12-5 Awakening(帝国の遺産)――都内某所
驚異的な跳躍は彼女の精華である。
瞬時に距離を詰め、その豪腕で並み居る怪異を討滅してきた。
今、その腕でレフチェンコの顔面を殴ろうと飛びかかる。
しかし――。
例の鈍色の輝き。
ありとあらゆる物を止めてしまう驚異の技術。
「『くそッ――!』」
彼女の拳の勢いは無残にも殺され、後20糎というところでピタリと止まってしまう。レフチェンコの顔が嫌らしく歪み、突き出された拳を冷気溢れる左手で掴み取った。
「『おやおや、粗暴なじゃじゃ馬娘じゃないか。私をダンスに誘ってくれるのかね?』」
「『……この、クソ野郎がッ!!』」
憎らしい余裕の笑みに腹が立つ。みんなそうだろう。
レフチェンコの口から再び言葉が漏れる。
呪文――。
俄に奴の両手の冷気が強まる。
がらんどうのこの部屋で、冷気の風が頬を撫でる。
冷気の対流が起こるほどに、氷雪を纏う奴の拳は強烈である。直に受けるクラウディアは如何ばかりか――。
「『テメェはナチと同じだッ! あたしの家族や友達を奪った、……あのゲス野郎共とッ!』」
怒りに打ち震える瞳や表情に、彼女の過去が焼き写されているのだろう。きっとそれは――怪異以上の混沌、反吐の出る人間の闇。
「『フン――、あの連中と一緒にして貰っちゃあ困るなぁ。まぁ、じゃじゃ馬娘にはそういう機微は、分からんだろうがね』」
侮蔑、見下し――けんもほろろに突き飛ばす。
その勢いは弾けるように。
彼女はボールのように押し飛ばされ、見るからに痛々しく暗いコンクリート壁に全身を打った。
『く、くそ……、手が……!』
赤い。
腰砕けに壁にもたれ掛かるクラウディア。彼女の手には薄い氷が覆い、下の皮膚が真っ赤に腫れているのが見えた。
自分の両脇や身体で温めようとしているが、一向に溶ける気配はない。
通常弾頭も神聖化弾頭も効かない。
殴ることすら出来ない。
圧倒的な現実、絶望的な現実。
皆の消沈した空気が肌を刺す。
「『その氷は冷素魔法に物理防御陣を織り交ぜた特注でね。ナチ共の研究は「ただの氷」「物理防御」で終わっていたようだが、我々は両者を術者に紐付ける所まで昇華できた。……私が術を解くか意識を失わない限り、その氷は溶けない』」
事実かどうかは分からない。
だが、嘘はないだろう。
これこそ勝者の余裕なのだ。
『これで分かったかね? 抵抗は無意味だ。銃も神聖化も効かぬ。我々の邪魔をするなら相応の報いを受けてもらう。だが――』
俄に、口元が動いた。
口惜しそうに歪む。
不満は声色となって如実に表れた。
『「神聖同盟」や連合国との兼ね合いもある。今はこれ以上コトを荒立てたくはない。そこの無能な副官を連れて、私は帰ることにしよう』
突然の勝利宣言。
皆の顔が驚きに染まる。
確かに対抗する術は多くない。
私の邪眼も眼が合わなければ効く保証はない。
邪眼を使い効果が無かったら、ただただ奴の反撃を招くだけだ。
二進も三進も行かぬ。
奴の勝手な勝利宣言、撤収宣言をどう解釈して良いか計り兼ねていたその時。
『だが……、そこの巫女だけは邪魔だ』
三度生成した氷針を掌に浮かべる。
大きく前にせり出す右手、歪んだ手指。
氷の悍ましい鋭さに寒気が走る。
まさか――。
『連合国との衝突は本国にも悪影響を与える。だが「ラセツ」は違う。我々にとってただの敗戦国の残党でしかない。私を追跡できる力はいらぬ。だから……、死ねッ!』
「ヒノエさんッ――!」
引き攣るように腹から声が出た。
背筋や脳幹を突き刺すような恐怖が、怒濤の洪水となって瞬時に駆け巡り、眼に力が入るのが分かった。
殺気を伴って勢いよく飛び出す氷針を、この憎い『氷の弾丸』を目で追う。
ビーム条の光陣。
劈く風切り音。
空を切り裂く氷の弾丸。
――見える。
須臾の間にすぎない。
なのに不思議な感覚に襲われた。
見える。
見えるのだ。
映画の緩速度撮影表現。
そうとしか言い表せない。
魔術の装いを施された氷の弾丸。
鈍く白色の輝きを放つ氷核までも鮮明に。
この氷はヒノエを殺すべく飛んでいる――。
怒り、憤怒、敵意、殺意。
機械的なスイッチングに脳が焼ける。
氷自身を私は呪った。
死ね、爆ぜろ――と。
刹那。
にっくき氷の弾丸。
彼女の1米程手前。薄暗闇に焼け付くような残像を残した弾頭は甲高い破裂音を立て、木っ端微塵に爆ぜ散った。
「『……なにッ?!』」
レフチェンコの驚きが部屋に木霊する。
視線はゆっくりと、ゆっくりと奴の方へ。
静かに静かに、練りに練るように。
沸騰した殺意がぐらぐらと腹中を揺らし、溢れ出る感情が力となって眼から流れ出る。
レフチェンコの表情――。
眼は大きく見開かれ、頬や眉の神経が引き攣っている。
人それを恐懼と言うのだろう。
私の眼に抑えようのない憎しみが漲る。
「『ま、まさか――、邪眼が……観念動力を……!』」
奴が慌てて視線を逸らす。
――目を合わせてはならない。
邪眼への対策は目を閉じる事。
それを知っているようだ。
しかし、――そんなことはどうでも良い。
ヒノエを殺そうとした奴にかける情けはない。
「『レフチェンコッ……!』」
憎悪に身を委ねるのは人間の業。
私は初めて――人間らしく叫んだ。




