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宮廷魔術師の転職事情  作者: 藤夜


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第2話 夢か現実か

 イリスは子どもの頃から人と話すのが苦手だった。

 家はそこそこ裕福な貴族で、両親と兄との普通の一家である。優秀な兄は、貴族の通う大学(アカデミー)でも友人が多く人気者だった。

 しかし、彼女は兄とは違った。

 

『目が怖い』

 

 まだ幼い頃、父の友人の子供にそう言われてショックを受けて以来、イリスは長い前髪で目を隠している。両親も侍女達もそんなことはないと何度も説得していたが、イリスは絶対に顔を見せようとはしなかった。

 社交界ではそんな陰キャな少女に声をかける令嬢はいない。彼女は初めて招かれた茶会《サロン》でぼっちの洗礼を受けたが、さほど気にはしなかった。一人の方が気楽で良い。二年間で親友と呼べる友は一人も出来なかった。

 そして、イリスのむさ苦しい髪型は、魔力を見出され魔塔の魔術師学校へ入学しても変わることはなかった。

 

 一方、魔塔では魔力と頭脳が全て。魔術師達は外見を全く気にしない。イリスは研究一筋、友人は出来たが、すっかり喪女になっていた。イリスは普通のつもりだったのだが、暗かったせいかあまり使い手のいない闇の精霊に気に入られたくらいだ。

 年頃になってもボサボサの頭に顔の半分を前髪で隠したイリスに、塔の長のマーリンだけが『少しは綺麗にしてみたら?』と苦言を呈したものの、彼女は全く意に介さなかった。

 

 

 魔術の研究は楽しい。面倒な人付き合いは極力ない職場がいいと思って、研究さえしていればお金がもらえると聞いたフロイス王国の宮廷魔術師の職を選んだのだが——。





 眠っていたイリスは、スンスンと鼻をならした。なんだか甘い匂いがする。梔子《くちなし》の花でも近くにあるのだろうか。まだ眠かったが、あまりに良い香りだったので興味の方が勝った。


 仰向けになっていた身体をごろりと横にして、ゆっくりと目を開く。すると、自分がやたらと豪奢なベッドに寝ていたことに気がついた。手首まで沈み込むような柔らかな白い布団、天井から垂れ下がる薄い紗の布に囲まれて、まるで王族の寝室のようではないか。

 

(夢?)


 確か自分はライナーの魔法が暴発して、宮廷の研究室で寝てしまったはず。起きたと思ったのに、まだ夢の中なのだろうか。その疑問を肯定するように、イリスの周囲には煙のような白い霧が漂っている。

 

「ここはどこ?」

「私の寝室だ」

 

 思わず口から出た問いに、すぐそばから声が返ってきてイリスは飛び上がった。慌てて手をついて起き上がると、目の前に夜着をはだけた男性が横たわっている。銀糸のような髪が霧の中で淡く輝いていた。


(誰?)


 額から流れる前髪の細い束が乱れて頬にかかっている。寝ていたところを起こされた、彼はそういうかのようにくしゃりとその髪をかきあげた。深い海を思わせるサファイア色の瞳が、僅かに戸惑うように視線を揺らしてイリスに向けられている。


 どこかで見たことがあるような、そう思いながらイリスは自分の記憶を探る。しかし、こんな美形の男が果たして自分の周りにいただろうか。ぐるぐると頭は混乱するものの、はたと思い出してイリスは目を剥いた。


(氷の宰相!)

 

 いつもの隙のない端正な装いとは違って気だるげな色気を醸しているが、これは宰相エアネストその人に違いない。

 そして、気がつけば自分は彼の腹の上に座っている。ギョッと目をむくと、エアネストは手を伸ばしてイリスの髪に触れた。

 

「……まるで妖精のようだな。私のもとに現れて誘惑するとは、もしや君は夢にでてくるという魔物なのか」

「ま、魔物?」

 

 言われていることはよくわからないが、とにかく顔が近い。他人に見せられる造作ではないと自負しているイリスは、髪を引くエアネストにできる限り見られないようにと両手で顔を覆った。赤い眼が気味が悪いとずっと言われてきたイリスには、間近で顔を見られること自体が恐怖だ。


 しかし、エアネストは彼女の手を取り、更に自分の方へ引き寄せようとする。


「は、離してくださ……」


 そう言いかけたイリスの目に、壁にかけられた鏡が目に入った。

 鏡の中にはベッドの上に横たわる男性。その上にしどけなく座っている華奢な女性の姿が見える。なめらかな白い肌の背中には黄金に輝く髪が流れ落ち、ほっそりとした長い手足と豊かな胸、折れそうに細い腰。可憐な顔立ちでありながら、煽情的なぽってりとした紅い唇。


——確かに、魔性の美。


 魔物と呼ばれても仕方がない。女性であるイリスでも、ひれ伏したくなるほど神秘的な美しさだ。そして、唯一見覚えのある真紅の瞳が、驚いたように見開かれていた。

 赤く輝く双眼は縦に瞳孔が裂けている。


「これ、私??」

 

 エアネストに視線を戻すと、彼はうっとりとしてイリスを見つめたままだ。

 これは絶対に夢。それ以外にはありえない。


「君のような女《ひと》なら魔物でも大歓迎だ。さあ、おいで」

「い、いえ、これは何かの間違い! そんなつもりでは……」


 いやいやと頭を振って、迫る男の胸を押し返す。すると、身を引くイリスの手を握って、男は熱に浮かされた笑みを浮かべた。


「こんな所へいきなり現れて、今更それはないだろう」

 

(だめだ、これはとってもヤバいやつ!)

 

 どうして魔物の姿になっているのか。仮に自分がそうだとしても人間を襲う魔物が人間に襲われるなんて、とイリスは震え上がる。必死で彼の手を振り払うとベッドから転がるように飛び降りた。そのまま部屋の扉へ向かう。


 ガチャリ


 しかし、無情にも扉には鍵がかかっていた。エアネストはイリスを捕まえようと近付いてくる。

 

(夢だとしてもこれはイヤ!)

 

 これは絶体絶命だ、と思った瞬間、バルコニー側の開いたガラス扉が目に入った。一瞬迷うが、これが夢ならきっと死ぬことはあるまい。

 

 決心したイリスは、男の横を素早くすり抜けガラス扉の外へと飛び込んだ。バルコニーの手すりに身を乗り出すと、ひゅうと風が髪を吹き上げる。

 

「危ないからこちらへくるんだ」

 

 背後から焦ったエアネストの声がした。しかし、手すりに足をかけたイリスは思い切り蹴り出す。

 

(落ちる!)

 

 夢でなければ終わりだな。そう思った途端、イリスの視界は暗転した。

 


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