8-6 natural(建御名方)――代々木
この封鎖されている中で、どうやって?
疑問は瞬く間に氷解した。
腹に響く重低音、僅かに地を揺るがす振動。戦場は終ぞ聞かなかった――それは幸せなことであるが、耳に残る機械音。
華奢なヒノエの後ろから、ささやかなヘッドライトが闇を切り裂く。
闇に丸みを帯びた巨影が浮かび上がる。巨大な鉄の塊が、古ぼけた石敷の地面をガリガリと削りながら、ぬらりと闇から姿を表した。
隊長のライトに照らされ、車長用のハッチから身を乗り出していたマイクがニッカリと笑顔をこちらに向けている。
『マイク――!』
『遅れちまったな! TODからの直送品! ご要望通り戦車を持ってきたぜ!』
兵器や武器弾薬を製造貯蔵している連合軍占領地域だったか――、今ここにいるということは、どうやら第8軍との交渉はかなり早い段階で決着していたのだろう。
大陸では見ることはなかった鋼鉄の巨獣。しかし、連合軍軍事パレードでは散々見ることになった巨大な鉄の塊が、確かにそこに在った。
暗闇で濃淡は薄くなっているが、人工的な丸と四角のデザイン、緑色の車体、強力な76mm砲がはっきりと視認出来る。生身の人間では到底戦いたくいない、まさしく鋼鉄の猛獣である。
『マイク、どうしてヒノエと一緒にいる?』
隊長のライトが揺れ、戦車に向かって走りながら声を掛けた。
『あぁ、それが道中で彼女がヒッチハイクして――』
『ラセツ側で怪異を認識して急行したら、ちょうどコレに会ったのよ』
マイクの冗談はヒノエの説明で冷たく上書きされた。
うんざりとした感情が隠さずとも滲み出ている。
――まだ列車での一言を気にしているのだろうか?
『今私達が見ている怪異……、いえ、御姿はタケミナカタ様の分霊、あるいは荒魂よ』
ヒノエが静かに戦車から離れ、本殿の太い柱の麓に向かって歩き出した。静かに、足音もなく、懇々と怪異について語り出した。
敗戦後、活発化した怪異現象の影響で、安定しているはずの鎮守の神や産土の神すら、暴れるように人界に影響を与えるようになった。特に荒神から転じた鎮守の神――タケミナカタなどその権化であるが、一番影響を受けた。
『ここで起きた自決、そして活性化した怪異現象という時宜が、復讐に燃える御心を持ったタケミナカタ様の分霊を焚きつけてしまったのでしょう』
それは祭られる前の荒神、そのままに。
腕をなくし国は破れ、逃げ――、現実との狭間に仕舞い込んだ、天津神への復讐。今目の前にいる、いや、鎮座まします白色の怪異は、理屈などなしに荒神として振る舞うタケミナカタの本来の姿なのだろうか。
『本来の流儀であれば、荒魂を鎮めるための幽事、神事を執り行う所でしょうが、古来より「ラセツ」では荒神の分霊を鎮める為には、一度ならず何度も何度も闘い、疲れ果てた秋を以てお鎮めする事としております。――なれば』
巨大な鉄の塊の砲塔が、機械的な電気音と共に、動く。
まさか――。
戦車を見遣ると、隊長の姿が見当たらない。
きっと何処かのハッチから戦車に入り込んだのだろう。
それは神聖化のため――。
神聖化の対象は、砲弾。
『徹甲弾装填――!』
『照準ヨシ! 全員、射線より退避! 地面に伏せて耳を塞げ!』
マイクと隊長の声が交互に響き渡る。
声色はやる気に満ち満ちる。
時間がないッ!
デービッド、クラウディア、バーナード!
瞬時に視線がバチリと交じりあい、戦車の射線から逃れるように地面に飛び込んだ。土は氷のように冷たく、砂利が痛々しく刺さる。
一瞬の静寂。
『3、2、1、――ファイアッ!』
――轟!
割れんばかりの轟音が落雷の如く、境内一帯に轟き渡った。
夜の横浜に鳴り響いた、ボーイズどころではない。
文字通りの大砲、文字通りの轟音。
発砲の衝撃波が我々の身体を駆け抜ける。境内を包む暗闇は、近代兵器の爆発力に無碍に散らされる。光環とも異なる、オレンジがかった白色の発砲炎が境内を照らし――、強烈な硝煙の臭いが辺りに充満した。
一時の爆音、而して静寂――。
パラパラと衝撃で舞い上がった土埃達が、私達の頭上に降ってくる。数秒の沈黙を経て俄に顔を上げるが、キーンと耳は聾するばかり。瞬時の状況把握など出来ようもない。
『……全員、大丈夫か?』
『デービッド、大丈夫です』『クラウディア、問題ないぜ』『バーナード、異常ありません』
『ウラベ――、大丈夫です』
掠れるような念話である。
地面を鷲づかみ、上体を起こす。戦車も怪異も、全ては私の背中の先。後ろを覗き込むように状況を確認した。
――白を纏う古人。
相も変わらず、いや、空を切っていた直刀を杖の代わりにし、かろうじて二本の足で立っている。
『砲弾の命中を確認しました』
キャサリンの弱々しい声が、闇に融ける。
怪異の左脇腹はごっそりと消え――そこに在るべき白色はなく、透かして境内の反対側に在る闇が見通せた。
神聖化された徹甲弾は、見事に身体を貫き、その一部を奪っていったのだ。
『敵怪異、衰弱している模様――』
キャサリンの状況判断はきっと正しい。全員が銘々に怪異を見遣る。戦車のハッチから隊長達が顔を出し、我々は力無く茫然と立ち上がる。
消えゆく怪異は見るも悲しく、怪異は輝きも衰え、白い靄のように形を失いつつあった。
『タケミナカタ様――』
ヒノエが本殿から静かに現れる。
母が幼子に語りかけるように、その声色は懐かしくもある。
彼女は怪異に向かって歩みを進める。その足取りに音はない。
『幽世の大御神がお待ちしております。――荒ぶる御心も朝の霧、夕べの霧の中に鎮め給いて、残る罪は悉く在らざること畏み畏み申す。購う命も誰がために――』
闇に融けた女の厳かな口調が、去りゆく神を葬送する。
『破れたり――』
人の形を失いつつある怪異が、徐に明瞭な言葉を零した。その言葉は、ぽつりと余りにも寂しげである。
『なれど、……嘲弄に堪え、貶められる定め……背負いし……汝なれば、見えるモノもあろう』
どこか様子がおかしい――。
ただの独り言だろうか?
ヒノエへ向けた言葉とは決して思えない。敗北を認めて静かに俯く様にはどうも見えない。嫌な予感が薄ら寒く背筋をなぞり、俄に冷や汗が流れた。
『その眼にて、汝が背負いし業、――刮目して見よッ!』
あまりに突然の事であった。
怪異は見る間に体躯を完全に失い、光の靄になったかと思うと、砲弾の如き陣風となって私にぶつかってきたのである!
「なッ――!」
闇が霧消し、ぼんやりとした純白が視界を覆う。靄は肌を優しくなぞり、包み、――全ての感覚が外界と隔絶する。
『ウラベッ――!』
隊長やヒノエの声が遠くに聞こえる。しかし、洞窟の中のように叫び声は残響の果てに消え、真っ白い静寂が訪れる。
『――信じるな、何も』
タケミナカタの声だけが明瞭に聞こえたのを最後に、突然睡魔が強烈に襲ってきた。デービッドのロザリオ。あの新橋の夜のように、暖かな光に放念するばかり。
誰に包まれていたか、それすらも分からぬ居心地の良さを感じながら、意識は急速に闇に転じて墜ちていった――。




