第3話 転職先を考え中
ハッと気がつくと、そこは宮廷だった。魔法陣の暴発で吹き飛ばされた後、しばらく意識を失っていたらしい。イリスは研究室のソファに寝かされていた。
(良かった!)
人生の終わりはまだだった。イリスはほっと胸を撫で下ろす。
(それにしても、とんでもないわ。若い男にのしかかって、しかも相手があの宰相のエアネストだなんて)
宮廷には美しいドレスを身につけた、咲き誇る花のような女性があふれている。しかし、どんな美女達に囲まれようと、彼は常に冷淡な作り笑いしか見せたことがない。
据え膳を置かれても放り出すくらい女嫌いで有名な彼が、あんなふうに熱っぽい目をして迫ってくるとは。夢には無意識の中の欲が出てくるというけれど、いったいどういう願望だ。
(たぶん爆発の前に彼の話をしていたから、記憶に残っていたのね)
しかし、妙に生々しかった。乱れた夜着から覗いていた彼の均整の取れた身体を思い出し、イリスは赤面する。触れた感触すら手が覚えているようで、記憶を振り払うようにぶんぶんと首を横に振った。
(夢よ、ただの夢!)
気を取りなおして起きあがろうとソファーに手をつくと、右肩に痛みが走る。
「痛たたた」
吹き飛ばされた時に打ったのだろう。肩が少し腫れていた。まあ、あの爆発では怪我をしていない方が不思議なくらいだ。
溜息をつきつつ、イリスは腰に挿していた小さな杖を取り出し宙をなぞる。つい、と円を描くとその軌跡が青く光った。そのまま文字の様な紋様を描くと、左の手のひらでその魔法陣の中央に触れる。
キン、と氷が割れるような音が鳴り、魔法陣が白く輝いた。イリスの指先から吹き出したやわらかい風が渦を描き、光がその身体を包み込む。風が長い髪を巻き上げ、イリスの顔を露わにした。パチリと指を鳴らすと魔法陣は粉々に散って消える。
「よし」
イリスは肩をさすって、痛みがないことを確認した。魔術師学校主席の成績は伊達ではない。この程度の傷を消す魔法は簡単だ。
やれやれとソファに座ってもたれていると、背後の扉がガチャリと音をたてる。
「目が覚めたのか」
振り返るとライナーだった。
「私はどのくらい寝ていたのですか?」
「まる一日だ。もう昼だからな」
思ったより長く気絶していたものだ。このところ研究に付き合って寝不足だったのもあるのだろう。しかし、あの爆発は問題にならなかったのだろうか。
「そういえばめちゃくちゃになった研究室、どうしたんですか?」
「自分で片付けた」
「ライナー様が一人で? 誰も来なかったんですか」
「あのくらいの事故ならよくある。別に珍しくないからな」
きょろきょろと周囲を見ると、確かにここはライナーの研究室だ。吹き飛んだはずの扉は直されて、爆発の痕跡も綺麗に消えている。宮廷魔術師の長の肩書きを持っているだけはあるなと、イリスは納得した。
あれが珍しくないのは問題だが。
「今日は一旦家に帰るか? 私はまた一から魔法陣を組み直す」
「そうですね」
言葉に甘えてイリスはソファーから立ち上がった。
(午後が休みなら魔塔に手紙を書こうかな。でも、いい職場は近頃少ないし……)
新たな就職先の斡旋を依頼しようと思うが、平和主義のイリスにとって報酬が高い職は見つけにくい。この国のように農業や公衆衛生に魔法を利用するだけなら良いが、大抵は戦争や魔物の討伐にかりだされたりするもの。イリスの母国も同じである。それが嫌になって森に引きこもる同業者も多いのだ。
(周りの国は戦争ばっかりしてるしなあ。フロイス王国は軍がやたら強いから攻めてこないのよね)
そんな事を考えながら廊下を歩いていると、後ろから急に声をかけられた。
「やあ、イリス」
宮廷魔術師の制服である黒の長衣を纏った人物。明るい茶髪で女性のように可愛らしい童顔の男は、イリスの同僚のアロイスだ。
彼はイリスが振り返ると、笑顔を浮かべて手を振った。
「魔法陣が暴発したって聞いたけど、怪我がなさそうで良かったよ」
「怪我はしたけど治したのよ」
立ち止まったイリスはぶすっとして答える。
ライナーが不眠症を治療する魔法を作ると言った時に、彼は真っ先に逃げたのだ。新人の若い魔術師は、このフロイス王国ではイリスとアロイスの二人だけ。彼が嫌だと言ったせいでイリスが犠牲になったのだから、愛想良くしてやる気はない。
そんなイリスの気持ちを察したのだろう。アロイスは気まずそうに苦笑いを浮かべる。
「そんな怖い顔をしないでくれよ。魔術師長の補佐は、僕より首席の君の方が相応しいだろう」
「危なくってやってられないわ」
「それは……」
言葉に詰まるアロイスを、イリスはふんと鼻で笑う。
「だいたい陛下だって眠れないだけじゃないのよ。時々動悸もするっていうし、休養させないと」
「宮廷医は侍従長にそう言ってるんだろう?」
「仕事が多くて宰相が休ませてくれないんだって」
イリスがそう言った途端、前方から二人の官僚が歩いてくるのが目に入った。深い紺色に金の刺繍が入ったジュストコールを着た青年と、黒の軍服姿の大男。
彼等に道を譲り、イリス達は口をつぐんで廊下の端に立つ。
(エアネスト宰相とヴィルヘルム大佐だわ)
噂をすればなんとやら。向こうも会話をぴたりとやめて、自分達の横を通り過ぎる。頭を下げて通り過ぎるのを待っていたイリスは、すれ違うエアネストをちらりと見た。
昨晩の夢とは全く違う。銀髪をなでつけ衣服の襟も乱れはない。冷たい横顔はきゅっと唇を引き結び、声を掛けることすら許されないような厳しい表情を浮かべている。
一瞬、彼が自分を覚えているのではと期待したイリスは自分を恥じた。
所詮あれは夢。一介の魔術師を宰相の彼が知るはずもない。そして、仮にあの夢が現実だったとしても、夢の中のあれはイリスの本当の姿ではない。
(なんであんな夢見たんだろう)
全くイリスの方を見ることもなく去って行ったエアネストを、イリスはなんとなく切ない思いで見送った。




