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宮廷魔術師の転職事情  作者: 藤夜


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第32話 優しい上司も危険です

 この姿をエアネストに見られてどうなるか、思い当たらなかった自分が馬鹿だった。金の髪に赤い瞳、化粧をした今の自分は夢魔の時の姿によく似ている。


「——申し訳ありません、閣下!」


 イリスは椅子から飛び上がると、床にがばりと土下座した。

 そういえばこの部屋に入った時、彼はイリスの姿を見ても驚いた様子がなかった。ということは、初めから気がついていたのだ。

 エアネストは立ち上がると、だらだらと冷や汗を流すイリスに近づき膝をつく。そして、その両手をとると優しく立ち上がらせた。


「女性に跪かせる趣味はない。君は魔術師長の命令で、夢に入って犯人を調べていたのだろう? ルイスの夢にも入ったのではないかな」

「そう……ですが」

「そうではないかと思っていた。もともと君の正体を探る為にそばに置きたくて、魔術師長から君を借りたのだ」

 

 ものすごい推理力、そして鋭い観察眼。そんな前から疑われていたとは。

 しかし、イリスは不思議に思う。あの以前の自分のもしゃもしゃの姿では、夢の中の夢魔だとバレるとは到底思えないのだが。

 イリスはおそるおそる尋ねてみた。

 

「どうして私だと?」

「確信したのは、陛下に毒が盛られたと君が駆け込んできた時だ。でも、疑いを持つようになったのは、君が初めて私の前で魔法を見せた時だな。イリス、君の声は夢の中の夢魔の君と同じだったから」

「声——」


 イリスは舌を巻く。

 毎日のように顔を合わせるアロイスならともかく、一度や二度、夢で会っただけの相手の声を覚えているなどさすがとしか言えない。


「黙っていたのは悪かった。君には少し……、いや、かなり恥ずかしい事をしてしまったから、言い出すのが躊躇われて」

 

 そう言うとエアネストは耳まで赤くなり、イリスから目をそらして口を手で覆う。それはイリスに懇願した上に抱きついた事だろうか。思い出したイリスもボンッと真っ赤になった。


「えーっと、あれはあの、魅了魔法《チャーム》が暴走しまして、本当に申し訳ありません! 夢だと思って忘れてください」


 あわあわと慌てながら謝ると、エアネストは再びイリスを見つめる。


「夢?」

「はい、夢です。魅了(チャーム)の魔力も夢の中だけで、現実(こっち)の私にはあの力はありません。この件が終われば、ライナー様が夢魔になる呪いを解いてくださる事になっていますので、安心してください!」

「では、もう夢には来ない……」

「はい。ついでに、これがすんだら転職を考えていますので、閣下のお目に入ることもなくなりますから」

「それは困る!」


 エアネストが焦ったような声をあげた。

 イリスは『へ?』と思わず変な返事をしてしまう。


「あ、いや……、君は頭もいいし、魔術師としても有能だ。その……、いなくなられると我が国の損失になる。待遇は考えるから、ぜひ残ってもらえないか?」

「はあ……、考えてみます」


 どことなく歯切れの悪い説明に釈然としない気持ちになったが、イリスはとりあえず頷く。すると、彼は肩を下ろして心底ほっとしたようにふわりと笑った。


「良かった——」

「!」


 イリスの目の前に光がキラキラと輝いて見える。殺人級の笑顔とはこのことだろう。イリスは胸がばくばくするのを必死で押さえた。

 

(閣下には氷の宰相でいてもらわないと、こっちの心臓がもたないわ!)


 しかし、この笑顔を知っているのは自分だけだ。宮廷に集まる令嬢達には決して見せない笑顔を、彼はイリスにだけ見せている。そして、彼が夢に入ったことを怒るでもなく、自分の能力を必要としてくれていることが嬉しい。

 ただ単に、国王を狙う事件を追う為のひとときだけの関係なのだが、特別な存在になれた気がしてイリスはどきどきとする。


(勘違いしちゃダメ。彼は私を部下として信頼してくれているだけなんだから)

 

 そう自分に言い聞かせると、ツキン、と心のどこかが痛んだ。


「イリス、どうした?」


 イリスが胸を押さえていると、エアネストが肩に手を置き少しかがんで心配そうに顔を覗きこむ。晴れた日の海のようなサファイアの瞳が目の前に来て、イリスはびくっと飛び上がった。


「顔が赤い。色々と働かせすぎたから疲れているのではないか?」

「いいえ、大丈夫です!」


 そう言ったものの、イリスは更にのぼせて倒れそうになる。


(そんなに優しくしないで欲しい)


「そうか……」


 うつむくイリスの言葉に納得したのか、エアネストは肩に置いていた手をおろす。イリスから離れるエアネストから、ふわりと梔子の甘い香りがした。


 ようやくイリスは悟った。どうして苦手な女の園である王妃宮に、自ら手をあげて入ると言ったのか。


 あれは、エアネストに認めて欲しかったのだ。


 国民の生活を良くするための改革を考え、寝る暇を惜しんで仕事をし、命を狙われる国王を守るために目を配る。そして、部下となったイリスの話を聞いて気遣ってくれる、そんな彼に憧れて……。

 

——駄目だ。

 これは『恋』だ。

 

 この時、イリスは生まれて初めて恋を知った。

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