第28話 侍女のお仕事
ザクルス王国からクリスティーネ王妃のもとに侍女見習いが来たという噂は、一部の貴族令嬢の間で瞬く間に広がった。
その理由として挙げられるのが、その侍女見習いが宰相エアネストの紹介であった事である。女性嫌いとして有名な彼が、異国の令嬢を連れて来て世話をしている。それは宮廷内に不意に沸いたセンセーショナルな話題として、あちらこちらで囁かれていた。
イリスとしては、もう少し目立たないようにできなかったのかと溜め息が出る。王妃の侍女達を探るための潜入なのに、余計な気をつかってしまう。
「イリス、ビューロー夫人が呼んでいるわ。王妃様に午後のお茶をお出ししましょうって」
「……わかったわ、ゾフィー」
マルヴィッツ男爵令嬢のゾフィーが、花瓶に花を生けていたイリスに声を掛けた。
彼女は一番歳が若く大人しそうで、男性の庇護欲をそそる榛色の大きな瞳が美しい女性だ。イリスより年下だというがしっかりしている。なにも知らないイリスに、細々とした王妃宮の決まり事を教えてくれていた。
ゾフィーの後ろにはカートを押したメイドが控えている。イリスは彼女達と一緒に王妃のいる部屋へと向かった。
歩きながらイリスはこっそりと溜め息を吐く。
(毎日、お茶してお菓子を食べて、読んだ本の話や音楽や絵の批評をして……。これならライナー様の手伝いの方がマシかも)
宮殿の侍女とは、なんと優雅でつまらない仕事だろうか。王妃は病院や孤児院への援助や外国からの客人のもてなしなどのさまざまな仕事をこなしており、女官長やベテランの夫人達はそれに付き添っている。しかし、見習いのイリスが出来ることは、王妃の午後の休息のお相手ぐらいだ。
浮かない顔をしていたからだろう。ゾフィーがイリスの顔を覗き込む。
「まだ慣れない? イリス」
「もともと話すのは苦手なの」
「そう? おしゃべりは楽しいのに」
こういう場所はイリスは昔を思い出すので苦手だ。誰もイリスに話しかけようとしなかった貴族の少女達のお茶会。ぼっちが不便とは思わなかったけれど、それでも決して居心地が良いものではなかった。
人と目を合わせるのも怖かった少女の頃に比べれば、今はだいぶん度胸もついた。しかし、女の園の怖さを知っているイリスは、どうしても俯きがちで口数が少なくなる。ゾフィーはもちろん、周囲には外国から来たばかりという事で、だいぶん気を使ってもらっていた。
(公爵夫人は大丈夫だと言ってくれるから……)
無理には喋らず、イリスは侍女達を観察することに専念している。その点では出身地が異国というのは良かった。
王妃宮にはイリスとゾフィー以外にも、独身の令嬢が二人いる。
深いマホガニー色の髪の少し気の強そうなドロテア、東方の血が混ざっているのか艶やかな黒髪と緑の瞳のエキゾチックな顔立ちのルイーゼ。順にシュヴェリーン伯爵令嬢とハイデンベルク伯爵令嬢、いずれも若く美しい王妃の侍女達だ。
(シュヴェリーン伯爵とハイデンベルク伯爵は保守派貴族みたいだけど、王妃様はわざと彼女達をそばに置いているのかしら)
政治改革を推し進める国王は、何かと敵を作りやすい。王妃はその緩衝剤となるべく働いているのだろう。
しかし、そのうちの誰かが王妃を裏切り、国王に毒を盛っている可能性がある。
(一体誰がどうやって毒を入れたのか、なんだけど)
考えながら歩いていたイリスは、すぐに王妃のサロンに着いてしまった。
ゾフィーが部屋のドアを叩く。返事がして彼女が扉を開くと、中にはすでに王妃と侍女達がそろっていた。
ゾフィーの後に続いてイリスも入る。すると、ビューロー男爵夫人のシャルロッテが、にこやかに笑って手招きした。
「ゾフィー、ありがとう。イリス、こちらに座りなさい」
イリスが彼女の指し示すテーブルに座ろうとすると、ドロテアがムスッとした顔で睨みつけてくる。ルイーゼはツンとしたままそっぽを向いており、ゾフィーが『気にしないで』と囁いてイリスに早く座るようにうながした。
(困ったものだわ……)
心の中でそう呟きながら、イリスはそろそろと椅子に腰掛ける。どうもドロテアとルイーゼの二人に、イリスは嫌われているらしいのだ。何か気に食わないらしく、イリスが話しかけてもツンケンしている。
メイドがカートに乗っていた菓子をテーブルの上に並べて紅茶を淹れる間、侍女達は最近流行っているものの話で盛り上がっていた。アルニム伯爵夫人のフリーデリケが、夫と一緒に観てきたという劇の演目について話題をふった。
「最近王立歌劇場で上演されている劇が、とても面白いと評判ですのよ。わたくしも観てきたのですが、おかしくて笑ってしまいました」
「そんなに面白いの?」
王妃が興味深々で尋ねると、フリーデリケは大きく頷いた。ボルケ男爵夫人のヘンリエッテも、身を乗り出すようにして同意する。
「わたくしも観ましたわ。貴族になりたい大商人が楽器を習ったり哲学を学んだりして努力するのですが、教師が全部詐欺師で騙されてしまうのです」
「彼には一人娘がいるのですが、彼女を貴族と結婚させようとしたり」
「でも、その娘には平民の恋人がいて、二人は結婚するために父親を騙すのですわ」
かわるがわるにそう説明する二人に、王妃は目をキラキラさせた。
「面白そう。陛下に頼んで観に行こうかしら」
「ぜひそうされてくださいませ」
「すごく面白いですよ」
イリスが来て仏頂面をしていたドロテアとルイーゼも、観に行きたくなったようでそわそわしている。その様子を眺めながら、イリスはぼーっとしていた。
全く興味がない。
イリスは喜劇を観に行くより、研究室で分厚い魔術の本を読んでいる方がわくわくするのだ。メイドが淹れてくれた紅茶をすすりながら、イリスは話半分にしか聞いていなかった。
「イリスもエアネスト宰相に連れて行ってもらったらどう?」
急に王妃に話しかけられて、イリスはびくりと飛び上がる。
「さ、宰相閣下にですか?」
その途端、ドロテアとルイーゼがギロリとイリスを睨みつけた。イリスはたじたじとしながら、なんとか声を絞り出す。
「か、閣下はお忙しいので、わたくしなどに時間を割かせるわけには——」
「あら、婚約者になる女性を観劇に誘うくらいはしていただかないと」
「こ、婚約者?」
何気なく発せられた王妃の台詞に、イリスは目をむいて驚いた。




