第28話 予兆
来た! イベントだ。アイラは束の間、心を躍らせた。
「アイラ、剣を!」
ダリアが前を見据えたまま手を伸ばす。ソフィアは既に臨戦態勢を整えていた。
舞う土埃、怒声に混じる悲鳴。
背すじがゾッとする。アイラは現実を直視して首を振った。
――そうだった。これは、遊びではなかったわ。
鞄から胸当てと剣を取り出してダリアに渡す。アイラもローブを纏った。
『サーチ!』アイラは念じる。
魔獣の数は二十、特殊個体はいない。
「聖女様、お先に」
短く告げて、ソフィアが先に行く。
「ダリア、ソフィア、数は二十、魔獣は、でっかい蟻よ」
アイラは走りながら指示を出した。現場には幌のついた大型の荷馬車が一台。取り囲み奮戦しているのは自警団か、冒険者か。怪我人は、いまのところないようだ。良かった、間に合った。
「アイラ、これは変だぞ」
魔獣を掃討した後にダリアが眉間を寄せる。
「本当ね、この馬車、なんで町から離れようとしているのかしら」
馬の向きを見て、ソフィアも不思議そうにつぶやいた。
間もなく、中年の男が荷馬車から降りてきて頭を下げた。
その男の顔を見てアイラは、さっとフードを被った。
――どこかで見たことがある顔だ。
「ありがとうございます。命拾いをしました」
男が礼を言うと、荷馬車を守ってきた男たちも集まってくる。
彼らは口々にアイラ達の活躍を褒めたたえた。
「あなた……あなたは、フェニステラの町長じゃないか!」
思い出したようにダリアが言うと、男はバツの悪そうな顔で目を泳がせた。
これは、どういうことだ? アイラは町の方に目を向ける。
煙のようなものがうっすらと立ち上っていた。
「もしかして、あなた方は町から逃げてきたのではありませんか?」
ソフィアが尋ねた。
「……それが、その」
男がチラリと後ろに目をやる。不安な目で母親にしがみつく子供が二人。
町から? でも、なぜ、このような場所でこの人たちは魔獣に襲われていたのだろうか。
アイラは訝しんで男の顔を見た。すると男が狼狽しながら事情を話し出した。
「あなた! 町を預かる者が、一番先に逃げるとはどういうことですか!!」
アイラは、込み上げる怒りのまま町長を叱りつけた。
「聖女様、どうか、気を静めてください」
ソフィアは、飛びかかる勢いのアイラを後ろから抑えた。
「せ、……聖女様?」
首を傾げる町長。離れたところで子供が泣きだした。
「……いいわ、町を襲っている魔獣は私が討伐します」
「あなたが? いや、聖女様がですか?」
「そうよ、何か、不満かしら?」
「い、いえ……」
「周囲に危険はない。ここに魔獣は来ません。奥様と子供たちは護衛を付けてここで待たせるといいわ。でもあなたはダメよ、町長、あなたは私たちと町に行くのよ」
アイラは荷馬車を走らせた。護衛から二人、アイラ達と町長、六人で町に向かう。
町に着くと、冒険者や自警団が蟻の群れに囲まれていた。
「いくわよ!」
アイラは先陣を切って町に入った。放たれる石の弾丸が蟻を打ち抜く。
「凄い数、でもキラーアントが群れで町を襲うってどういうこと?」
ソフィアがレイピアを振るう。すぐさま五匹が切り刻まれた。
「強さは問題ではないが、こう数で押し寄せられればな」
詠唱を終えたダリアが、炎で五匹を焼き尽くした。
町の入り口に固まっていた群れを一掃したところで、冒険者達が集まってきた。
「ありがとう、助かったよ」
見れば傷だらけだったが、まだ戦えそうだ。それに目も死んでいない。
どうやらアイラ達を見て戦意を取り戻しているようだ。
「町長が命を賭して救援を呼びました!」アイラは彼らを見回して告げた。後ろで、「ひいぃ」と町長の声がした。
ダリアとソフィアは、そのまま掃討を続けている。アイラは暫しの猶予を見て、町長を手招きする。さあ、檄を、と言って背中を押した。
「み、皆さん、聖女様が駆けつけてくださいました。見たでしょう、彼らは強い。私たちも、町を守るために彼らと共に戦いましょうぞ」
「敵の数は東西南北にそれぞれ約三十、合わせて百程度よ。大物はいない。これ以上、森から出てくる気配もないわ。さあやるわよ、みなで町を守りなさい!!」
「おおおっ!!」
一斉に、意気が上がった。走り出す戦士達。フードの下でアイラは微笑む。
次々と迫りくる敵を難なく討ち果たす。戦いは順調に進むかに思えた。
けれど、意表を突くように屋根から襲い掛かる蟻、瓦礫を飛び越えてくる蟻に手こずると、徐々に相手の数に押されてしまう。
――しまった。囲まれてしまったわ。
壁際に追い込まれる。一匹がアイラに向かって突進してきた。
反射的に防御の姿勢を取るものの直撃は避けられない。
アイラは歯を食いしばった。なんとか耐えるしかない。
ドン!という音、前からかかる圧力。アイラは跳ね飛ばされ壁に打ち付けられた。
背中に鈍い衝撃が走った。
――今のはヤバいと思ったけど、それほどの痛みはなかったわ。
アイラは立ち上がりパンパンと埃を払った。そうして蟻を見下して笑う。
「このローブ、物理耐性があるのよ、残念でしたぁ」
ローブを翻し蟻の牙を躱すと、そのまま高くジャンプして頭を狙った。
アイラは投擲を駆使して蟻を打ち倒していった。
もうどれくらい駆除が進んだだろうか、アイラは周囲を見回した。
戦場からは徐々に緊迫感が薄れつつある。
ダリアとソフィアも相当数を倒したのだろう。索敵に映る魔獣の反応はもうまばらだった。
アイラは額の汗をぬぐった。索敵を続けながら進む。次の角を曲がったところに人の気配が三つ。
脳裏に浮かぶ人の様子。あれは、避難が間に合わなかった人だろうか。再び走り出し、少し広い場所に出ると、そこには横たわる男性としがみついて泣いている二人の子供がいた。
「大丈夫かしら?」
声をかけると、子供たちがハッとして振り向く。
「お姉さん、お父さんを助けて」
様子を見て、アイラは唇を噛んだ。横たわる父親の顔は蒼白になっており、息も細い、腹部付近に見える血だまりが深刻さを物語っていた。――これではもう助からない。
「おねがい、お父さんを、お父さんを」
泣きながらしがみついてくる子供たち。アイラはうつむき眉根を寄せた。
近くにソフィアがいれば、なんとかなったかもしれない。いや、この状態では、今すぐに呼んでも間に合わないわね。アイラは、治癒能力を持たない自分を責めた。
悔しさに唇を噛む。いま、私にできることはせめて……これくらいのことしか。
「楽になるように、祈るしかできない。ごめんなさい」
アイラは、鞄から水の入った筒を取り出し、膝に抱いた父親の口元にそっと近づけた。
口元から滴る水。どうか安らかに。
目を瞑り、祈りを捧げたときだった。
ふっと膝が軽くなった。
抱きかかえていた父親の口から「う、うっ」と声が漏れる。
――なんだ!? アイラは目を見開いた。
今度は指先が、ぴくッと動いた。
目の前で血色を取り戻していく父親。
「え? どうして……」
ハッとして、水筒を見た。
そうだった。この水はあの、神殿の温泉の。
その後、アイラは町中を駆け回り、怪我人を見つけては、手にした奇跡の水を与えた。
――その夜。
アイラは町長から是非にと引き留められたが、招きを断り、代わりに空き家を借り受け宿とした。
「ソフィア、その、聖女様って呼ぶのはやめてくれないかしら」
「あらでも、聖女様は正体を伏せたいのでしょう? ずっと顔を隠してたもの」
「いや、いらぬ誤解を受けてしまうでしょ、せっかくこうして月の紋章を隠してもらったのに」
アイラは、どうだ、とローブを見せた。そこにはフェルス村の娘に縫い付けてもらった牛のエンブレムが貼ってある。
「それ、可愛くないわ」
ソフィアは一言でアイラのセンスを打ちのめす。
「それにしても……」
ダリアが窓から外の様子を眺める。外はまだ騒然としていた。当然だ。魔獣の片づけ、怪我人の手当て、家屋の補修などやることは山積みにあるのだから。
「死者が出てしまったことは、残念だったわ。親を亡くした子供もいたし……」
声が掠れた。喉から様々な思いが込み上げてくる。アイラは苦々しい思いで口を結び、眉根を寄せた。
「あれだけの襲撃にあって、これくらいで済んだ、といった方がいい。アイラ、全ては救えない」
「わかってる。分かっているつもりだけど、悔しいわ」
アイラは天井に向かって溜息をついた。
「聖女様、お気持ちは分かります。けれど、他に考えなければならないことがあります」
「ソフィア、他にって、なにか気になることが?」
「そもそも、なぜ、この町はキラーアントの群れに襲撃されたのでしょう」
ソフィアがダリアを見る。意を受け取った彼女は即座に頷いた。
「そうだな。あれは森の中にいて、外にはあまり出てこない。はぐれた奴ならまだしも、群れでとなると不自然だ」
「……不自然?」
アイラは、ふと聖域の異変を思い出した。
「アイラ、聖域に魔獣が出たことと、この村の異変には、何か繋がりがあるのではないか」
ダリアも同じことを考えていたようだ。言われてアイラはすぐに同意した。
「聖域って、シトラス領のソルディーア様の祠のことよね。そこに魔獣が……」
言ったままソフィアは黙り込んだ。
「ソフィアにはまだ話してなかったけど、私たちはそのソルディーア様の祠からフェルスに来たの。地下のダンジョンを通ってね」
三人は、ここで情報の擦り合わせをすることにした。
森で何かが起きている。
いや、もう森だけの話ではない。
――お父様、お母様、みんなは変わりないだろうか。
嫌な予感が、胸を離れなかった。




