずの部屋の扉が突然バタンと大きな音をたてて開いた。
「ライナー様、起きてください。お仕事です!」
「なっ、なんだ? イリス?」
飛び起きると目の前には部下のイリスともう一人、大人しげな令嬢が立っている。
「この淑女を誰からも見られないように研究室で匿ってください!」
「ええ? その令嬢は誰なんだ」
「それは後から説明します。陛下の毒殺未遂事件の大事な証人ですから、絶対に守ってくださいね」
「なんだと?」
「私はアロイスのところへ行ってから宰相閣下に話をしてくるので、くれぐれもよろしくお願いします。彼女、近衛兵に見つかったら危険なので!」
「おい、こら、説明してから行かんか!」
ライナーが焦って呼び止めるが、イリスはバタンと扉を閉めて行ってしまった。
「なんなんだ、一体」
ライナーが唖然としていると、残された令嬢が申し訳なさそうに立っている。さすがのライナーも、貴族の令嬢を目の前に放置して寝るほど図太くはなかった。
「まあ、狭いところですが、座ってください」
「ありがとうございます。あの、私はマルヴィッツ男爵家のゾフィーと申します」
「ご丁寧にどうも……、私はライナーです」
ゾフィーが深々とお辞儀をして名乗る。ライナーがつられて頭を下げると、ゾフィーはライナーの示したソファーに座りながらにこりと笑った。
「イリスから聞いています。魔術師長様ですね。魔塔の中でもトップクラスの天才魔術師だそうで」
「うむ? イリスがそんなふうに?」
褒められて悪い気はしないライナーだった。こほんと咳払いを一つすると、胸に手を当て改めてゾフィーにお辞儀をする。
「私がいる限り、貴女に手は出させません。近衛兵であろうと指一本触れることはできないでしょう」
「頼もしいですわ」
きりりと格好をつけるライナーに、ゾフィーは大きな目を見開いた。そして彼に向けて期待を込めた視線を送る。楚々とした美少女の賛辞にライナーの気分も上々だ。
「ゾフィー嬢、ご朝食がまだではないのかな? ちょっと調達してくるので待っていてください。くれぐれもこの部屋から出ないようにお願いします」
「はい。お優しいのですね」
感謝の言葉とともに大人しく頷くゾフィーに、眠りを妨げられたことも忘れて機嫌も良い。ライナーは素早く部屋に守護の結界を張ると、足取りも軽く食堂へと向かった。




