第30話 帰還
シトラスの街に入った。城門を入ることは容易かったが、城下の街はやはり騒然としていた。
喧噪の中から聞こえてくる街の人たちの声。アイラの生存の噂はすっかり定着しているようだ。そして、聖女の噂もしかり。
――それでも、牛の聖女ってどうなのよ。
「ダリアさん、なかなか良い装備が手に入りましたね」
ソフィアは、ダリアの全身を眺めながら褒めた。新装備は銀色のライトアーマーに円形のシールド、剣は、地味な見た目ながら炎を付与できる魔法剣だった。
「アイラが、大枚をはたいてくれたおかげだ」
ダリアもご満悦のようだ。
「使い道よ。それに金塊のままじゃ使えないもの、ちょうど良かったのよ」
路銀が手に入ったのは好都合。この先、自分達がどうなるのかは未定だったが、備えはしておかねばならない。
「でも、私だけ新調してもらって申し訳ない気分だ」
「何言ってんのよ、それも必要だったからよ。やっぱりピッカピカの白銀装備はまずいわ」
ゼペッタに出会えてよかった。世間知らずのまま城内に入っていたらどうなっていたのか、想像するだけでゾッとする。
「それにしても、気前が良かったですね。ゼペッタさん」
後ろで手を組み軽やかに歩くソフィア。
「それはまぁ、何と言っても、私の師の盟友だからな」
鼻高々なダリア。
「違うわよ、お金の力よ」
上機嫌の二人に、アイラは現実を教えた。
――まったく、これだから田舎者とお嬢様は。アイラは悪態をつきながら溜息を漏らした。
「ここは、活気のある市場だったのに……」
フードで顔を隠しながら、アイラは周囲の様子を観察した。空気が重いわ。
行き交う兵士たち、あちらこちらで男たちが何やら話し合っている。皆の顔は一様に深刻な表情だった。
さて、どうしようか……食事、今夜の宿に当てはない。この街の者ならば、アイラの顔を見知っているだろう。思い悩んでいるときだった。目の前に壁ができる。身を覆うような影。見上げると。
「その赤い髪、隠していても分かるぞ、それに、そちらにおられるのは、もしや」
震える男の声、その声の主をアイラは知っている。ゆっくりとフードをめくると……周囲に歓声が上がった。
「おお、やはりアイラ様、お探しいたしましたぞ」
ガチャリと鎧が鳴る。目線を合わすようにしゃがみ込んだ男は安堵するように笑顔を見せた。
「ラ、ライアン!」
思わず叫ぶように名を呼んでしまった。懐かしさが込み上げる。家族の顔が次々と脳裏に浮かんできた。
「よくぞご無事で」
感慨深そうに話したライアンが、がっちりとアイラの肩を掴んだ。
取り囲む兵士達からも、次々と喜びの声が聞こえてくる。涙ぐんでいる者さえいた。
――私は、帰ってきた。ようやく。
「森の中を、随分と歩いたわ」
道々に、旅の話をしながらアイラは屋敷へと向かった。もちろん、辻褄を合わせて。
「ダリア、本当によくやってくれた。ありがとう」
ライアンが頭を下げる。
「い、いえ、私は。助けられたのはむしろ私の方です。アイラ様は立派でした」
「良かったな、これでもう、お前も無罪放免だろう。それにしてもダリア、良い顔つきになった」
「あ、いや、しかし……」
「聖域の話は聞いているだろう。そもそもが無茶な話だったのだ。それをあのローガンとかいう司祭のせいで」
「ライアン、領内で、何が起きているの?」
嬉しさのあまり胸がドキドキしていた。けれど、今は感傷に浸っている場合ではない。
現に、現状を尋ねるとすぐにライアンの顔つきは硬くなり、兵士たちも押し黙ってしまった。
「アイラ様」
話しかけて口をつぐむ。ライアンは周囲に目を配った。兵士達も心なしか緊張をみせていた。
「わかりました。では話は後ほど。さあ参りましょう」
「はい、では我らが護衛を仕ります。ヒューゴ様も、マリア様も、さぞや驚かれることでしょう」
「……お父様、お母様」
ライアンの口から父の名前を聞いた途端に目に涙が滲んでくる。アイラは、鼻をすすった後、目をゴシゴシ拭いた。――行こう、これからが本番だ。
屋敷に到着すると、リリーが真っ先に飛び込んできた。しがみついて泣きじゃくるリリー。他の使用人達も安心した様子で喜び合っていた。
――私は、こんなにも皆に愛されていたのか。アイラは一人ずつ顔を見ながら感謝を伝えていった。
そうして、いよいよ広間へと通される。
静まり返る屋敷、長い廊下を三人で進む。
「いよいよね、決着をつけるわよ、ダリア」
左右にダリアとソフィアを従え、扉を押した。
アイラは息を飲んだ。中に入った瞬間の静けさに心が冷えた。まるで処刑場に足を踏み入れたように錯覚していた。
中を見回す。正面に父と母が。少し離れて右側に祖父と司祭がいた。
――面子は揃っている。
畏まりながら前へ進む。跪き首を垂れた。
……なんだろう、この空気。
おそるおそるアイラは顔を上げた。そこに優しい両親の顔は無かった。
「お父様、お母様……」
二人の顔を見る。父は厳しい目で口を引き結び、母は唇を震わせながらアイラを見つめていた。
「お前は、誰じゃ?」
面白がるように話したのは祖父だった。
「お爺様、アイラは、お約束を果たし、いま、戻りました」
相手のペースには乗らない。アイラは表情を変えずに話した。
「アイラ? さて、アイラとは? 儂の可愛い孫は不憫にも亡くなってしまったのじゃよ」
お前は誰だと、祖父は重ねて尋ねてきた。父は眉間に深い皺を作って状況を見ていた。
「お爺様、女神様のレリーフならこちらに」
アイラは、鞄から証拠の品を取り出して見せた。父は驚くように眉を持ち上げた。
なにか事情があるに違いない。アイラは、軽く頷いて父に応えた。
「こんなものがなんじゃ!」
祖父が、アイラから奪うようにレリーフを取り上げる。
「お爺様、これで、ダリアは無罪、私の騎士とすることを、約束の通りに」
アイラは強く大きな声で言った。けれど祖父はレリーフに見惚れるばかりで聞く耳を持っていなかった。
「おお、これは美しいのう。どこの馬の骨やもしれぬ冒険者と子供の献上品とは思えぬほど上等なものじゃな」
「お爺様、お約束を。でなければそれはお渡しできません!」
「お前、無礼であるぞ!」
祖父が癇癪をあげる。母は両手をぐっと握りしめたままハラハラしているようだった。
――祖父の不遜な態度、押し黙る父。何が起こっているのか。
母は、ひどく辛そうだ。父も目をつむり黙して語らず。もしかしたら、私が二人を苦しめているのか。だとすれば……アイラは試すことを思い付く。
「父上、探索に出かけた者も、アイラも……死にました。私は、それでよいと存じます」
アイラは父の顔を見た。意を悟ったのだろう、父の目がチラリとローガンの方を向く。
これで察した。これは神殿絡みの事態だ。だから、父も母も、今は従うしかないとしてこのように振る舞っているのだろう。
「無能は死んだ。そもそも無魔力の者は、禍をもたらすと、神殿よりの通達じゃ」
なるほど、そういうことだったのか。アイラは祖父の横でニタニタ笑う司祭をみて状況を理解した。
「僭越ながら申し上げます。領主様」
アイラは父親の方を向き直った。
「何か?」
父親は苦しい顔をしていた。
「私どもが、祠に入ってすぐに、ダンジョンが変質いたしました。幸いにして、レリーフらしきものを得た後、森へ逃れることができましたが、そこにも魔獣が――」
「おい、痴れ者が。どうせ、しっぽを巻いて出てきたのであろう。これも本来の女神様のレリーフではない。どこで手に入れたかは知らぬが、大きな口を叩くな」
祖父のしかめっ面。この人は、ここまで私を憎んでいるのか。
「偽物と言われますか、それならば、お返し願えますでしょうか」
アイラは、煮えくり返る腹のまま祖父を睨みつけた。
「お、お前は! このように我が領を窮地に追い込んでおきながら!」
祖父は怒りのまま、レリーフを枠から外すと、木の枠を投げつけた。
木の枠が目前に飛んでくる。アイラは咄嗟に身を伏せた。
カンッと音がして木の枠が床に落ちる。頭に受けた衝撃に一瞬目がくらむ。
額に当てた手が血で濡れていた。
――なんだ、なにが起きたの? アイラは、空笑いをしながら床を見つめた。
「父上ぇーー!!」
声を荒げた父が立ち上がり祖父を睨みつけた。今にも剣を抜きそうな勢いだった。
「お父様! お静まり下さい!」
アイラは顔を伏せたまま大きな声で父親を止めた。
「ヒューゴ、お、お前は。これでシトラスは安泰。これは大儀だぞ、儂は守ったのじゃ」
「貴様ぁ!」
「あ、あなた」
とりなす母親。アイラは父と母、それぞれと目を合わせてから一礼した。
「領主様、奥方様、面前でこのようなご無礼をお詫びのしようもございません。此度の一件は、おっしゃる通りで、承知いたしました。アイラ・シトラス、およびダリア・アッカリーの両名は死亡、そのために罪は問えぬこととなり、以後は不問にて決着。それで間違いはございませんか」
「間違いはない。この場で、祖父、司祭殿ともに了承する」
断言した後で、父は両名にも同意を促した。即座に二人は頷いて答えた。
「これで、一安心だな、ヒューゴ、これは領地を守る為に必要な処置じゃ」
祖父がしたり顔を見せる。父は苦虫を噛み潰したような顔で唇を噛んだ。
「領主様、アイラ様のことはお気の毒と存じます。……心よりお悔やみ申し上げます」
アイラは言葉を詰まらせた。
「アイラ……」
ダリアの両手がそっと肩を抱く。
その優しい腕の中でアイラは決意した。私は、負けない。やれることはある。
「そ、それでも……ア、アイラ様のご遺体は出てはおりますまい。……ね、願わくば、諦めず」
必死に言葉を紡ぐが、嗚咽が込みあげてくる。
――どんなに遠く離れようとも、みな私の家族だ。しっかりしろ、愛する人達を守るんだ。
「もうよい、猿芝居はよせ。アイラは死んだ。居場所はない。なに、運があれば、聖女様がお救いくださるじゃろう。本当に奇跡があるのならばな。アッハッハッハ!」
「領主様、奥方様、これにて……失礼いたします。」
声を振り絞り伝えた。
――お父様、お母様……どうか、お健やかに。
アイラは唇を噛みしめた。渦巻く心、胸を抑え悲しみを無理に押しつぶす。これでいいんだ。




