13-4 future(サリエルの悩み)――立川
『この驚天動地の事実を認識した怪異の一部は「堕天した」「神聖性を剥奪された」存在として語り継がれ、人の子を誑かす、誘惑する存在として描かれた。天使が「この世は人間が作りました」なんて言ったら皆怒るだろう? 既存の舞台装置に仇なす存在は誹られ、永遠に罪悪と退嬰の中に追放されなければならなかった。――そうだろう、サリエル?』
「『遺憾ながら、ね。気づいている奴はルシフェルとか含めても数えるくらいしかいない。或いは分かりたくないのか――』」
不満げに視線を流しながら溜息をついた。
ルシフェル――。
天から落ちた「明けの明星」にして悪魔王サタンの別名。悪魔あるいは堕天使の長。いや、これらの呼び方自身が既に人の子の傲慢な偏見と、愚かしい錯誤に満ちている。全て自分で作ったのなら――。
『それじゃ……、いないと思えば怪異はなくなるんですか?』
『――理論上の話だ。全人類が「怪異は自分達が作った物」だと認識した瞬間、彼ら天使も悪魔も妖怪も――皆、悉く消え失せてしまうだろう。現実には無理だが』
「『だから僕達は永遠に居続けられる。『ソロモン王』や『ファウスト博士』のような作られた伝説だろうが、神や天使を自らの内に召喚しようが、悪魔を外に喚起しようが――、それらの効用を信じる限り、世にある魔導書や魔術、呪術も全て有効だ。しかも、人の子が信じれば信じるほど力は強大になる。ここ数十年で馬鹿みたいに人が増えただろう? 益々我々は強大になるばかり――さ』」
サリエルがクスリと笑う。
無邪気そうに見える青年の顔に滲む、諦観と侮蔑を私はどうしたら良いか分からなかった。
1947年現在。
世界人口は20億人をゆうに越え、近い将来には30億人に達すると報道されている。記憶が正しければ、この百年程で世界人口は倍近く増えていたはずである。
人口の数は即ち「人的資源」として換算され、総力戦の尺度の一つとして機能していたのが遠い昔のようだ。戦争が終わり平和な時代を迎えるが故に、人口爆発に伴う食糧危機も大いに懸念される。
しかし――、人口爆発により怪異が強化されるという恐怖は、あまりに世俗から孤絶している。
『――怪異は絶対に消えない、のですね』
『そうだ。だが、故に対策もあるし希望もある』
博士の声色が静かに上がった。
『君の因縁も作られたものでしかない。皆から思われているが故に増幅された異能に過ぎん。――レフチェンコの首を斬り落としたいと思ったか? その感情の発起点は因縁か? 千年前の先祖が高名なサムライだったとしても、だからって首を落としたくなるか?』
口は真一文字のまま念話の洪水、機関銃弾幕のような詰問である。
だが、それは私が無意識に高ぶったあの感情を的確に撃ち抜き、冷や水を浴びせ、強力に客観化を進めてくれた。
『――ライコウ伝説に引き摺られるな。君は君だ。この西暦1947年を生きる、先祖とは全く関係ない現代の日本人だ。血脈も精神的血統も歴史学的には証明し得ない。もし滝夜叉姫がそうだと言っても、気にするな。全ては人間の作った舞台装置だ。それを変に意味づけたりしてはいけない。意味を付与した瞬間、舞台の空気に呑み込まれ――永遠に天国へ昇れぬ煉獄の道を彷徨うことになる』
「『上手い表現だねぇ』」
サリエルが口笛を吹きながら相槌を打った。
『異能や不可思議現象は確かに消せないし、これからも存在するだろう。それらは人類を平等に苛ませる。だが、異能に取り込まれる必要なんてこれっぽっちもない。君の異能は君の力であり、同時に作られた力に過ぎない。そのことを強く自覚することで、ある程度の統制が可能になるだろう』
『――出来るでしょうか』
『やれるさ』
端的にきっぱりと。
自信満々に博士は笑みを浮かべた。その微笑は私に対する信頼の証として向けられたものだと信じたい。
『怪異への劣等感を克服しろ。お前ならそれが出来る。周りがどう思おうと気にするな。「神聖同盟」や「ラセツ」「G2」「オリガ」の事なんて考えなくて良い。人間としてお前が行きたい道を行け』
『博士――』
『それが怪異現象に命を奪われた私の妻や娘への、せめてもの手向けとなる』
――沈黙。
博士がゴーグルの先に見ている景色は、きっと仄暗く、陰惨で、逡巡の誘惑すら認められない、絶望的な現実なのだろう。
私も家族を奪われた。
米軍に、戦争に、或いは太歳に。
今まで過去を乗り越えて進もうと懸命に努力してきた。その決意は私一人だけのものではなかったのだ。
『……分かりました』
私の行きたい道は、人の未来を守ること。
怪異は一筋縄ではいかない。
たとえ人が作った舞台装置だとしても、悪魔もいれば天使もいる。妖怪もいれば幽霊もいる。小人や家のような奴までいる。敵意や殺意を向けられるのがほとんどでも、好意を寄せる輩もいる。
たとえ消せなくても、或いは共存してでも、人を守ることは出来る。
私の愛する人も――。
「『さーて、それじゃ僕は先に行くよ』」
突然、サリエルが快活な声を漏らして立ち上がった。
本当に自由奔放な奴だ。
彼は満面の笑みを浮かべて私を見下ろした。
「『人の子は本当に面白いねぇ。強いのに弱い、けれどやっぱり強い。君が他の天使や悪魔達の誘惑に負けず、その力を人のために使うことを祈っているよ』」
そう言うと、突然身体が透け始めた。
あぁ――、やはり怪異なのだ。
妙に腑に落ちる感覚が脳裏を過る間もなく、彼は朗らかな笑顔という残像を残してふっと姿を消してしまった。
香も気も残さず、まるで最初から居なかったかのように。
『――彼はいつもああいう手合いだから、気にするな』
博士の慣れ親しんだような物言いにおかしさを感じながらも、やはり尋ねなければ気が済まなかった。
『彼は――、昔から私達の味方だったんですか?』
『……さぁね。「神聖同盟」本部でも、彼がいつから友好的かなんてどうせ覚えてないさ。ただこれだけは言える。――彼の言うことも、そのまま信じてはいけない』
博士の一言はタケミナカタの警句にも似たものであったが、よく分かる。
『作られた演者の言うこと、だからですね』
『そうだ。勿論、彼はその事を分かっていっている分、遥かに良心的だが……信じられるのは主観だけだ。だが今の君なら――もう大丈夫だろう』
博士は優しく静かにゴーグルを外した。
知的無頼漢の眼差しに一縷の希望を感じながら、私もゴーグルを外して光指す窓の外を見上げた。
――紛うことなき勿忘草色。
晴れ渡るうららかな春の空。
何処までも果てしない青空に、新たな決意を刻みつけるように、遙か遠くを見通すのだった――。




