ヤマアラシのジレンマ(3)
「随分と腕を上げたようじゃな、ヒサメ。」
私は振り向くと、反射的に刀を構えた。長い白髪と血のように紅い目は私に似ている気がする。腰には黒々とした太刀を佩いている。その姿にどことなく懐かしさを覚える。眉を少し上げて笑う者を、私は一人しか知らない。
「もしや…もしや、カバネ殿か?」
「嗚呼、覚えていてくれたか。十二年ぶりに会うたというに。」
私はカバネ殿に駆け寄り、強く抱き締めた。温かい。生きている。本物だ。
「許婚を忘れるものか。あの時はお互いに十二の子どもだったが、面影が残っておる。記憶の中のカバネ殿そのものだ。」
「ヒサメは美しゅうなったのう。息災か?」
「それはこちらの台詞だ。死んだかと思っておったぞ。私が贈ったその刀、まだ持っていてくれたのか?」
カバネ殿の持つ刀は、互いに人間だった頃、一族の頭だった私の父に頼んで、カバネ殿のために誂えてもらった名刀だった。
「ああ。いまだ切れ味は健在じゃぞ。ヒサメには及ばぬやもしれぬが、儂も刀を振っておったのじゃ。話せば長くなるが、時間はあるか?」
「大丈夫だ。積もる話は腰を据えてせぬか?今日は丁度、市が立つ日なのだ。」
カバネ殿は首を横に振った。
「人間には会いとうない。此処で話さぬか?」
「分かった。」
そうだ。うっかりしていた。カバネ殿は他人に会いたくないに決まっている。私とカバネ殿は、元々領主の命令で妖狩りを請け負う人間の一族の出だった。かなりの実績があり、天狗や鬼など高位の妖怪も集団で討伐してしまう。
私が十二歳の時に、妖怪の討伐命令がくだされた。戦力となる大人たちは妖怪退治に向かっていた。その時、唐突に私たちは領主の手勢に襲われたのだ。当時はそのことすら理解できず、ただ謎の集団に殺されそうになっていることしか分からなかった。私たちはより幼い子どもたちを守るために武器を取って戦った。人を斬って、斬って、斬られて、斬って、斬って、斬られて、斬って…。
身体に力が入らなくなっていった。周囲で仲間が死んでいった。血の雨が常に降り注ぎ、視界が赤く染まる。心の中には、ただ敵に対する身を焦がすような憎しみと果てなき血への渇望、破壊衝動と闘争の欲求しかなかった。どれほど長くその状態が続いたのか分からないが、気が付くと私は血と肉の上に立っていて、目の前には見知らぬ五歳の男の子が血塗れで服が斬られた状態で立っていた。それがスメラギ殿だった。
「実は私は十二年前のあの日から数日間の記憶がないのだ。いつの間にか夜叉となっていたようだが。見たところ、カバネ殿も夜叉となったのか?あれから何があったのか、カバネ殿はご存知だろうか?」
カバネ殿の目が怖くて、私は面食らった。
「あの方の言う通りじゃったか…。」
「あの方?」
「此方の話じゃ。儂もあの後の記憶がなくてのう。人を斬り続けて、ようやく正気を取り戻した時には、もう討伐対象となっておった。それ以来、妖怪と共に暮らしておったのじゃ。」
知らなかった。私もスメラギ殿に邪気を祓ってもらわねば、正気に戻るまでに何人斬り殺したか分からぬ。そう思うと幸運だった。
「して、今は何をしておるのじゃ、ヒサメ?」
「ああ、私は皇宮で護衛をしておる。運良く癒しの神子に正気に戻してもらえたものでな。」
「…。」
カバネ殿は眉根を寄せている。カバネ殿の苦労を思うとあまりに無神経だったか?
「その癒しの神子は、ヒサメを良いように操って支配しておるのではないのか?」
「どういうことだ?」
「どうやら、神皇家には人間を妖怪にする秘術が伝わっておるそうじゃ。十二年前、儂らはその術を掛けられたのじゃと思うておる。」
カバネ殿の口調は冗談を言っておるようには見えなかった。人間を妖怪に?何のために?
「考えてもみよ、人間を何人も斬って理性を失った夜叉を鎮めるために、年端もゆかぬ神子を向かわせるか?あれは秘術が外に洩れぬように、なりふり構わず止めさせたのよ。あわよくば、神子を用いてヒサメを使役するつもりだったのじゃろう。」
私は頭を抱えた。分からぬ。言われてみればそうなのか?私が騙されておったのか?
「その話が本当だとして、何故私たちを妖怪にしたのだ?」
「儂らの一族の者の中に、その秘術の存在を妖怪から知らされてしまったものがおったそうじゃ。このようなことが知られれば神皇家の権威に関わる。儂らを根絶やしにするためには、妖怪になってしまったかのように偽装するのがよいと思うたのじゃろ。」
皇宮の人々がそのような非道な行いをするとは思えぬ。思えぬが、今思えば、一族が急に皆殺しにされる理由など特に思い浮かびもせぬ。




