第1話 上司の魔法が大暴発
フロイス王国には宮廷魔術師がいる。
彼らは宮殿の片隅で神の創りたもうた世界の理を日々研究し、魔術の発展と実生活に役立てることを目指していた。
イリスもその一人である。彼女が補佐する魔術師長ライナーの目下の研究テーマ、それは不眠症の治療魔法。眠れぬ夜を過ごし日中の生産性を低下させるその病を、魔法で解決しようというものだった。
「あと少し……、質の良い睡眠のためには夢のリズムを整えなければ」
「ライナー様、そんな魔法にこだわらなくても、薬で寝かせてしまったらいいじゃないですか」
「馬鹿か。いかにして健康で上質な眠りを導くかが大事なんだ。薬がないと寝られんのでは解決にならんだろう」
複雑な形の魔法陣を机の上に広げてあれやこれやと書き加える。それを隣で見ながらイリスは首を傾げた。
各国からの独立組織であり求めに応じて魔術師を派遣している魔塔、その教育課程をイリスは女性初の主席で卒業した。そして魔術師の中でも非常に名誉なエリート職業である宮廷魔術師になることを選んだのだが。
イリスは自身の就職先にフロイス王国を選択した事をすぐに後悔した。
——上司ガチャに失敗した。
戦争の少ない平和なフロイス王国に就職すれば、面倒な仕事もなく研究室にこもって安泰に暮らせると思ったのに。このライナー、魔術研究者として魔塔に登録されている魔術師の中でもトップクラスと聞いていたが、イリスが見る限りどうでもいい研究ばかりしている。同僚の話によると、ライナーが上司であるせいで何人もの魔術師が辞めているらしい。そして他の魔術師達が嫌がるので、年若いイリスはいつもこの上司のヘンテコな研究に付き合わされていた。
「陛下の不眠症は、単に仕事のし過ぎで疲れているのが原因でしょう。三日ぐらい仕事を休んで、無理矢理眠らせたら治りますって」
国王フリードリヒはまだ三十代半ばの若さで、国内の政治に外交にと非常に忙しくしている。その働きぶりは傍目に見ても過労死レベルだ。寝つきが悪いからと毎夜酒を飲むのも良くない。
「宮廷医から侍従長に進言させたら良いのでは?」
「侍従長には言ったが、宰相が陛下の休むことを許さんのだそうだ」
宰相エアネスト・フォン・ライゼル。国王の右腕で切れ者と評判の男だ。
父親が王族でもある公爵家の主人、そしてたいそうな美形でありながらいまだ独身。その理由は彼があまりにも女性に冷たいせいであると言われ、銀髪に蒼色の瞳もあいまって社交界では氷の宰相と呼ばれているという。
「あの方ならやりそうですねえ」
彫刻のように表情の変わらない顔を思い出し、イリスはふむと納得する。まあ、政治の表舞台には出ない自分には、一生縁のない人物だ。
イリスが生返事をしていると、ライナーが不意に屈んでいた身体を起こした。
「よし! あと少しで術式が完成だ」
どれどれ、とイリスも覗き込む。複雑怪奇な紋様が刻まれた魔法陣に、イリスは顔をしかめた。
「なんだか黒魔術みたいな形の呪が入ってません?」
「おお、わかるのか」
「わかるのかって、ライナー様、白魔術と黒魔術は混ぜたら危険って言ってませんでしたっけ?」
そう尋ねた途端に、イリスの目の前で机の上が妖しい紫色の光を放ち始めた。イリスはギョッとして後退る。
「わわわわ!」
「これはまずい」
ライナーが素早く呪文を唱える。
それと、同時に閃光があたりを包んだ。
ボゴーン
岩が砕けるような音がして、爆風が部屋の扉を吹き飛ばす。逃げ損なったイリスの身体も壁に叩きつけられた。バラバラと音をたてて天井の漆喰が剥がれ落ちる。もうもうと白煙が立ちこめる中、イリスは床に突っ伏していた。
ライナーはといえば、自分だけに防御結界を張っていたらしい。破壊された室内を眺めながら平然としている。
「すまん。暴発したようだ」
(すまん、じゃすまないし!)
声が出ない。身体は痛いが、どうにも眠いのは爆発したのが不眠症の治療魔法だったせいなのか。
過去の魔術師達が辞めていったという理由に納得した。これに付き合っていては命が危険だ。まだ二十四歳。死ぬには早いと自分でも思う。
(ああ、ダメだ。すごく眠い)
薄れていく意識の中で、イリスは転職をしようと心に決めた。
この作品を目にとめていただきありがとうございます。
作品中に現代用語のスラングが多用されていますが、異世界コメディですのでどうかご容赦ください。




