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切れた縁(6)

「大事ないか、カバネ殿?」


 ヒサメが心配そうに言った。儂は懸命に笑ってみせた。


「ああ、もう平気じゃ。心配を掛けたな、ヒサメ。」

「すまなかった。私が考えなしだった。もう身体が凍ることはないのか?」

「凍る?凍るとは、どういうことじゃ?」


 ヒサメは息を呑んだが、少しして首を横に振った。心底嬉しそうに微笑むヒサメを見て、儂も安心した。


「何でもない。共に皇宮へ行かぬか?もう憂いがなかろう。」


 ヒサメの手を取ってしまいたかった。ヒサメと共にいたいという一心でここまできたのだから。じゃが、もう手遅れのようじゃった。懐かしい気配を感じる。神まで動いたことで、あの風来坊も重い腰を上げてしまったようじゃ。


「今は行けぬ。ヒサメはすぐ戻るのじゃ。癒しの神子もかなり憔悴しておるようじゃぞ。」

「え?」


 ヒサメは小首を傾げた。


「スメラギ様は、本日はおいでにならないはずだが?」

「何を言うておるのじゃ、ほら、そこに…。」


 癒しの神子は儂が指さすと警戒したように後ずさった。


「さっきから、誰と話をしているのですか、カバネさん?」

「は?」


 まさか互いに見えておらぬのか?


「ヒサメ…。」


 儂は呼び掛けるが、ヒサメは怪訝そうに儂を見ておる。本当に癒しの神子が認識できぬようじゃ。


「私では貴方に勝てそうにありませんし、見逃して頂けるようでしたら、このまま帰りますよ。貴方もこれ以上争って、神のご不興を買ってしまうことは避けたいでしょう?もともと、私には貴方を味方につけなければならないほどの事情はありませんから、諦めます。どうして、こんなところまで来てしまったんでしょうね。まったく。」


 癒しの神子は一人で去ろうとしておる。ヒサメなど眼中にないようじゃ。


「カバネ殿はお疲れのようだな。貴殿も、もうリュウサキの元へは戻れまい。私と共に来てくれ。悪いようにはせぬ。」

「いや、儂はまだやることがあるのじゃ。ここは退いてくれ、ヒサメ。これ以上争うと、神が無事に帰してくれぬじゃろう。」

「…分かった。今日の所は帰るとしよう。皇宮に来るときは、一報入れてくれ。それでは。」


 ヒサメも帰ろうとしておるが、やはり癒しの神子と共に行こうとする様子がない。儂は癒しの神子の腕を掴んだ。癒しの神子は驚いたように振り返る。


「ヒサメのことは覚えておらぬのか?あれほどヒサメの幸せを願っておったのに…。」

「カバネさん。」


 癒しの神子の真っ黒な目には、数刻前のような光がなかった。今の双眸はこの世の全てがどうでもよいと思っておるかのような、危うい暗さだけを残していた。


「…ヒサメって、誰のことですか?」


 嗚呼、何故その縁を切ってしまったのじゃ。生きる意味の全てをヒサメに求めるような人間が、その縁を失って無事でおれるはずがなかろう。あまりの痛々しさに、儂は掛ける言葉もなかった。


「カバネ殿、どうしたのだ?」


 この時になって初めて、儂は自分の過ちの大きさに気付いたが、もう後の祭りじゃった。


「何でもない、さようなら。」


「はあ、さようなら。」

「そうか。さらばだ。」


 二人は奇しくも同時に返事をして、歩みも一致しないまま同じ方に進んでいった。その後ろ姿を見送った後で、儂は呟いた。


「手出しはするな、コガラシ。」


 近くの杉の木に、大天狗が降り立った。相変わらずの赤ら顔じゃ。ニヤニヤと不気味に笑う姿は、碌でもないことを考えておるように思えた。


「大将の命であれば、そうしよう、そうしよう。拙僧の賜った命は、大将の護衛なので、我慢、我慢。」


 コガラシは豪快に笑っておる。大将と呼ばれるのは好きではないが、今コガラシの機嫌を損ねてはヒサメらが危険じゃ。恐らくは、リュウサキ様からの命は護衛ではなく、監視と抹殺じゃろうに。よくもぬけぬけと。


「神と誓約を交わすとは、面白い、面白い。攫いたい、攫いたい。」

「コガラシ、行くぞ。ただでさえ神に目を付けられてしまったのじゃ。これ以上長居すると取り返しがつかなくなるやもしれぬ。」

「分かった、分かった。」


 コガラシはヒサメらが向かった方角から視線を逸らした。一安心じゃ。儂がこのままリュウサキ様に処されるとしても。


「儂の手勢まで連れてきおって…。皆の者、帰るぞ!」


 コガラシが団扇を一振りすると、儂とコガラシと共に、数十の妖怪が山から消え失せた。全員儂の配下じゃが、リュウサキ様の命を優先することに変わりはあるまい。儂とヒサメと癒しの神子の三人では倒しきれなかったじゃろう。

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