第26話 異端審問官
東から差し込む光が、木々の間を通り抜け戦場を照らし始める。
夜が明けた。アイラは敵を見ながら深々とフードを被った。
ゆったりとした動き、緩む表情、ベーレは舐めた態度を見せている。なのに隙がない。
頬をつたった冷たい汗が地面にポトリと落ちる。
――考えろ、こいつはヤバい。 ダリア、戦士長、アイラが束になって挑んでも、勝てるかどうか。
アイラは村の戦士達を見た。彼らは、おそらく彼女の動きについていけない。戦力が欲しい、せめてあと一手。
「いつまで、寝てるのよ、さっさと出てきなさい、ソフィア」
目覚めていることは分かっていた。しかし、袋に入ったままとはどういうことか。
「聖女様、バレていましたか?」
ソフィアが、よいしょっと言いながら這い出てきた。
「まったく、運ぶ方も運ばれる方も、ちょっと間が抜けてやしませんか」
「うーん、らくちんだったので。このままでもいいかなって」
悪びれず微笑むソフィアに緊張感は見られなかった。
こんな切迫したときによくもまあ。
「そんなことよりも、ソフィア。あいつの目的はあなたなのだけど、この際、逃げて、なんて悠長なことは言ってられないのよ」
「もちろん、お手伝い致しますよ、聖女様。お任せください」
のんびりとした口調、ふわりとした足取り。本当に大丈夫なのか、こいつは、と考えながら振りむいたとき、アイラの首筋にピリリと戦慄が走った。視界を切り裂くように光が走る。
「ソフィア!!」
アイラは叫んだ。彼女の足元の地面に刺さる数本のナイフ。それを、あららと見つめるソフィア。
「月の巫女さん、大人しくついてきてくれたらぁ、この人たちの無事は保証しますわよ」
ベーレがにこやかな表情で言う。
「ソルディーア様の司祭様、私はこの村の巫女、離れるわけにはまいりません」
「そう、では仕方ないわねぇ、みんな死んじゃってもぉ、泣かないでね」
ベーレの手刀が天に向かって掲げられた。
――マズい! 風の刃が来る。
アイラは、躊躇なくソフィアの前に立った。ローブを広げ、防御の姿勢を取る。
『サイコキネシス!』念じるが、やはり魔法攻撃は捉えられなかった。
「聖女様、まだ力の使い方がなっていませんよ」
後ろでソフィアが呟いた。
「使い方?」
「要は、軌道を変えればいいのです」
「軌道って、どういうこと?」
「動かすのは、相手の指先でもいいし、足元を少しだけ取って動かしてもいい。これだけで直線的な飛び道具はだいたい躱せますわ」
「あ、ああ、なるほど」
「では、ちょっと見ていてください」
ソフィアが前に出る。
ベーレを見ると、今まさにダリアが斬り掛からんと剣を振り下ろしたところだった。
余裕の表情を浮かべて迎え撃つベーレ。
アイラは、ダリアの剣が、今度もまた躱されるのではと見ていた。
しかし、ソフィアが「えいっ」と声を出し手を翳すと、剣先がベーレの肩をわずかに掠めた。
――すごい。こんなことができるのか。
「えいっ!」
ソフィアが再び小さく掛け声を出す。
今度は、ベーレから放たれたナイフの軌道がほんの少しだけ変わる。一直線に戦士長をめがけていた武器は獲物を捕らえることができなかった。
「では、今度は聖女様の番です」
「あ、はい」
アイラはベーレの動きを追った。
受け身を取ったときに、足元を少しずらす。
『サイコキネシス、えいっ!』
相手の体を少し動かすだけで、風の刃も、ナイフも、悉く的を射ることができなかった。
――これは面白い!
アイラは、調子に乗った。応用として、竜巻が来たときには、軌道上の土を掘ったり、中心軸を傾けてみた。
「ね、簡単でしょ。これ、相手が達人ほど、効果があるのです」
理屈は分かった。正確無比な動きほど、少しの狂いで影響が出てしまうということだ。
「では、次に攻撃です」
ソフィアは、足元に落ちていたナイフを拾うと、徐に「えいっ!」と投げつけた。
そんなものが、とベーレが呆れる。はいはい、といった感じで微笑んでさえいた。
けれど、次の瞬間、彼女の顔が苦悶に歪む。
ベーレの足元に向かったナイフが、石に当たって軌道を変え腕に傷をつけた。
何でもない投擲だと考えたのだろう。地面に落ちることも当然で、それは攻撃にすら見えない。
なので彼女は無視した。その意識の外で、ソフィアはナイフを加速させていたのだ。
「はい、では、聖女様、どうぞ」
言ってソフィアはナイフを渡してきた。アイラは息を呑んだ。
相手は人である。傷つけることに躊躇があった。
「躊躇っていては、死んでしまいますよ。でも聖女様ってそういうものね。ご安心ください。相手は熟練の戦士です。今の聖女様の攻撃など当たりませんから」
ニッコリと微笑むソフィア。見た目はおっとりして可愛らしいのに、内側に随分と毒を持っている。
――こいつは、悪い奴だ。
「それっ!」
アイラは、ままよとナイフを投げた。もちろん能力を使わずに。
明後日の方向に飛んでいくナイフ。木の幹に当たった瞬間に、アイラは力を使った。
カン! という音を残して、ナイフが方向を変える。――あ、ヤバい!
ナイフが、ベーレの眉間めがけて飛んで行った。
「な、なに!」
ダリアと戦士長、二人に気を取られていたベーレが、間一髪のところでナイフを交わす。
「あ、危なかった……人を殺すところだったわ」
アイラは冷や汗を掻いていた。
何をしたの、とベーレが睨みつける。
アイラはブルブルと首を振った。
苦し紛れに、足元にあったナイフを数本投げて見せた。
「まぎらわしいわね」
ひょろひょろと飛んでいくナイフを見てベーレが呟く。
戦闘は、しばらくの間、膠着状態になった。さしものベーレも息を切らし始めた。
それはそうだろう。これは見た目ほど楽な戦いではない。
か弱い巫女に子供、これはそもそも戦力と見ていない。男と剣士も格下である。それなのに、ことが上手く運ばない。なぜ思い通りにならないのか、不思議でならないだろう。
チッ! 舌打ちするベーレ。
苦虫を噛むような顔つきで、こちらを睨みつける。
「なんか、調子が狂うわ」
肩を回し、首をポキポキと鳴らすと、徐々にベーレの顔つきが変わっていく。
――これは、なにか得体が知れない。
アイラは、ベーレの次の攻撃が、特殊攻撃であることを悟った。
詠唱が始まる。
本能的に悟った。これは小手先の誤魔化しでは避けられない。
ベーレの周囲に風が集まる。無数の円盤型の……あれは、風の刃!
「遊びは、終わりよ」
短く告げると、回転する刃が皆を襲った。
応戦するダリアと戦士長。しかし、追尾型の刃がしつこく付きまとう。
ダメージを受けた二人が、血を流しながら地面に膝をついた。
「ダリア!」
急ぎ駆け寄ろうとするが、こちらにも風刃が飛んでくる。
アイラはもろに攻撃を受けてしまった。
「聖女様!」
ソフィアがすぐに飛んできた。
「だ、大丈夫よ、法衣のお陰で無事よ」
言った矢先だった。
「……失礼いたします」
ソフィアは小さく頷くと、突然アイラの腹部を殴りつけた。
「ソ、ソフィア」
アイラは、そのまま地面に倒れ込んだ。腹の下から広がる真っ赤な血。
なんで……こんなことを。
ソフィアがベーレに背を向けたまま、アイラへそっとウィンクした。
ここは、お任せください、と小声で言って振り向く。
「来ないで! 来ないで!」
迫るベーレに怯えるソフィアが尻もちをつきながら後ずさる。
体を震わせ、逃げ惑う。
ベーレはしたり顔でソフィアの髪の毛を掴んだ。
「お姉さん、忙しいって言ったわよね」
「い、嫌、離して」
ソフィアは、青筋を浮かべるベーレに懇願した。
「大人しくしなさい。さぁ、行くわよ」
ベーレが、ソフィアを釣り上げたまま命令した。そのとき、泣きじゃくりながらソフィアが指輪を外した。
「わ、私は……」
「今更なに? もうバレているのよ。あなたには、魔法は使えない。魔力がないのですもの」
「ファ、ファイアーボール!!」
ソフィアが魔法を放った。くつくつと愉悦に浸るベーレの顔をめがけて。
たまらず、ベーレが手を放す。
その後も、ソフィアは魔法を連発した。ウォーターボール、ファイアーボール。
最後に、魔力切れを起こしたのか、ソフィアが朦朧としたまま前に倒れ込んだ。
威力は然程でもない。けれど、連続した魔法の行使は、とても魔力を持たない人間にできるものではない。
ベーレは、忌々しそうに顔を歪めた。
「とんだ無駄足だったわ。何が魔力なしよ。こんな仕事を私にやらせるなんて」
深くため息をつく。ベーレは踵を返した。
向こう側で、未だ闘志を見せて立ち上がろうとしていたダリアを蹴り飛ばすと、ベーレは旋風の中に身を溶かすようにして姿を消した。
「ア、アイラ」
よろめきながら、ダリアが近づいてくる。そっとアイラを抱き上げ、頬を撫でた。
こんなことになって、ごめんなさい。涙声はそう聞こえた。
ダリアが、そっとアイラの傷口に手を当てる。
「……ダリア、私こそ、ごめん。へへ、ドジふんじゃった」
「ドジ? また訳のわからないことを」
「へへ、そうね。そうね、って……ん?」
「どうした、アイラ」
「ん? ん? ん?」
「アイラ?」
「痛く、ないわ……どこも痛くない。これは血のり? はぁー!?」
アイラは起き上がり、体中あちこちを触った。どこにも傷がなかった。
「聖女様、それに、皆さん、傷を見せてください。治療を致しましょう」
さっと目を向けると、ソフィアがニッと笑った。
どうやら、騙されたようだ。
アイラはソフィアの顔を覗き込んだ。心は読み取れなかった。でも分かる。
――こいつは、悪い奴だ。




