8-5 natural(建御名方)――代々木
一目見て身体が動いた。
脅威は常にその及ぶところにあり、離れたる所には及ぶことなし。
昔、やや古めかしい語調でデービッドから教えて貰った。対怪異戦闘において最重要は距離を取ること。怪異と言えど形を成している以上、対処の本質は動物と関わらない。
「『ちッ――』」
振り返り様、後ろに勢いよく飛び退く。負い革を滑らせて機関銃の握把を握り、銃口を怪異に向ける。
見ると――、私の右隣に立っていたはずのデービッドも、怪異を挟むように消音器付コマンドカービンの銃口を怪異に向けている。
土埃が静かに舞う、彼我3米。
イノマタは腰を抜かしたままで、ぼんやりと正面を見ている。
この白い怪異が見えているのだろうか――?
しかし、このままにしておく訳にはいかない。白い怪異は佇んだまま、社を見上げているばかりである。
――今なら。
『デービッド!』
『分かった』
あ・うんの呼吸。
デービッドが駆ける。「立ってくだサイ!」と声を荒げ、座り込んでいるイノマタの腕を強引に引っぱり、闇の蹲る境内のハズレへ走って行く。
この白い怪異、何かがおかしい。
さっきから辺りのことは目もくれず、社を――、或いは天を見上げているばかりだ。強烈な怪異反応とのことだから、これがナチュラルクラスのハズなのだが……。
『敵怪異の反応確認出来ません。姿形から、日本の神様や妖怪の類いと思われます』
そう――、その通りだ。
古人の髪型である美豆良。
白い衣に袴、赤い襟紐に、手結、足結。腰には白く輝く肉厚の直刀。
高貴な古代人のままである。
身長は6尺近くあり、私が見上げるほどの大柄である。身体全体が白く輝き、輪郭もはっきりしないが、僅かに髭や眉が見える。だが、はっきりと身を震わせる程の異様が一つある。
――左腕がないのだ。
『ウラベ、デービッド、左腕のない日本神話の神はいるか?』
鳥居の麓でバーナードが問いかける。暗闇の向こう側、彼は座り込みの姿勢で狙撃銃を構えているはずである。左膝の上に左腕を置き、腕を土台にライフルを安定化させるいつもの体勢であろう。
スコープの先、この怪異の候補。
いきなり言われても困る。
歴代天皇は空で言えるのに、記紀神話の神々で腕がない神様が中々浮かばない。
『ヤマトタケル、ヒノカグツチ、……でもない。死んだだけじゃなく、腕か』
『――あ』
私がヤキモキしている間に、デービッドが、ふと声を漏らした。
『相撲ですよ、相撲。ほら、ウラベ、国譲りの――確か名前は』
『そうだ、建御名方――!』
国譲り、相撲――。
確か、天津神が国津神から葦原中国を譲り受ける――葦原中国平定の際に、建御雷に勝負を挑み、腕を投げられた大国主の息子、――だったはず。
『国譲りで負けて、諏訪湖に行き着いた神様だった、か……?』
今は諏訪様として祭られているはずだが。
目の前に顕現している怪異は、本当にかの神様なのだろうか?
神様に私は銃口を向けているが、罰が当たらないだろうか……?
不安に銃口が揺らぐが怪異は気にする素振りを見せない。天を仰いでいた怪異は、静かに俯き、右手をまんじりと見つめだした。
『――けされた――』
怪異が、静かに呟く。
こいつも人語を解する。
『国は破れ――、逃げ果せ――、消された――我が名』
憎々しく、悔恨の念を深める声色にて拳を強く握る。それは遥か古代の記憶。戦に負け、逃げ、その先にあったものを思い返しているのだろうか?
『我が名、我が名を……呼ぶなッ!!』
突然――。
白色の怪異は白銀の直刀を抜き、咆哮にも似た大音声で叫ぶと、私に向かって大きく踏み込み、勢い仰々しく刀刃を天高く掲げた。
白光の顔が怒りに歪み、大股の一歩と上段からの強烈な振り下ろされる!
古刀の煌めく白刃が鋭く闇を切り裂き、一閃の風が境内を吹き抜けていく。切っ先は私に届かなかったものの、凄まじいまでの剣速は脳裏に死を予感させた。
瞼に焼き付く三日月状の残影――。
一撃では終わらない。大きく振りかぶり、再度!
『当たるかッ!』
剣速は目にも止まらなくとも、予備動作は鈍く緩慢ですらある。襲いかかる残影の明滅、階調をすんでの所で脱兎の如く跳ね退き続ける。
『総員、発砲許可! 先に私が牽制する。発砲時には声かけ!』
『『『了解!』』』
チラリと視線を流すと、隊長の負い革が回り、擲弾銃がするりと怪異に向けられた。
ポンッ――と、相変わらず気の抜けた発砲音である。
だが威力は折り紙付きだ。
装填された銀粉弾頭が怪異の足元で炸裂し、フラッシュのような白煙と、花火のような炸裂音が我々の耳を聾した。
『ぐッ――』
怪異の鈍い声。
僅かなたじろぎを見逃さない。
バーナードの『発砲します』という掛け声と共に、狙撃銃が火を噴いた。放たれた7.62mm弾が吸い込まれるように怪異に着弾する。
声かけが頭に響き、発砲音が闇夜に劈く。
もはや隠しきれないだろうが……、民間人に聞かれていないことを祈るばかりだ。
闇の中でも視線が転じ、濃密に混じり合う。繰り出される高度な連携は、幾度も境内を光環で照らし出すが――、どれも決定打には及ばない。
「『私が行くッ!』」
うまく怪異の影に入り込んだクラウディアが、その豪腕から繰り出される聖打を背中に叩き込む!
擲弾の発光すら上回る、爆発的な光環が俄に目に焼き付いた。境内は華々しく明るく照らされ、陰影を夜の闇に刻みつける。
『ガアッ!』
遂に怪異が悲痛な声を上げた。
きっと致命傷だろう。前屈みに膝を突く怪異に機関銃の銃口を向けた――その時。
「『下がって!!』」
凛――。
鈴の音が聞こえた。
脳内に、いや、両耳にも明瞭に聞こえた。あの列車で聞いた弦のような、澄み渡り、透き通り、染み渡る――不思議な音色。
同時に響くのはつい昨日耳にした声。
無意識に身体が動き、勢いよく後ろに飛び退いた刹那である。
怪異の表情が怒りに塗れ、わなわなと震えた身体から、あらん限りの力で白銀の直刀を真一文字に大きく薙ぎ払った!
電光一閃!
真一文字に眼前の世界が割れる。
僅か数十糎先を、弾丸のような剣速で刃が奔った。
白刃の輝きが雷光の如く闇夜を照らす。切っ先の後に遅れてきた暴風が、私達の身体だけでなく境内全体を揺さぶった。
すんでの所、命はまだある。
「『相変わらず、そそっかしいですね――』」
冷たい声。
氷のように耳と脳髄に刺さる。
それでも心の底に染み渡るような、声。加えてシャン――シャン――と、甲高い金属音が境内に木霊する。
音は境内の裏からか?
闇が濃い中、米軍のL型ライトが闇の帳を切り裂く。その先には、金色に輝く鈴と白刃輝く鉾が付いた、……いや、槍としか形容出来ない武器を持っている、女。
ヒノエが、静かに闇の中から現れた――。




