第29話 噂話
フェニステラの町を出て四日、アイラたちはフォート・リベの街を目指していた。
フォート・リベは、元は砦から発展した街で、シトラスの東を守る要衝の城塞都市である。
「厄介なことになったわ、あれからまだ数日なのに。これって、みんなソフィアのせいよ」
聖女の一件だ。この手の噂話は質が悪い。この先、どんな尾ひれがつくか、想像するだけで寒気がする。それなのに、何で彼女はこんな手柄を取ったような顔をしているのか。アイラはむっとした。
「いいじゃありませんか、誰もアイラ様が聖女だなんて思っていないのですから」
いけしゃあしゃあとソフィアが答える。彼女の言い分、それは、確かにそうだ。分かっているので言い返すことはできない。それでも釈然としない。
「聖女の奇跡か。でも言い得て妙だな。水を飲ませて怪我を回復させてしまったのだから」
ダリアは事もなげに言った。――おいおい、それは聖女を肯定しているということだぞ。
「私だって、あんなことになるなんて思ってもみなかったわ。あの温泉で汲んだ水が、まさかポーションになるなんて」
「ポーション? アイラ様、ポーションって何ですか?」
なんだ、ソフィア、その反応は。
「はあ? 何って、怪我の回復の為に使うあれよ。冒険者の必需品、標準装備でしょ?」
「怪我の回復? 薬草ならあるぞ、でもその、ポーなんとかってのは聞いたことがないな」
ダリアも何のことだと首を傾げた。
これはどういうことだ? ひょっとして、この世界にはポーション的なものが存在しないのか?
……思えば妙だった。確かにあの水は怪我を回復させた。
しかし、その効果はアイラが飲ませたときに最も効果を発揮していた。
ソフィアでは弱く、ダリアではダメだった。
もしかすると魔力に関係するのだろうか。
しばらく歩くと、遠くにフォート・リベの城壁が見えてきた。
「なんだろう? 凄いな……」
ダリアが呟いた。街の入り口、通行門の前に黒山の人だかりができていた。冒険者ふうの男女、魔法使い、それに……あれは武器を売る隊商だろうか。
「まるで、戦争の準備ね」
ソフィアが目を細める。
「魔獣騒動で街々が守りを固めるってことなら分かるわ、でも」
……これは異常なことだ。アイラは胸をざわつかせた。フェニステラの魔獣騒動からこの方、村々を通るたびにピリッと緊張感が増していっているのは感じていた。でもそれは、魔獣の襲撃の報が伝播したせいだと考えていた。
「すんなり街に入れるといいけどな」
ダリアが、じっと見つめてくる。正体を隠し通すのはもう無理だぞと言っているようだ。
アイラは唸った。――さて、どうしたものか。
とりあえず長い行列の最後尾に並び、周囲の者の様子を見る。聞こえてくる声に耳を澄ました。
「みな、一攫千金を狙って集まっているようですね。でも、どこか腑に落ちない」
ソフィアは口に手を当て眉根を寄せた。荷馬車に積まれた大量の武器を見ていた。
「そうだな」
ダリアは相槌を打つと、腕を組み表情を引き締めた。
「おお、やさぐれ冒険者のダリアじゃないか」
後ろから豪快な声が響く。見ると、がっしりとした体躯の小さな中年が、茶色の髭を撫でながらガハハハッと笑っていた。
「これは……まさか、ドワーフ!!」
街の騒動をそっちのけで、アイラの胸は高鳴った。
「ゼペッタさん!」
ドワーフの顔を見るなり、ダリアが背すじを伸ばした。
「ダリア、誰なの? あれ、ドワーフなの?」
アイラはウキウキしていた。
「ああ、アイラ、紹介しよう。こちらは、ドワーフの名匠、ゼペッタさんだ。私の師匠の盟友でもある」
「……ドワーフ、ついに、出たわね」
「どうかしたか?」
ゼペッタが、髭をしごきながらフードの中を覗き込む。まさかな……ドワーフは呟きながら、ダリアとアイラの顔を交互に見た。
「ダリア、それに聖女様、私も、紹介して頂けませんか?」
ソフィアは、ニッと白歯を見せた。――こいつ、またこれ見よがしに。
「聖女……」
ゼペッタが一同を見回す。これは、どういうことじゃ? と低く呟いてアイラの顔を見た。
「ゼペッタさん、何か?」
彼は難しい顔をしていた。それは分かっていた。だが、好奇心の方が勝ってしまっていた。
アイラは前掛かりになり心を躍らせていた。
「い、いや、儂も噂でしか知らんのだがの、お前さんが辺境伯のご令嬢、アイラ様なら……」
「なら?」
「よもや、本当に生きておられたのか、いや、そのようなことは……では、幽霊?」
ゼペッタはダリアの顔を覗き込んだ。への字口、眉間に深い皺を寄せて、うーんと唸る。
「いやだわ、ゼペッタさん。この世に幽霊なんて存在しませんよ」
アイラは自信満々に言った。
「ふむ、それでは、いま儂の目の前にいるのが、アイラ様。でもなんでダリアが……」
「ゼペッタさん、あのね、事実、幽霊になれなかった私が言うのですから間違いありませんわ」
「お前さん、何を言っておるのじゃ?」
唖然とした様子で凝視してくるゼペッタ。分からない人ね、とアイラはさらに説明する。
「この世にあるのは残留思念、それは幽霊ではありません」
「いやいや、そうではなく。お前さん、死んだことになっておるぞ」
「何を言っているのですか? 私はこのようにピンピンと」
「アイラ・シトラス様は、ご病気で亡くなられたと領内にお触れが出たそうじゃ。じゃが、今は領地危急のとき、葬儀は騒動が収まってから執り行われると」
「へ? 病気? そ、葬儀ですって!」
アイラは絶句した。
「じゃが、おもしろいことに」
ゼペッタは見聞きしたことをつぶさに語った。口元に微かな笑みを浮かべていた。
アイラは、そのまま沈黙した。続く話は耳に入ってこなかった。
――私は、死んだ。そうか、死んだのか。
予想はしていた。けれど実際に聞くのは辛かった。
「お、おい、アイラ、大丈夫か!」
ダリアの声にハッとする。ええと、なんだったかしら、アイラの心はその場になかった。
「死んだ人間が、どうもシトラスに向かっているようだ。あれは幽霊か、いや、生きていたのではないか、と、まことしやかに噂されているようですよ、聖女様」
「おい、しっかりしろよアイラ」
ダリアが揺さぶる。アイラの頭は真っ白になっていた。
――その夜、アイラはゼペッタの一行と共に宿に入った。
入城はドワーフたちに紛れてのことだった。一連のことを憂慮したゼペッタが気を回してくれたのだ。街が混乱していることも幸いし、アイラたちはすんなり街に入ることができた。
「まずは、現状を把握しなければならないわ」
アイラは頬を叩く。テーブルを囲む面々が頷きを返した。
「どうやら、まずいことになっているようですね、聖女様」
ソフィアが、いつになく真剣な眼差しを向けてきた。重苦しい空気の中、アイラは気を引き締める。
「聖域の異変が、まさかこれほどのことになっているとは」
これは、自分の死亡認定どころの話ではない。アイラは、寄る辺なく浮つく気持ちを抑え込むために、深く息を吸った。
「聖域のダンジョン化に、先遣隊二十名の全滅……」
これは相当なことだ。ソフィアが顔を曇らせる。
「森の中は魔獣で溢れかえっているそうだ。フェニステラの異変は無関係ではなかったな」
ダリアが続ける。言いにくそうな重い口調だった。
「異変、脅威に備える。これは辺境伯が持ち得る軍事力の所以でもあるのじゃがな」
「そうですね、でも、辺境伯の武力も相当のはずなのに、それでも人手が足らないなんて……」
ダリアは難しい顔をして考え込んだ。
「意見を聞かせて」
アイラはゼペッタを見た。
「武器と戦力の補充、これは長期戦の構え。シトラス辺境伯は賢明な領主様じゃな。一筋縄では行かぬとすぐに判断された」
「そんなところに、死んだ娘の私が帰っていいのかしら。領内を混乱させるだけでは……」
アイラは下を向いた。ぐっと歯を食いしばる。いま、優先すべきは、民の安全、家族を守ることだ。父の足を引っ張ることは、全ての命を危険にさらすことと同義ではないのか。
「儂は、むしろ行くべきだと思うぞ。アイラ様」
朗々とした声でゼペッタは言った。ふっと顔を持ち上げると明るい笑顔があった。
「ゼペッタさん……」
アイラは軽く眉を持ち上げた。背中を押してくれるのはありがたいが簡単なことではない。
「これまでの話を聞く限り、お前さんらは、戦力として一軍にも勝るじゃろう、それに」
言いながら、ゼペッタはダリアに向かって手を出す。それを見せろと紅の剣を指さした。
「どうぞ」
ダリアが剣を差し出した。
「お前さんらの装備、これほどの代物は、恐らくは王家も持っておらぬぞ」
「そこまでなの?」
アイラは、身に纏うローブの裾を持ち上げて見た。
「そうじゃな。ボロで隠したのは正解じゃった」
ゼペッタは真顔になった。
「ゼペッタさんが、そこまで言うとは、この剣はとんでもない代物だったんだな」
ダリアはゼペッタから戻された剣を見つめて息を呑んだ。
「そうじゃ、危ういところじゃったな。それは国と神殿を巻き込む恐れがある」
ゼペッタは話しながら横目でアイラを見た。
「それほどの、ことでしたか……」
アイラは口を噤んだ。――考えが浅はかだったわ。
「まぁ、いずれは通る道ですけどね」
ソフィアは何食わぬ顔で飄々と話した。
「じゃが、用心はした方がいい。でなければ、シトラスはアッカリーと同じ道を辿る」
ゼペッタが口を引き結ぶ。ダリアは厳しい目つきで下を向いていた。
「今後のことは、よく考えて動きましょう」
アイラは前を見据える。事態は、もはや個人でどうこうできる範疇を越えている。
それでも……守らねばならない。私は家族を守りたい。




