8-4 natural(建御名方)――代々木
「『……大丈夫ですか。怪我は?』」
「……」
男が静かに目を開く。だが、状況が良く飲み込めていないようだ。
闇が揺蕩う神社に日本人と欧米人らしき影。しかも銃を携行し、眼前で発砲していたのだから、理解出来なくでも仕方無い。
暗闇でも分かる。
その目は不穏、敵意に満ちたそれである。
疲れ切った様子にも拘わらず、眼光は鋭い。
きっと昔の私もこうだったのだろう――。それでも、何故ここにいるのか、聞き出さねばならなかった。
『デービッド、頼む』
『はい』
するり――と、ロザリオを外す。
古ぼけた神聖さを宿すキリストの贖罪。僅かな詠唱と共に、俄に鈍い輝きを見せ。
『……そんな。ここで?』
意外そうな言葉を漏らし、双眸は見開かれぐるりと辺りを見回した。俄に得心したように、深く俯きロザリオを首に掛けた。
「『あなたは、イノマタさんですネ』」
猜疑に塗れた眼光は、転じて驚き、驚異と変わる。
「な……、あんた達は、一体なんなんだ?」
「『私達は、ある事件を調べている進駐軍の部隊デス。イノマタさん。あなたはあの時ここにいたのですネ?』」
――あの時。
デービッドは何かを見たのだろう。我々の出自に関する口から出任せは、すんなりと流された。その言葉に男は大きく動揺し、地面を見つめて呟きだした。
「……そう、だ。俺は、……逃げたんだ。死にたくなくて……」
男の声は、消え入るように小さく、か弱くなっていく。
「『あなたは、……自決が恐ろしくなり、逃げ出したのですヨネ?』」
自決――!
思わぬ単語に、目をひん剥いてデービッドを見つめた。
『デービッド、どういうことだ?』
『この人はイノマタ・テルオ。日本の降伏直後、ここで同志十数名と一緒に自決しようとした政治結社の人です』
……あぁ、そういうことか。
敗戦――。
大日本帝国の降伏――。
あれだけ戦前、戦中と皇国の運命を声高に叫んでいた国民や政治結社にとって、連合国への降伏は青天の霹靂だった。
私も大陸にいた頃、降伏がすぐに信じられなかった。敵軍の欺瞞工作を疑うのは自然で、命令が来て初めて事実を受け止めたものだ。
前線の兵士も然る事ながら多くの国民は短期間の茫然自失を経て、すぐに現実を目にし、切り替えて今を生き始めた。
――だが、降伏直後はそうではない。
血気盛んな軍人や、政治結社は降伏、不滅の神州が滅びるのを認められなかった。
だから、各地で蹶起が起きるのではないか、占領軍を攻撃する部隊が出る、と現実味のある噂が流れた。実際、厚木基地辺りでは航空機が飛んでいたようだが、二週間程度で混乱は収まった。
それでも敗戦の衝撃は人々を大きく揺さぶり、戦争に負けた原因が自分達にある――、そう考える人達が出てくるのも必然であった。
いくつかは記事になり、私ですら聞き覚えがある。
○○将軍が自宅で自決。
△△にて陸海軍人が自決。
××神社で政治結社何人が自決。
幾人もの死の贖罪は、国が滅んだ証左でもある。
死に損ない生き残る――、か。
デービッドが見た過去、イノマタとの会話、私の知識を隊長以下全員に念話で簡単に共有した。
『それじゃ、さっきの靄達は――』
『おそらくそうでしょう』
だが腑に落ちない。
後悔、懺悔、贖罪の果てに自らの命を決した面々が、ああいう形を成さない怪異になるのだろうか?
確証はないが、強い念であればあるほど怪異として強くなると思っていたが。
「あ……あぁ……ああ……」
男が両手で顔を覆い、俯き、沈み込む。
「『話してくれますか、――何があったか』」
デービッドが、強く念を押すように、問いかける。
いつもの優しさはなく尋問のそれである。男は諦めたように、いや――、己の過去から逃げるように説明を始めた。
言葉にすることで、己の過去を清算するように。
「私は……、愛国主義団体の一員だった――」
皇国の先行きを憂い、己の非力さを嘆き、謝罪を込めて自らの命を決する。その意志は固く揺るがない。十数名の同志と共に、死に場所を選んだ。
場所は、――この神社の境内。
真夏の夜の夢の如し、真円に並ぶ白装束の老若男女。
掛け声とともに、惨劇が始まった。
周りの同志が、男も女も、次々と日本刀や拳銃、カミソリで死んでいく。刀による介錯も行われ、血だまりが境内を染め上げる。眼前に広がる見知った人間の死屍累々。最後の一人になり、自分だけが死に損ねた。
いや、死にたくなかったのだ。
「俺は、逃げたんだ……。怖くて、怖くて……」
必死の形相であの階段を降りていったのは想像に難くない。男はまだ息のある同志達を見殺しに――、敗戦という現実に逃げた。
「でも、幾ら逃げても逃げられない。皆、恨んでるんだよ……、俺のこと」
逃亡の果て――。
男は少し離れた農家に居候をしながら、畑仕事の手伝いで糊口をしのいでいたという。ところが心労は積もり重なり、ついには幻聴が聞こえ始めたという。
――何故、逃げた。
――どうして、お前は生きてゐるのだ。
――どうして、…貴様だけが、平和に生きてゐるのだ。
――どうして――
そして、つい数時間前。
とうとう我慢出来なくなった男は、幻聴から逃れるため、脇目もふらず逃げ出した。畑仕事など放り出して一心不乱に逃げた先が、――皆が果てたここだった。
男は怯えきり、涙は滂沱の如く頬を流れる。押し殺した声で一人己の恥を嘆く。
「今となっちゃ、御稜威も悠久の大義も糞もない。俺には親も子もいない。あの空襲でみんな死んじまった。――でも、俺は生きていたかったんだよ」
理由なんて、――ない。
その気持ちは、痛いほどに分かった。
この男も家族を失い国を失い――、己自身を失っていたのだ。僅か数ヶ月前の自分も、苦悶の日常を恨めしく思い、死んだ方がマシだと思いながら――それでも生を繋いでいた。
生きたい――。
その願いを、誰が拒むことが出来ようか。
「『あんたも苦労したんだな』」
自然と言葉が溢れた。
私の声に男が静かに顔を上げる。その瞳は答えを求めるようだ。
「『勝手な推測だが、他の人は恨んじゃいないよ、きっと』」
「――どうして、そう言い切れる」
「『もし本当に殺したいなら、怨霊となって鬼の形相であんたを殺しに来てるはずだろう。でも、そこまでじゃなかったからこそ、今もあんたは生きている。この1年で、考えが変わったんじゃないないか?』」
私の様に――。
そう言いかけて、ぐっと口を噤んだ。
さっきの靄が彼らだったとしたら、恨みや悔恨は感じられない。本当に様子を見ていただけなのかもしれない。
銃弾に消えた今となっては、そう信じたい。
見ると、男は少し考え込むように俯く――。きっと、過去を振り返り、現実を見て、決着を付けようとしているのだ。
「――そう、なのかな」
「『確かなことは分からない。でも、そう思うようにしたらいい。自由に考え、自由に行動出来るのは、生きている者の特権だろ? あんたも自由に生きたら良い』」
「……あんたは、自由なのかい?」
――僅かな間が魔となって、心に入り込む。
それでもこの闘いこそ、私なりの過去との決着なのだ。
振り返る必要などない。
今、ここには仲間達がいるのだ。
「『――あぁ!』」
強く頷き、男に手を差し伸べた瞬間。
弛緩した脳髄を叩き起こすように、キャサリンの甲高い叫び声が再び脳内に木霊した。
『き、強烈な怪異反応です! ウラベさん! 逃げてッ――!』
脳髄に電流が走るように驚き、身体が咄嗟に反応した。
即座に後ろを振り向くと、そこには、嘗て在りし古代人のような服装をした、真っ白く眩しい光が――、私の目の前に厳かに佇む光景だった。




