15-2 Crime(米軍)――立川
『こうして運転を頼むのも久々だな』
『――そうですね』
近隣で発生した微弱な怪異反応の調査。近所への散歩にも似たくらいの案件でしかないのだが、そんな軽い気持ちとは裏腹に、報告を聞いた隊長は二つ返事で同行すると言い出した。
いつも潜っている立川基地のゲートを、気まずい空気に包まれながらすり抜けていく。態々ジープで行く距離ではないのだが――連絡と即応のためには、たとえ近距離でもジープと通信機の組み合わせが推奨される。お目付役とでも言わんばかりに、助手席には隊長が腕を組んで座っている。薄暗い曇り空が夕暮れを感じさせず、そのまま闇の中に落ちる不安を増長させているようだ。
もっとも私の眼には露ほど関係ないが――。
『3分程度で現場に着きます』
『分かった。通信機の電源は入れておく。何かあればキャサリン、中継を頼む』
『了解しました』
歩いて10分も掛かるまい、そんな目と鼻の先の河川沿い。怪異反応も微弱。二人で、しかもキャサリンのバックアップも付けて。
……いくらなんでもおかしい。
邪眼は脅威である。それは否定出来ない。
それでも今まで上手くやってきたのに――。『命令』と隊長は言うけれど、押し黙る隊長の姿が雄弁に物語っている。何かあるのだ。私に隠された何かが裏で動いているはずだ。与り知らぬ誰かの意志が。
邪推が脳裏を昂然と飛び交う中、気がつけば目的地付近であった。
事前情報通り、砂利道が続く川沿いの農道。右は背の高い草むらで新緑に埋め尽くされ、反対側である土手の向こうは見渡せるが、所々の木々が覆いのように道に影を落とす。基地の中から駅沿いが生活圏の身の上、多摩川沿いの土地鑑はそれほどない。
キャサリンが見ている光景と地図記号、移動に掛かった時間から推測し当該地点を推量するしかない。
『……この辺りかい、キャサリン』
『そう、ですね。怪異の反応が微弱すぎて捉えづらいのですが……ポイントはその辺のはずです』
『微弱な反応と言ったが近似の例は?』
隊長が目を瞑ったまま尋ねた。
『一番近い例は……悪魔憑きでしょうか。本国の方で良く観測されたアレです』
『そうか。人に憑依、或いは誘惑――か。憑依されれば反応は鈍くなるし、結界のない所なら怪異の局部的反応部が表出してもおかしくはない、か』
『――はい。怪異に当てられると、欲望の抑えが効かなくなり、衝動的な行動を取るようになります。もっとも人間側の行動が怪異を誘発することも考えられますので、悪魔憑きの場合はどっちが先か分かりませんが……』
『ふーむ』
隊長が僅かに唸りながら頭を垂れる。深く考え込む時のいつもの仕草であるが、それほど難しい事なのだろうか。
米国や英国での「悪魔憑き」の例は寡聞にして良く分からないが、怪異に当てられた人間なんてこの世にごまんといるだろう。魔が差す、魔が通る、憑依する……言葉は違えど怪異に影響を受けた人間を表す言葉だ。
私も――だ。
邪眼という魔が私に憑いている。
それでも統制できる。怪異は作られた存在だから――そう言い聞かせながらも不安が胸中に蹲る。迷いを振り切るように首を振ったその時。視界に微かな靄が見えた。
――色?
右側の草むらを透かすように、濃い赤色と弱々しい白が混じり合っているのが見えた。動きから察するに、赤が白に襲いかかっているように見える。
『隊長――、右前方に赤と白の色が見えます』
『怪異か?』
『……何か違います。怪異にしては弱々しいような』
『レーダーの反応も微弱です。ですが、当該の怪異と推測されます』
『――よし、私とウラベで左右から行く。基地に待機してるクラウディアも念のため準備をしておけ。ジープが無理なら走ってこい!』
『わかったぜ、隊長』
今日の本部待機組はクラウディアとバーナードだ。彼女の俊足を以てすれば、入り組んだ街並みならジープより速いかも知れない。ジープを停車させ、隊長は消音器付拳銃を構え、私はいつもの機関銃を肩に掛けて降車した。
すると突然――色に変化が起きた。
濃い赤色がせわしなく揺れ動いたと思うと、我々の前方に抜けるように駆け出したのだ。
『隊長! 赤色が草むらから我々の前方に出てきます!』
『……注意しろ! 射撃用意!』
新緑の草むらがガサガサと揺れ、何かが猪突猛進の勢いで飛び出してくる。
逃がすまい。
照門は照星を綺麗に捉え、色を追尾するように射線を流していく。
草むらから――出た!
「『……なにッ?』」
思わず声が漏れた。
草むらから飛び出してきたのは、顔を赤らめた短髪の白人米兵だった。上半身は薄いシャツ一枚で、ズボンがどこか着崩れている。息を切らせ、状況が読み込めてないようだ。
男の視線は怯えるように震えており、私達を一瞥すると「shit!」の一言と共に踵を返して駆け出した。突然駆け出した男に呆気にとられていると、草むらの方から声が聞こえてきた。
――啜り泣く女の声。
あまりに弱々しく、儚く、悲嘆に暮れる――声。
嫌な予感が脳髄を駆け巡った。概念が脳内で固まる前に、身体が勝手に草むらに飛び込む。
視線を隠す新緑の草。
半裸の男。
啜り泣く女の声――。
信じられないし、信じたくない。
だが、僅かに数米分け入ったところで、見てしまった。
日本人……だろう。
白い洋服を着た女性が地面に蹲り、嗚咽を漏らしている。土下座するように地面に顔を隠す。辺りに衣類や手持ち品が散乱し、彼女の下半身は一糸纏わぬ――。
「……ふざけんじゃねぇ」
ぼろりと零れる。
眼に力が入り自然と見開かれる。
隊長に報告するまでもない、踵を返して今来た道を戻る。
人間の屑。
万死に値する。
地獄に落ちろ。
心中で呪詛が爆発するように反響する。鼓動が早鐘を打つように鳴り、視界がぎゅっと絞られていく感覚に襲われる。
全力で駆け抜けて草むらを飛び出すと――視界に奴がいた。
自分の罪から逃げるように、怯えて走る半裸の米兵。
赤が弱々しく薄くなっていく。
だが――赤い。
許すまじ鬼畜。
逃げるならばその脚から。
眼に込められた呪詛は不可視の弾丸となり――、数十米も離れていた男の右足を大きく大きく、あらぬ方向へ拉げさせた。
「ウウッ――!」
男の唸り声が遠くから響く。想像も出来ない痛みに苦しみ、その場で滑稽なほどに大きく転んだのが見えた。
逃げるな卑怯者。その罪は命を以て――
『やめろ! ウラベッ!』
突然、私の視界はどんッ――と大きな衝撃と共に左横に傾いた。
不意に巨体がぶつかってきた。
意識していない突然の衝撃に、私の身体は為す術無く地面に倒された。咄嗟に左肘を出したが、砂利道がザリザリと私の皮膚をいたぶる。
――何をされたかすぐに分かった。
隊長が全身の体重を乗せ、私に体当たりしてきたのだ。




