第18話 捜査の中止
「えあねすと?」
イリスの質問に、大佐はきょとんと首を傾げる。
「知らないの?」
「ヴィー、しらなーい」
しまった。まだエアネストと出会う前の年齢だったか、とイリスはがっかりする。この調子では、今のエアネストの行動は聞き出せそうにはない。
これ以上は無理だ。
イリスはそう判断して立ち上がった。
「あ、ママ、どこいくの」
「ちょっと隣の部屋へ」
「おいていっちゃダメ!」
ヴィルヘルム大佐はすくっと立ち上がると、背を向けたイリスの腕を引っ張る。不意を突かれたイリスはどさりと床に倒れ込んだ。その上から大佐が甘えるように抱きついてくる。
「重い!」
大佐の巨体がイリスにのしかかり、体重をかけられるとどうにも身動きできない。圧死の危機に陥って、イリスは目を白黒させた。
(これ、夢でなかったら本当に死んじゃう)
「ちょっと、ママを死なせたくなかったら退いてぇ」
「えー」
しぶしぶイリスの上からコロンと転がり降りて、ようよう座り込んだイリスの脚に頭を乗せ、今度は膝枕の体勢を作る。
「おなかすいた」
「お腹?」
ぽんっとイリスの手に哺乳瓶が現れる。ルイスの時のように、夢の主人の希望が物質化したらしい。
指をしゃぶりながら催促する大佐に、イリスは仕方なく彼の首を腕で支え、哺乳瓶でミルクをあげることにした。
(哺乳瓶で良かった……)
んっくんっくと凄い勢いでミルクを飲むのを見下ろしながら、イリスは危うく乳母の真似事をさせられるとこだったと胸をなでおろす。
しかし、このゴツい大佐の哺乳瓶に吸い付く姿は、本当に見るに耐えない。イリスは気持ち悪さにうえっとなりながら、どうにか逃げられないかと隙を探した。
ミルクを飲みきった大佐がゲフッとげっぷをする。それからごろんとイリスの前に仰向けに転がると、今度は大きく脚を横に広げた。
「ママ、おむつかえて」
「————っ!」
イリスはわなわなと身体を振るわせる。
我慢の限界を通り越して、プツンと何かが切れる音がした。
「そこまで出来ないわよ、あなたもう大人でしょ!」
イリスは腕を振り上げると、寝ている大佐の顎の下を思い切り拳で殴る。
「あら……」
みるみる周囲に白い霧が立ち込めて、イリスはやっと解放された。
*****
「イリス、昨日は何かわかったかい?」
翌朝出勤したイリスに、偶然廊下であったアロイスが背後から声を掛ける。振り返った彼女のゲソっとした顔を見て、アロイスはあらら、と苦笑した。
「どうも上手くいかなかったようだね」
「この国の職員、みんなストレスが溜まっているのかしら? 変態ばかりで男性不審になりそうよ」
「わあ、なんか楽しい事があったみたいだ」
「全然楽しくないわよ」
ライナーの研究室へ向かうイリスにくっついてくるところを見ると、彼も一緒に話を聞くつもりらしい。ちろりとアロイスの顔を見上げると、彼は僕も報告があるんだ、とにっこり微笑む。
仕方ない。イリスは大佐の名誉を守るために、詳細は伏せて報告する事にした。
コンコンとイリスはライナーの研究室の扉を叩く。
「ライナー様?」
呼びかけると『入れ』という声が返ってきた。
二人が中へ入ると、ライナーがものすごく不機嫌そうな顔で執務机に座っていた。
「どうされたんですか?」
アロイスの問いに、ライナーはぶすっとして頭をがりがりとかく。そして、溜め息を吐くと、二人に向けて口を開いた。
「宰相の奴が、魔術師の不眠治療は要らんと言ってきた」
「なんですって?」
「どうしてですか」
驚く二人にライナーは首を横に振る。
「私にもわからん。もしかしたら、我々が宰相を疑って調べている事に気がついたのかもしれん。イリス、ヴィルヘルム大佐からは何か聞き出せたか?」
「いいえ……、昨夜は大佐の夢に入ったのですが、彼が乳児期の夢を見ていて会話が出来なかったのです」
「そうか。仕方ない」
「今夜また夢に入って……」
イリスがそう言うと、ライナーは手を挙げて止めた。
「夢に入るのはしばらく中止だ。大佐と宰相はセットだからな。今、宰相の事を探るとマズい。夢の記憶が起きても残っているかもしれん。アロイスがそうだろう」
「はい。何故か鮮明に残りました」
「夢魔の関与する夢は残りやすいんだ。イリス、あの魔法陣にはお前の名前を書いておくのだぞ。そうすれば誰の夢にも入らないですむ」
「わかりました」
イリスは頷くが、これは困った事になった。これではアロイスの毒の確定から捜査するしかなくなってしまう。
「ライナー様、陛下はあれから毒を飲まされた形跡もなく、体調も良いようです。その事を報告しに来たのですが、僕の方はどうしましょう」
アロイスがライナーに問う。
彼は国王の解毒を任されている。アロイスのおかげで今は国王は元気になっているが、また毒を盛られたら悪くなってしまう。
「解毒魔法は必要だ。私もその事は宰相には食い下がって伝えた」
「では引き続き僕の方は、毒の解析と陛下の解毒を続けたら良いのですね」
「いや、それなのだが、宰相が妙な事を言ってきたのだ」
「妙な事?」
イリスとアロイスは顔を見合わせた。
「イリス、お前、アロイスの代わりに陛下に魔法を掛けたらしいな」
「はい。彼に魔法陣の描き方を聞いて行きました」
ライナーはむうと唸って腕を組む。
「宰相がイリスを貸せと言ってきたのだ」
「ええ?」
「なんですって?」
二人は同時に声を上げた。




