17-4 Theater(幻影)――新宿
再び別れた男女の声は、交互に言葉の弾丸をぶつけてくる。
「本来ならば意味も成さない怪異の河。大地に散った人間の腐った心根の残滓、塵芥に過ぎぬ」
「ですが、水分子が水滴となり川になるように――創発して意味を有してしまいました」
「自ら作り出した神話と悪意が混じり、地表に住む人間自身を苦しめている」
「人間はその苦しみから逃れるべく、自ら作った神に縋り、悪魔を討とうと力を付けました」
「だがその力すらも自らの規律だ」
あぁ、サリエルの言っていることと同じだ。
怪異は全て人間が作り出した舞台装置。
その上で怪異は人間に襲いかかる。人間は自分が作ったことを忘れ、舞台上で勝手に役を書き、演者を増やし、自分を苦しめる。抜け出せない自業自得。
だが――ここで終わらない。
声は尚も先へ進む。
「規律の中で、ある者は全ての秘密を抱えて生きることを決めた」
映像が目映いフラッシュの内に広大な俯瞰絵から切り替わり、一人の人間が大きくスクリーンに映し出された。それは灰色がかった霧中に、濃い緑色に覆われた荒れ果てた墓地に佇む独りの男。金髪碧眼で筋骨隆々の――若い白人男性。見るだけで噎びそうな煙霧の中、男は墓に向かい膝を突き頭を垂れて泣き崩れる。
男の声は一切聞こえない。ここだけサイレント映画に戻ったようだ。
だが、男の背格好には見覚えがある。
――ロバート隊長だ。
「規律は人を苦しめ、世を苦しめる。苦しみは怨嗟となり世に満ちる。ある者は人の理に深く絶望し懊悩する」
再び画面が目映く輝き、一瞬に画面が切り替わる。
次は黒い人だかりが出来ている、……街のハズレだろうか。絵に想像するアメリカの郊外の通りに、広々とした幹線道路に煉瓦造りの家々、長閑な木々の佇まい。
楡の木だろうか。しかし、その木に何かがぶら下がっている。
果実ではない――人間だ。
衣類が乱れ血糊が付着し、見るからに痣や切り傷だらけの黒人男性だ。
映像は吊された黒人男性を憎々しげに見つめる若い男を映す。その瞳には怒りと諦観、そして憎悪が宿るように冷たく重い。
顔立ちから分かる……バーナードだ。
「怪異の規律に人の規律が混じり合う。すると世界は喜びよりも憎しみに満ち、忌むべき地上へと成り果てるのです」
ガンガンと金属を叩きつけるような効果音が耳を劈き、爆発的に目眩く映像が流れ変わる。金切り声にも似た音は耳障りに脳髄を掻き乱す。まるで正気を失わせるべく忍び寄る跫音だ。パッパと瞬く間に切り替わる映像だが、その音と光が激しく鼓膜と網膜を揺るがし、嫌というほど瞼と脳髄に焼き込まれる。
――街角で血を流し倒れる男女の間で、茫然とへたり込む長いブロンド髪の女性。
――深淵の闇が繁茂する夜の神社で、蝋燭の灯りに照らされた青い瞳の書生。
――砲弾飛び交う港町で、散らばる戦友の遺体に祈りを捧げる髭面の男。
――日の光が窓から差し込む洋館で、頭から血を流す男性を発見して叫ぶ少女。
――土埃に塗れた木造家屋で、戦友の死を踏み台に生き残った安堵の笑みを浮かべる……、私。
「ああッ――!」
そうだ。
皆、そうなのだ。
一様に闇を抱えている。
見ていられない。瞼をあらん限りの力で強く閉じる。
暗闇の中、人の闇と怪異の闇が合一する。異能は半歩ばかり人の理を越えてしまうばかりに、両者の間を最も濃密に揺蕩うのだ。そこで得た秘密を受け止めるのは、自分自身しかいないのだ。
――私は恥じた。
生き残ったことじゃない。
司令部へ報告する時、大尉や戦友達の死を忘れ去ったかのように生存を安堵したこと。そして普通の連隊に配属替えになったことを、喜んだのだ!
それでもなお――、私はまだ救われているのかも知れない。
あの腐った野郎と決別し、未来を歩むと決意することが出来たのだから。
死せる群像は生々しく生者を蝕む。それでも心に芽生えた闇を抱えながらも、怪異の闇を祓い、世を照らす灯りとなることは出来るはずだ。
私の邪眼は『太歳』の由。
そしてこの声は――太歳を知る。
脳裏にその事実が浮かび上がり、俄に目を見開いてスクリーンを睨んだ。この声、怪異は何をか語らん。スクリーンに映し出されていたのは、雲。白くぼやけた雲の中を飛ぶ飛行機のように、五里霧中である。
「しかし――、人間の那辺など無意味です」
映像が高く高く、大気を突き抜け宇宙に出る。
スクリーンの真ん中に青い地球。その周りは――漆黒の宇宙だ。星々の輝きすら掠れて見えぬほどに、真っ暗な余りに真っ暗な深淵の闇。
「この地球を空から見下ろせば、人間など見つけることが出来ません」
「ちっぽけな、あまりにちっぽけな存在だ」
「貴方達の悪意や善意など、この大宇宙の中では何の価値もないのです」
――あなたたち。
その言葉を聞き逃さなかった。
「『……やっと馬脚を現したな』」
これは映画ではない。
映画の体を取った怪異による説得だ。
フォカロルやウリエルに限らず、そう――、サリエルもそうだ。奴らは怪異でありながら、力の有り様を語り、あわよくば説き伏せようとしてきた。この私の邪眼を。
こいつもそうに違いない。
過去の弱みや心の闇を突かれ、心を折られるのは滝夜叉姫も加藤大尉に二度も喰らわされている。たとえ映像が真実だろうと、もう騙されんぞ。
「『……さぁ言えッ! お前の目的は何だ!』」
青く輝く地球、真っ黒な宇宙が映し出されるスクリーンに向かい、私は独り吼えた。




