第3話 記憶
――暗い、何も見えない。ここはどこだろう。
ピ、ピピ……聞きなれない音が聞こえる。
硬い何かが口と鼻に被さり、シューシューと空気が……
「愛麗、愛麗、しっかりして、目を開けて、行かないで」
強く握られた手、伝わる温もり。
必死に呼びかける声は……ママの声。
ごめんなさい、私はもう。
こんなになった私を最後まで愛してくれて、
育ててくれて、ありがとう。
私、今度は……
もしも生まれ変われたら、ママのように優しくて強い人間になるね。
ママに心配をかけないようにするわ。学校へ行って、たくさん友達を作って、元気いっぱい走り回って、それから人を助けられるような……人に。
アイラは飛び起きた。
ひどく悲しい夢を見ていた。
死の汀で悲しむ母親、無上の愛を与えてくれた人を幸せにしてあげられなかった後悔。
――ママ、ごめんなさい。
◇◇◇
「アイラ様、大丈夫ですか、おかげんは」
アイラは涙を流していた。
優しく頬を拭われ、ハッとする。
私は……どうしてしまったの?
広い部屋を見回す。
立派な調度品で設えられた綺麗な部屋にいた。
「ここは、どこ?」
「どこって、アイラ様、屋敷でございますよ」
声の方を見ると、心配そうに胸の前で手を組む少女が……
「リリー?」
「そうでございますよ、リリーです」
ホッと胸をなでおろす様子の少女は、アイラ付きのメイド。
屋敷で一番仲良しの使用人だった。
私は、いったいどうしてしまったのか。
今のあの夢はなんだったのか。
ママと呼んでいたのは母とは別人の母親。
頭が重い、意識が混濁していて……あれは誰?
アイラは記憶を辿った。
白い部屋で寝ている大人の……あれは、私?
ええっと……私の周りにいる白衣を着た女の人達は、看護してくれる人で、私の手を取ってくれている白衣の男の人は、お医者様? だよね。
……愛麗、アイラ? アイラ、愛麗? 私は?
「ここは……医大の病室じゃ、ないの? リリー、私は」
「イダイ? の病室? 何をおっしゃっているのですか? ここはお屋敷の中、アイラ様のお部屋ですよ」
「私の、部屋?」
もう一度、部屋の中を見回す。
屋根付きのベッドに、ふかふかの布団。
……いったい、何が起きているのか。
アイラは、両手を持ち上げて手のひらを見つめた。
「リ、リリー! 私、小さな子供になってるわ!」
「何を言っているのですか、アイラ様はお子様、先日、9歳になったばかりではありませんか」
「きゅっ、9歳!」
叫ぶように言うと、リリーがアイラの額にそっと手を当ててくる。
顔を見ると目に涙を浮かべていた。
「寝言でも、小難しい言葉を話していました。目覚めても、先ほどから訳のわからないことばかりおっしゃる。さぞ怖い思いをされたのでしょう。お労しい」
「は、はあ……」
「アイラ様は、悪い夢を見ていたのです。そうして、昨夜の出来事も悪い夢。早く忘れてしまいましょう」
「夢、悪い夢……そうか」
胸に手を当てる。深呼吸をして……うーん。まだ少しだけモヤモヤとしているわね。妙にリアルな夢だったけど……なんだろう、この気持ち。
「アイラ様、お食事はどうなされますか? 軽い物、お茶になされますか?」
「あ、ああ、そうね」
聞かれたとたんにお腹が鳴る。
肩から力が抜けると、ここでようやく意識が鮮明になった。
まったく、おかしな夢を見たものだ。
――私は辺境伯、シトラス家の次女。
私は、魔力を持たない体質で生まれてきた。
けれど、たとえ魔力がなくても、私は不幸だなんて思ったことがない。
お父様も、お母様も、私のことを愛おしく育ててくれているし、姉や弟とも仲がいい。使用人たちも分け隔てなく接してくれている。
そう、私は、魔力ゼロでも毎日楽しく暮らしている。
――まぁ、ただ一人、あのジジイからの扱いを除けばだけどね。
アイラは口をへの字に曲げ、目を細めた。
「リリー、私、誘拐されたのよね?」
「はい、今朝がた、血まみれの女に抱かれて戻られたときには、生きた心地がしませんでした」
リリーは胸の前で祈るように手を組み目を潤ませた。
「おいおい、ここの連中は、娘が攫われたことに朝まで気が付かなかったのか?」
あんぐりと口を開ける。
聞いていたリリーはきょとんとして固まっていた。
「ア、アイラ様?」
「あ、いや、いくら辺境の貴族とはいえ、これではあまりに暢気すぎるな、と」
アイラは、理由を話しながら顎を撫でた。
リリーは丸い目を更にまんまるに見開く。
「なにか?」
愛想笑いを向けると、リリーがおもむろにアイラの両肩を掴んだ。
「ア、アイラ様、どうしてしまったの? 大丈夫ですか、しっかりしてください!」
狼狽するリリー。アイラの目が回る。
揺さぶられて、天井が、部屋がぐるぐる回った。
「リ、リリー、ちょっと待って、落ち着いて、私は何ともないから!」
必死になってリリーを落ち着かせる。
「ほんとうに?」
「ええ、ほんとうよ」
「でも、一夜明けたら、まるで別人のようになってしまって……」
別人? アイラは頬をさすった。何も変わらない。生まれて9歳になって、このように愛らしくて。
頭の中も一緒よ。全部覚えているわ。お父様、お母様、パパにママ? あれ? これ、誰?
アイラは眉間に寄せた皺に人差し指をちょこんと当てて考えた。
脳裏に残る残像……知らない場所、知らない知識。でも知っている……なんだこれ?
「な、なにを言っているの、私は私よ、ほら、この通り、あなたに教わった歌も歌えるわ」
普段通りの姿を見せるために、リリーの村の歌を口ずさむ。
「そのヘタクソな歌、間違いないわ。アイラ様は何もお変わりになっていません」
リリーは、胸まで軽く拳を持ち上げて納得した。
――おいおい。
「それよりも、私を助けた女剣士様は? 私、お姉様にお礼を言わなくっちゃ」
アイラはくるりと向き直り立ち上がった。
しかし、すぐさまリリーに捕まえられてベッドに戻される。
「ダメですよ。アイラ様は、無事に一命を取り留めて戻られたばかり。気絶したまま、ぐったりとしているお姿を見たときには、肝を冷やしました。まだお休みください」
「いいえ、もう大丈夫。この通り、ぴんぴんしてるわ」
「それでも、ダメです。ご領主様から、きつく言いつけられていますので」
「少しだけ、軽くお礼を伝えるだけだから」
「ダメです」
強い目できっぱりと言う。その様子から、アイラは何かよからぬ予感を抱いた。




