17-6 Theater(幻影)――新宿
「『映画終わっちゃったよ、ウラベ』」
キャサリンの愛くるしい声に、沈泥していた意識が急速に引き上げられる。瞼を開くと、白熱灯に照らされた仄明るいシアターが眼に飛び込んで来た。
視界いっぱいにこちらを覗き込む仲間達。
愁眉、不安、僅かばかりの怒りが顔と色から窺えた。
「『――始まってすぐに寝るなんて、本当に良い度胸ね』」
口元を嫌らしく歪ませたミエコが、真隣から覗き込んでいる。
「『そんな言い方しないでください。きっと疲れてたんですよウラベは』」
「『デービッドは優しいわねぇ。その優しさを少しでも向けてくれると有り難かったんだけどねぇ』」
密かに感じる陰険な空気に私は謝るしかなかった。
「『す、すみません。急に睡魔が……』」
「『あーら、つまらなかったって事?』」
「『いや……、そういう事じゃなくて……』」
「『――フフ、いいわ。言ったでしょ? 貴方達に必要なのは「休養」だって。……ちゃんと眠れた?』」
ミエコのささやかな意地悪は「銀幕女優」の矜持だろう。それでも彼女の淑やかな優しさに心の底から安堵の息が漏れた。
「『本当は起こそうとしたんだけどなぁ。でも寝ている人起こすのは悪いことだぜ。映画館なら尚更な』」
「『ま、何処の国でも映画館だと寝ちまう奴も良くいるからな。――ウラベみてぇに』」
「『念話で呼びかけても反応がないし、首も靠れてたから無理に起こさなかったのよ。……魘されてたみたいだけど、大丈夫?』」
「『へッ――! 誘われた映画で寝てるんだ。天罰覿面って奴だな!』」
思いの外クラウディアが突っかかってくる。盟友の誘いを私が無碍にしたことを怒っているのだろうか?
「『そこまで言われると何にも弁明しませんよ。ちょっとした悪夢でしたので……』」
――美しい地球。
――恐怖に満ちた怪異の深淵。
――サリエルの忠言。
「『……何か見たのか?』」
今まで会話に入っていなかったバーナードが眉を顰めながら尋ねてきた。
「『……いえ、よく、覚えていません』」
サリエルの事は他言無用。スティグラー博士の忠告もあるし、夢の中で怪異から勧誘されたなどと報告する訳にはいかない。
『アッハッハー、「記憶に御座居ません」はやましいことを隠す時に使うんですよぉ~』
クラウディアの頭上をくるくると飛び回っていたピクシーが、巫山戯た口調で真理を突いてくる。
「『いや、本当に覚えてないんだが……』」
「『――まぁ、それならいい。もし怪異に関することなら相談するんだぞ』」
バーナードが間に入ってくれたので、上手く収めることが出来たのはとても助かった。またピクシーにチクチクと腹を探られるのは堪ったものじゃない。
既に映画は終わり、静かで反響の少ないシアターは黙然としている。祭りは終わり、感動は既に引き波の向こう側へ旅立った後のようだ。
「『ところで、映画の方はどうでした?』」
「『え、――あぁ、それはな……』」
「『そこで言葉に詰まるのはレディに失礼よ、マイク』」
憮然としたミエコの言葉にピクシーがくるくる回りながら嬉々とした声を上げる。
『よく分かりませんでしたですぅー!』
「『テメェは少しくらい分かるようになりやがれッ!』」
――ぶぎゃ。
中々に聞き慣れない蛙を挽きつぶしたような音と共に、クラウディアがピクシーを叩いた。掌から零れ落ちる蚊のように、ピクシーが円を描きながら床に堕ちていく。
「『説明と吹き替えは有り難かったし、ミエコの演技は光る物があったが……如何せん脚本がな』」
伏し目がちのバーナードと言いで全てを察した。きっと見所はミエコのお転婆の所だけだったのだろう。
「『もう一回、最初から見た方がいいでしょうか?』」
「『流石にもう一回分の時間は取ってないわ。チケットを後で上げるから、見る見ないは任せるわ』」
僅かに肩を竦めたミエコに申し訳なく思いながら、私は静かに席を立った。仲間達も各々身体を伸ばしながらシアターを後にする。
退出間際、振り返れば何も変わらぬシアターがそこに在る。純白を恥じもしないスクリーンに、革張りの椅子達が只管に沈黙を守っている。私がこの目で見て耳で聞いた、深淵の向こうから私を誘う者。サリエルの言う勧誘ならば――何故だ。
「どうして私だけ……」
「何か言いましたカ? ウラベ」
「……いや、何でもないさ」
初夏の日差しが燦々と照りつける窓の向こう。
光あれば影があり、影のそのまた奥に闇があり、深淵がある。
――あなたが深淵を長く見つめるなら、深淵もまた、あなたを見つめるだろう。
サリエルの言葉を何度も何度も頭の中で反芻させる。邪眼は色を見て物を破却する。既に人間の眼ではない。その眼で見つめる全ては『深淵』につながり、私はそれを覗き続けている。
――怪物にならぬよう気をつけよ。
瞳の奥で何かが蠢く恐怖。
私は堪えられるだろうか?
仲間達と共に未来を紡いでいけるだろうか。ヒノエと共に日本の未来を、人間らしい目で見ることは出来るだろうか。
映画館を出て、眼前の雑踏に目もくれず顔を上げる。天穹は何処までも続く。果てしない青空のさらに向こう側、外宇宙の深淵を憎々しげに見つめながら、一人静かに溜息を漏らすことしか出来なかった――。




