15-3 Crime(米軍)――立川
『それ以上はいかんッ!』」
どんよりとした曇り空、怒号が耳も心も激しく聾する。サングラスが衝撃で外れ、すぐ近くにカラリと音を立てて落ちた。
『クラウディア! アメリカ兵が一人、民間人も一人負傷した。バーナードと共に救助に来い!』
『……隊長』
クラウディアが口籠もるように呟く。その須臾の沈黙を埋めるように、間髪入れずバーナードが復唱した。
『了解しました。すぐに向かいます』
隊長の巨体が、圧を掛けながら私に重くのし掛かる。それでいて淡々と命令を下す姿に、自然と狼狽の声が漏れた。しかし情動止みがたく――憤怨の念が混じりながら言葉が口から飛び出る。
「『何故です! どうして!? 奴は日本人女性を――!』」
「『……分かっている』」
――分かっている?
分かっているなら何故止める?
奴は女性を、罪を犯したんだ。
そして逃亡した。
こんな奴を――。
「『……ウラベ、間違うな。お前の眼は、怪異を討つ為にある。人を傷つけるためじゃない』」
その言葉に思わず眉を潜めた。眼球がきゅっと萎む。
初めて隊長が――憎く見えた。
「『アレが……、アレも守るべき人なんですか……!』」
無様に逃亡した米兵の後ろ姿がまざまざと脳裏に蘇る。
罪を犯して現場から逃走する許されざる男。無防備な女性を襲う腐った野郎だ。
見れば、隊長の懊悩が顔にハッキリと浮かんでいる。皺という皺が寄り、陰影を濃くしている。苦虫を噛み潰したように、眉も視線も何もかもが「苦悩」という言葉に染まる。
その顔を見ても押さえられない。
煮えたぎる感情はぐつぐつと腹の底から涌き上がる。
「『奴は、きっと裁かれません。ここは……占領下の日本。連合国に隷属する貧相な四等国。彼女はきっと告発すら出来ないし、政府が連合国軍兵士を裁く事なんて出来ません……』」
その言葉を口にした途端、大陸の記憶がチカチカと瞬くように蘇ってきた。大陸派遣軍の行軍、駐屯、戦闘――脳裏に焼き付いていた光景が、ネガのように浮かび上がる。
赤い大地。
見渡す限りの麦畑。
街に山積する無数の屍。
男も女も子どもも老人も――人の命は鴻毛より軽し。財産は分捕りにて成すべし。荒んだ人心は無防備な弱者に襲いかかる。綱紀粛正など夢のまた夢。眼前のそれは反吐が出るほど悍ましく、なのに慣れると何の感情も湧かなくなる――身の毛がよだつ現実。
我々は過去の報いを受けている。
いや――私だけなら良い。この眼も運命という報いなのだろう。だが無実の人が、戦禍を生き延びた人が襲われるのは報いではない。
ただの卑劣な犯罪だ。
――嗚呼、国が破れるとはこういうことなのだ。
敗者は勝者に蹂躙される。
あの米兵は勝者、草葉の陰で泣いている女性は……いや、私を含めて敗者だ。
ロバート隊長は――どっちだ?
「『それでも……だ。あんなクソみたいな奴でも、人は人だ』」
僅かに力を緩め、私を解放しながら吐き捨てた言葉。懊悩が滲み出て聞いているだけでも気が重くなる。だが、それでも納得できない。
『被害者は泣き寝入りし、犯人は絶対裁かれないとしても、ですか?』
『…………』
『私が守ろうとしたのは一体誰だったんですか……。隊長に〝お願い〟され、たくさんの怪異を滅ぼしてきました』
走馬灯のように相対した怪異、その脅威が染み出るように次々と脳裏を過っていく。それは心の傷を深く抉り出すように、ズキズキと鋭い切っ先を私の過去に突き立てる。
『私は家族を守れなかった。だからこそ怪異に術無き人を守る為に、今まで戦ってきたんです。奴は――その守るべき人を傷つけた敵です。占領軍という圧倒的勝者の立場から人の命や尊厳を奪う……敵です』
『…………』
――自分でも分かっている。
矛盾している。
奴は人間だ。
かつて私の周りにもいたクソみたい人間だ。隊長の言も分かるし、占領軍の立場に近く――長く浸かっている私が言う義理なんてこれっぽっちもない。
ただ一つ、私達は決定的に異なる。
『隊長は戦勝国の人間です。私は……敗戦国の人間なんです。みんなとは違います』
あなたと私は違う。
こんな単純な言葉が全てを突き放し、殺し合いに駆り立てる。
分かっていても言わずにはおれない。法で裁けないなら、誰が奴に罰を与えるのだ?
戦勝国に匿われるくらいなら、今、その全てを目撃した私が……。
『私は一度もお前をそんな区分けで見たことはない。お前はお前だ、ウラベ。奴はMPに必ず突き出してやる。裁きは必ず受けさせる』
『他に多発する同様の事件でも……?』
『…………』
――連合軍兵士の犯罪。
窃盗、押し売り、強姦、売春、横流し、面白半分の民間人射殺。
新聞には載らないが色んな所から話は聞こえてくる。『神聖同盟』の資料にも度々現れ、イノマタからもちょくちょく耳にする。
|民主主義を広める大義を持った国家《アメリカ合衆国》の、隠しきれない恥部。それに迎合するしか生きる術がない日本人。声に出せない女達、素知らぬ振りをする男達。見て見ぬ振りをしてきたのは――私も同じだ。
――私のいるべき場所はここなのだろうか?
――私は何のために闘っているのか?
――時間が欲しい。
『……少し考えさせてください。私が、戦う理由を見つけるまで』
サングラスに手を伸ばし、服の埃を払いながらよろよろと立ち上がる。遠く地面でのたうち回っている糞野郎を一瞥して踵を返した。懊悩に苦しんでいるであろう隊長の顔を見ることもなく、背中越しに言葉を投げた。
「『――ウラベ!』」
隊長の叫びに振り返ることはしない。
心中に蠢く矛盾と不安と絶望に――動悸が激しくなる。
でも基地には戻らない。
自分の居場所は……どこだ?
胃がきゅうきゅうに絞られる中、感情を投げ飛ばすように上を見上げた。どんよりとした薄暗い曇り空が、視界いっぱいに広がっている。
闇はこれから濃くなる。
私の眼は何を見通せば良いのか?
その答えを探して、ふらふらと歩き出したのだった。




