十二年越しの祟り(6)
「食事の邪魔をしてくれましたわね。」
「食事…?」
女性は自分の紅い唇を舐め回した。やっぱり、そういうことだ。
「雪女、なのか?」
「あら、よく御存知ですわね。あの男どもはわたくしの御飯でしたの。勝手に引き剥がされていい迷惑ですわ。どうしてくれますの?」
雪女は袖で口元を隠しながら、俺の目の前に迫る。
「ごめん。」
俺が謝ると、雪女は目を円くした。
「どういうことですの?」
何か変なことを言っただろうか。どうもコミュニケーションは苦手だ。特に女性相手だと。
「えーっと、あいつらの所に戻る?」
「手遅れですわ。一人、生気を吸い取ってしまったもの。もう逃げられたに違いないわ。」
それはそうだ。あいつらは妖怪に対抗する手段をもっているようには見えなかった。ボスがやられたら逃げ出すだろう。
「じゃあ、俺の生気を食べる?」
俺は提案した。あの男の様子から見ても、生気を完全に吸い取って殺すわけではなさそうだ。食事を邪魔したお詫びに多少生気を失ってもスメラギの害にはなるまい。
「あなた、ご自分の言っていること、分かってらっしゃるの?」
「そのつもりだけど。雪女の文化には疎いんだ。食事の邪魔をしたお詫びに、死なない程度の生気を提供しようかと思ったんだけど、失礼だった?」
雪女は袖で口元を隠したまま上品に笑っている。言葉遣いといい身なりといい、高貴な人物なのだろう。
「面白い殿方ですわね。お名前は?」
俺は一応お忍びで来ているので、本名を告げるべきではないだろう。
「俺はコウ。君は?」
「わたくしのことは、カザハナと呼んでくださいまし。」
何!?
女性は俺に顔を寄せると、唇を奪った。俺は咄嗟に突き飛ばした。そうか。こうやって生気を奪うんだった。カザハナは恍惚の表情を浮かべている。
「ごちそうさまでした。今までにないような極上のお味でしたわ、コウさん。」
怠い。肺の内から凍りそうなほどの寒気と眩暈がする。俺は唇を拭いながら膝に手を当てた。
「良質だったけど、まだ少しお腹が空くわ。」
迂闊だった。まさか、あのカザハナに会うとは。カザハナは馬に歩み寄ると、その顔を両手で抱え、長い鼻面にキスをした。馬は地面に膝を付いた。
「美味しくはないけど、まあいいわ。」
カザハナは簡単に俺から背を向ける。警戒心を感じない。俺がスメラギだと気付いていないのか?
「そう言えば、コウさん。何の用でこの森に?」
「え?えっと…。」
十二年前の話をすると、俺がスメラギだとバレそうだな。
「知り合いに会いに来たんだけど、いなかった。カザハナは?」
「わたくしも似たようなものかしら。」
踏み込んでみたいが、藪蛇になるとスメラギを殺してしまう。
「では、ごきげんよう。コウさん。」
「あ、さようなら。カザハナ。」
良かった。無事に帰れる。カザハナは立ち去ろうとしたが、急に呻いたかと思うとうずくまった。俺は思わずしゃがんで様子を確認した。カザハナは顔をしかめており、小刻みに震えていた。
「どうした?」
「急に体が、熱くなって…。今までこんなこと…ございませんでした。」
あれ?俺のせいか?神子であるスメラギには浄化の力をもった神気が流れているはずだ。俺が使いこなせていないだけで。妖怪が取り込んだら妖気を失ってしまうのでは?
「休める場所を探すよ。歩けそう?」
「ええ…。」
夏の日差しは雪女には辛かろう。俺は彼女に肩を貸して、林道を進んだ。少し歩くと、朽ちかけた神社に辿り着いた。産土社のような気がする。この土地の守り神を祀っているのではないだろうか。日よけにはもってこいだ。
「ここで休んでいこう。」
カザハナは力なく頷き、本殿の階段に座り込んだ。顔色はもともと血の気がなく真っ白で、苦悶の表情が窺える。
「ようも、のこのこと参りおったな。」
鳥肌が立つような威圧感だ。これは、神の声だ。縁切りの神の声を聞いた時の感覚と似ている。
俺は咄嗟に振り返ったが、姿は見えなかった。顕現はしていないようだ。
「連れの具合が悪いので、休ませて頂きたかったのです。ご迷惑でしたら立ち去ります。」
俺は虚空に話し掛けた。カザハナは頭を強く押さえて、体を丸めている。
「逃がしはせぬ。我が産子を鏖殺しておいて、ようもここに来られたものよな。」
「それって、十二年前の…。」
俺は足が重くなるのを感じた。この地に縫い付けられたかのような感覚だ。カザハナを見ると、今にも倒れそうな様子だった。よく見ると、足が赤紫色に変色している。俺も、カザハナも。




