第31話 正体がバレました
イリスは一旦自分の研究室に寄ってから、宰相の執務室へと向かった。手にはライナーのくれた羊皮紙を布に包んで抱えている。
またすぐに王妃宮に戻るつもりなので、着替えはせずにドレス姿のままだ。
国王が王妃の宮殿に泊まった翌日は、エアネストは大抵一日中そこで仕事をしている。コンコン、と扉を叩くと案の定、中から返事があった。イリスはそうっと扉を開き、中へと入る。エアネストは正面の書斎机に座って、大量の書類を積み上げて読んでいた。
いつものかっちりとした姿ではなく、黒のジュストコールの前を開け、シャツの首元も緩めている。難しそうに俯く頬に銀髪がはらりと掛かる様子は、どことなく色めかしい。イリスは一瞬見惚れてしまうが、それどころではないことを思い出してぶんぶんと首を横に振った。
「閣下」
イリスの呼び掛けに、エアネストは手元の文面を追っていた目をあげて、イリスを見る。そして、書類を机の上に置くと目に掛かっていた髪をかき上げた。
「イリス、君が戻って来たということは何かあったのか。昨夜、陛下が王妃宮を訪れたはずだが、また毒を?」
「いいえ、陛下はご無事です」
「では、犯人がわかったのか」
「はい。限りなく疑わしい人物がいます」
イリスが頷くと、エアネストは椅子から立ち上がる。来客用の布張りの椅子にイリスを座らせると、自分もその正面に座り長い脚を組んだ。サファイアの瞳が鋭い光をたたえている。
「それは誰だ?」
「侍女のゾフィー、マルヴィッツ男爵令嬢です。閣下はマルヴィッツ男爵に心あたりはありませんか?」
「……ある。彼は不穏な動きをしている地方の無爵位貴族達と懇意にしていると、ヴィルヘルムの調査で上がっている。彼自身、領民への二重課税で領地を削られているからな。それで、令嬢はどうやって監視の厳しい宮殿に毒を持ち込んだのだ?」
「目薬です」
「目薬?」
首を傾げるエアネストに、イリスは説明する。
「ベラドンナという薬草があります。この植物は目薬として使うと、瞳孔を開かせる効果があるのです。異国で目が潤んで綺麗に見えると好まれ、一時期よく使われていました。彼女はそれを使っていると思われます」
「その目薬が毒だと?」
「はい。ベラドンナの主成分は、アトロピンやスコポラミンなどのアルカロイド。脈を早くしたり、幻覚を起こさせるので錯乱する事もあります。連用すれば不眠になりますし、量を増やせばもちろん死ぬことも」
「彼女自身が目にさして使っている目薬なら、持ち込んだとしても疑われることはないということか」
イリスはこくりと頷く。あくまで聴き取った状況からの推測であるが、まずそう考えて間違いはないだろう。
エアネストは組んでいた脚を下ろして腰を浮かせる。
「マルヴィッツ男爵令嬢の身柄を確保して尋問しよう」
「いいえ!」
エアネストの提案を、イリスは制止した。椅子に座り直して怪訝な表情を見せる彼に、イリスは伝える。
「まだこれは推測でしかありません。毒の混入も現場を押さえたのではなく、ルイーゼ嬢から彼女がいつも水差しを運びグラスに水をそそぐ係だったと聞いただけです。混入させるならその時しかないのですが、証拠はまだありません」
蝶よ花よと愛られる貴族令嬢に、牢獄での尋問など耐えられるものではない。きっと、無理矢理にでも吐かされてしまうだろう。
しかし、イリスにはそれをしたくない理由があった。
「ゾフィー嬢は父親に命じられているに違いありませんが、尋問でそれを喋るかどうかはわかりません。その間に、背後にいる男爵や他の貴族達に気付かれると困ります」
「先走って黒幕を逃すな、と?」
「生意気言って申し訳ありません。先に証拠を固めたいのです。彼女の裏に誰がいるのか探ります」
王妃の侍女であるゾフィーが、個人で国王の毒殺を企むはずはない。必ず背後にいる男爵と、その周辺の貴族達が指示したことに違いないのだ。実の娘を暗殺の道具に使うとは。イリスは胸に怒りが湧いている。
「閣下、もしゾフィー嬢が私達に協力すると言ったなら、彼女の身柄は保証していただけますか?」
じっと見つめるイリスの真剣な眼差しに、エアネストも何かを感じたらしい。
「わかった。君の言う通りにしよう。その捜査に並行して、ヴィルヘルムには男爵の周辺の動きを調べさせる。……しかし、君はどうやって彼女に話をさせるつもりだ?」
「それは——」
イリスは羊皮紙の包みを膝の上に置いたまま、どう説明するべきかと口籠る。
視線を揺らして迷う彼女に、エアネストは何故かくすりと笑った。
「『夢の中に入って』かな?」
「か、か、かっ……」
驚きのあまり声が出ないイリスに向けて、彼は困ったように腕組みして首を傾げる。
「私の夢の中にも入っただろう、魔術師殿」




