第20話 月の巫女
二人は、長老の娘に案内され屋敷の別室に移った。
板張りの床と木の壁、広さは然程ではないが、大きめのベッドを二つ並べてもゆとりはある。
「大変だったでしょうね」
言ってアイラは部屋を見回した。
「調度品がちぐはぐだ、急ごしらえが見え見えだな。あ、悪い意味ではなくて」
「分かってる、私も同感よ。とても申し訳ない気持ちになるわ」
偽物の聖女騒動に領主の娘の突然の来訪、村が騒然とするのも無理はない。
アイラは、背伸びをしたままベッドに倒れ込んだ。
ダリアも頷いて横になり、枕に顔をうずめる。
「ベッドで眠れるのは、ありがたい。このところ、土や石の上ばかりだったからな」
「ねぇ、ダリア、私達、これからどうなるのかしら?」
「どうもこうも、アイラはシトラス家に戻らなければならないだろう。それが当然のことだ。ただし、私はどうなるのか」
「一応、取ってこいと言われた物は手に入れたわけだし、これでなんとかするしかないわね」
アイラは、革の袋からレリーフを取り出した。
「なればいいけどな。その『月の女神のレリーフ』で」
ダリアが横目で見る。
「わかるわよ、無理筋だって思ってるんでしょ? でもやるしかないわ」
「アイラ、すまない。その……私のために」
「ダリア、気にしないで。これは私自身のためでもあるのだから」
話しながら、アイラはレリーフを眺める。
初めてこのレリーフを手にしたときに聞こえてきた声は、あの一度きり。
アイラのスキルに干渉してきたこのアンティーク。自分は、何と関わってしまっているのか……
表の彫刻を眺め、裏返して木の枠を見る。
擦ろうが、コツコツ叩こうが、うんともすんとも反応しない。
アイラは、レリーフをそっと耳に当ててみた。
「――もしもし、えーっと、もしもし、あなた誰かしら? ねぇねぇ、これって何?」
「何をやってるんだ?」
ダリアが訝しげにこちらを見ていた。
「あは、あははは。このサイズ、この重さに郷愁をそそられた、といいますか……」
説明しても、ダリアにはちんぷんかんぷんだろう。
なにせ、アイラの妄想は前世の橘愛麗の記憶によるものなのだから。
「また、訳が分からないことを。でもさ、アイラ。これまでのことを思い返すと、それも何か重要なアーティファクトか何かってことはないのか?」
「うーん。私もそう思ったのよ。でもね、よく分からないのよね」
討伐後のドロップアイテムが、ただの記念品、ということはないだろう。いや、その線はあるか。けれど、これは確かにアイラにスキルを伝えた。
まぁ、それで役目を果たし終えたということも考えられるのだが……
「おっと!」
アイラはうっかり手を滑らせた。木の枠からレリーフが外れて床の上に落ちる。
「うわ、やってしまったわ。これ、どうしよう」
拾い上げてレリーフを見ると、鏡面のような裏面に蜘蛛の巣状の亀裂が走っていた。
「わ、割れなくて、よ、よかったな。アイラ、それはもっと慎重に扱おうな」
「そ、そうね。大事な証拠品だもの」
アイラは、木の枠にレリーフをそっと嵌め込んだ。
「よ、よかったわ。表はとりあえず、キレイよ」
あれだけ苦労して手に入れたのに、ぞんざいに扱っていて、つい、うっかり壊しましたというのでは洒落にもならない。
その後、アイラとダリアは、女神のダンジョンで獲得したアイテムを取り出し、床に並べて、あれやこれやと考えを述べ合った。
夜も更け、ランタンだけを残したまま、今後のことを話し合っていると、誰かがドアをノックする。
「あの、ソフィアです。聖女様、夜分に申し訳ございません、長の言いつけで参りました」
「あ、はい」
ドアを開けると、手にした蝋燭の明かりの中に愛らしい笑顔が浮かんでいた。
「あなたは、先ほどの」
アイラは、ダリアと目を合わせた。今度はこの娘を使って無理を言ってくるのだろうか。
「はい、私はソフィアと申します。この村の司祭の娘で、月の巫女の役を担っております」
黒のローブ。その下には同じく黒の修道着。首から下げているのは月の女神の紋章だ。
「どうぞ、お入りください」
部屋の中へ手を差し向けると、ソフィアの顔にパッと弾けるような笑顔が浮かんだ。
「よ、よろしいのですか? 聖女様」
少女のパッチリとした丸い目がキラキラと輝く。
「ソフィア、先に、長老にも言ったのですが、私は聖女などではありませんよ」
アイラは、丁寧に言い聞かせた。けれど、
――ダメね、これは。すっかり思い込んでいるわね。
「それで? ソフィア、長老からの言いつけとは? 話ならさっき直接お断りしたのだが」
ダリアが先のやり取りを端的に話す。
「い、いえ。そのお話は、長から聞いております。言いつけというのはこれです」
言ってソフィアが懐から指輪を二つ取り出した。
「それは、魔力制御の指輪ね。そうね、これはマナーですものね」
言いながら、アイラは首を傾げる。
長老はアイラが魔力を持たないことを知っている。ダリアはともかく自分に指輪を嵌めさせる意味が分からない。
――また、なにか良からぬことを。
「他意はない、と長は申しております。もちろん、良からぬ細工もないと、そうお伝えせよと申し付かっております」
「あの、爺さん……」
「ともかく、身に付けてみれば分かると」
ソフィアは、ニコリと微笑んだ。
一つは黄色の石がはめ込まれた、如何にもな一品。もう一つは青い石のものでこちらは市中でよく見かけるものだ。
「では、私はこちらを」
アイラは、青い石の指輪にそっと手を伸ばした。
しかし、その手をソフィアが素早い動きで掴み取る。
え? と驚きながら見ると、ソフィアは目を細め微笑んだまま首を横に振った。
「ソ、ソフィア。わ、私、骨董アレルギーなのよ。骨董品を身に付けると体中にブツブツが出るの」
「聖女様、その、アレルギーとやらが何かは分かりませんが、私、先ほど申しましたよね。作為はないと。この月の女神様にお仕えする、月の巫女の私のことをお疑いに?」
微笑んではいるが、与えてくるプレッシャーは相当なものだった。
「わ、わかったわよ」
アイラは渋々、骨董品の指輪を受け取った。
「アイラ、ここは信じても良いだろう。だが、先ずは私から」
ダリアは青い石の指輪を嵌めた。そうして着けた手を眺める。何も起こらないようだ。
それならばと、アイラは指輪を嵌める。
「こ、これって……」
その感覚にアイラは覚えがあった。そう、誘拐されたときのあの感覚だ。
世界が広がるというか、頭の中の靄が晴れるというか。心も体も軽くなったような、妙にすっきりとしたあの感覚と同じだった。
「アイラ、大丈夫か!」
「え、ええ、何ともないわ、何ともないけど……」
言いながら、アイラは指輪を外す。
すると、再び体が重くなり頭の中に靄がかかる。これはいったいどういうことなのか。
「聖女様、いかがでしょうか?」
「あ、ああ、なんというか……」
「聖女様は、やはりご存知なかったのですね。でもそれは太陽の女神様の御業で支配されたこの世界では当たり前のことなのですよ」
「女神様の支配?」
「あ、申し訳ございません。支配とは言いすぎました。女神の恩寵による統治、と言った方がよいですね」
ソフィアは、人差し指をちょこんと唇に当て愛らしく微笑んだ。
「月の巫女殿、それは、どういうことなのでしょうか? 統治とは、その、太陽の神殿の統治ということなのですか? あいつらの、あの絶対的権力が」
ダリアが厳しい目つきで問うた。
「それは、少し違いますね」
言ってソフィアがこの世界の魔素と魔力について話し始める。
魔素に満たされた世界で、人々は息をするように魔素を吸い、魔力を行使していること。
魔術を扱う力量には個人差があること。それは個々人が有する魔力量に関係していること。
特権階級、特に貴族は、その血筋を辿ると必ず太陽の女神の使徒に行き着くこと。
「魔力、魔術における貴族の優位性って、そういうことだったのね」
アイラは、口に拳を当てて考える。
――ならば私は、どうして、どうして私には魔力がないのかしら。
「貴族の血脈の中に突然現れた、本来は生まれてくるはずがない魔力を持たない人間。それが聖女様です」
「……そうか、私は、この世界ではイレギュラー因子だったのか」
「イレギュラー? イレギュラーが何かは知りませんが、聖女様が特別であることに間違いありません」
「特別……ソフィア、この指輪のことといい、魔力のこともですが。私は、自分のことについて何も知りません。そのことを長老に聞くことはできるのでしょうか?」
「もちろんです。長の家には、月の女神様が残した聖遺物、使徒の家に代々伝わる銀の水晶があります。あれならば、きっと、聖女様のお力を示すことができるでしょう」
「私の、力……」
アイラは自分のスキルやレベルを思い浮かべた。
「良い機会だと思いますよ、聖女様。それでは、また明日」
微笑を残しソフィアは去った。
「アイラ、何か、とんでもないことになってきたな」
「そうね、でも、この際、ちゃんと確かめた方がいいわね」
――ああ、今夜はどうにも眠れそうにないわね。
アイラは深くため息をついた。




