盗人タヌキ(1)
【主な登場人物】
・三宮皇…本作の主人公。日本で暮らす男子高校生。十七歳。
・スメラギ…コウから見たら異世界である、神皇国で暮らす少年。癒しの神子。十七歳。
・ヒサメ…神皇国で暮らす女性。人間ではなく、夜叉という妖怪。二十四歳。
・ミライ…神皇国で暮らす少女。遠見の神子。十四歳。
・ツユハライ…神皇国で暮らす短刀の付喪神。スメラギに仕えている。八百三十歳。
「スメラギ様、お目覚めの時間でございます。」
静かな声が聞こえてきた。ということは、神皇国か。俺は目を開けた。そこは宮中のスメラギの部屋で、起こしてくれたのは侍従の一人だ。確かアキラと言ったか。
「おはよう、アキラさん。」
「おはようございます、スメラギ様。」
アキラに身支度を整えてもらってから、俺は日記に目を通した。思ったより平穏な日々を送っていたようだ。リュウサキの足跡は追えなかったのか。
俺は一昨日の日記に目を留めた。掛け軸、『梅花精霊図』が盗まれたらしい。
「アキラさん、掛け軸を盗んだ犯人は捕まりましたか?」
「いいえ。女官が調査中だったと思います。…スメラギ様?」
きっと俺の顔は鬼のような形相だったはずだ。あの掛け軸が盗まれただと?赦せない。あの至上の芸術が奪われるなど、あってはならないことだ。
「調べはどのくらい進んでいるのですか?」
「申し訳ありません。わたくしは何も存じません。」
料理は神皇国より日本の方が美味しいが、芸術に関しては神皇国が遥か高みを言っている。無論、日本の方が画材は豊富だ。リアリティという点では日本の方が上かもしれない。しかし、筆の付喪神や千年を生きる妖怪が描く絵には魂が籠められている。妖術で見る者の精神を支配する絵は、見た途端、強い多幸感に満たされる。あれほど心を揺さぶる力は日本では経験し得ない。
俺はこの世界の人間とは、芸術に対する思いの強さが違う。宮中の人間にとっては高価ではあっても見慣れた絵なのかもしれないが、俺にとっては多少のリスクを覚悟して取り戻したい宝だ。この感覚を理解してくれる者は、恐らくどちらの世界にもいないだろう。
「この事件について調べている女官に会いに行きます。」
「御同行しましょうか。」
「一人で大丈夫です。」
俺は女官に会いに行った。どうして癒しの神子がわざわざこんなことを調べるのかと訝しんでいる様子だったが、情報は教えてくれた。
掛け軸は今上陛下の御所にあったものだ。ちなみに、今上陛下はスメラギの実の妹君で、御年十五歳だそうだ。つまり、聖と同い年になる。御簾越しにしかお会いしたことがなく、会話は宮内庁の方を通じてするので、声を聞いたこともないが。神力が高かったため、神子として既に臣籍に下っているスメラギは、皇族ではない扱いなのだ。生物学上は実の兄であっても、今や神皇陛下に自由に謁見できる身分ではない。
「陛下の御所で窃盗が起きるとは、警備はどうなっていたのですか。」
「申し訳ありません。実は下手人が何者なのかは突き止めております。行方を探している最中です。」
女官は深々と頭を下げている。
「犯人は何者ですか?」
俺はできるだけ穏やかな口調で尋ねた。
「豆狸のコノハです。あの日は陛下の御所を掃除する担当だったため、あの者は結界を無効化する呪符を持つ人物の一人でした。部屋の内外にあった結界術には破れた様子がなく、不審な人物を目撃した者もおりませんでしたので、盗めるのは呪符を持っていた者に限られます。その翌日から今までコノハの姿は見えず、私物も全てなくなっております。」
間違いなく犯人だ。リュウサキに侵入されて、スメラギの両親である先代の神皇、皇配両陛下が喰われて以来、特に宮中の結界は強化されていた。外部の者はもちろん、宮中の者でも自由にどこにでも出入りできるわけではない。
「ミライにコノハの行方を聞きましたか?」
「いいえ。遠見の神子を煩わせずとも、必ずや行方を突き止めてみせます。」
俺は眉を吊り上げた。
「貴方は事の重大さを認識しておられないようですね。これは単に絵が盗まれたというだけではありません。陛下の御所に入って物を持ち出して逃げおおせることが可能だということが外部に知られれば、陛下の御身が危険に晒されるかもしれません。神子の神力だろうが陛下のご威光だろうが、使えるものは使わなければならない事態なのです。」
女官の顔が蒼ざめた。目が泳いでいる。俺は溜息を吐いた。
「私からミライに話をしてみましょう。貴方は引き続き調べてください。お時間を取らせました。」
「申し訳ございません、スメラギ様。」
「こちらこそ素人なのに偉そうなことを申しました。一刻も早く解決しますように。」
どうも芸術のことになると熱くなって駄目だ。スメラギは冷静で腰が低い人間だ。もっとスメラギらしい振る舞いをしなくては。




