9-1 Fate(滝夜叉姫)――京都
――夢を見ていた。
暖かい日差しが天から降り注ぎ、足元の砂が皮膚をジリジリと刺している。
遠く見れば、真っ直ぐに広がる水平線。上は果てしない青空、下は透き通るような青一色。黒を帯びた砂浜は、広く広く左右に続いている。
何処かは分からない。
しかし、懐かしさが胸の底からこみ上げる。
ずっとずっと昔、家族と一緒に海水浴をした思い出の砂浜だ。
振り返れば、父と母が道路際の屋台から、私達を笑顔で見つめている。子どもの頃の兄と妹が、無邪気に波打ち際で遊んでいる。キラキラと輝く波の飛沫が、光の向こうの二人を神々しく映えさせる。
「おーい、兄ちゃん!」
声も身体も子どもの時分である。
高らかに叫び、一緒に遊ぼうと砂浜を駆ける。しかし、砂に足を捕られて中々進めない。余りにも不可思議な程に――、歩いても走っても、兄妹の遊ぶ波打ち際には全く近づけない。
息は絶え絶え、無様に砂に倒れ込んでも距離は一向に縮まらない。
何故だ――?
そう思っていると、俄にウーウーと心底不気味な警報が辺り一帯に鳴り始めた。
子どもの時分には絶対聞くことのなかった、不吉な死の予告。
果ての無い青空。
その向こう側から黒を纏った銀翼の鳳が列を成し――。
「――ッ!」
余りの息苦しさに手を伸ばして飛び起きた。
かすかに残る懐かしさ、忘れられぬ温もり。その全てはあの時に砕かれ、燃やされ、骨も残らなかったのだ。
兵役を終えて我が家に居候していた兄も、妹も、本家から来ていた父も母も――、皆瞬時に消えてしまった。焼け落ちた我が家を見ることも出来ず、一緒にいることも出来ず、助けることも出来なかった。
無念と後悔が今も胸の奥でぞわぞわ疼く。
当てもない感情。
鼓動が胸を打ち息も少し荒い。しかし、すぐに現が目に飛び込み、夢は脳裏と思い出の彼方に消えることになる。
視界に映るもの――。
茶色い板張りの天井、金箔をまぶした絢爛な襖、肌触りの良い純白の布団が、五感に働きかける。何処かで焚いているのだろうか、微かに鼻腔を擽る白檀の香り。
その全てが、また見たこともない場所であった。
「『やっと起きましたか』」
不意に聞き慣れた声が耳と頭に入り込む。
幼さの残る冷たい声。敵意はないはずなのに、どこか人を遠ざけてしまうような、思い遣りのない言葉。それでも私は胸を撫で下ろした。
「『ヒノエ――さん』」
振り向けばいつもの黒い上着――千早は着用せず、灰色の小袖に黒い袴を履き、正座しているヒノエがいた。
見るからに普段よりも軽装である。その表情には微かな笑みを浮かべている。
安堵と一緒に一瞬の緊張が背筋に走る。
哀愁を漂わせた肌、紅、香、長髪。言うのも恥ずかしい感情を向けていた、その当人が目の前にいるのだ。
「『ここは――』」
「『私たち「ラセツ」の本拠。京都の老ノ坂』」
私はまた数日寝ていたのだろう。
京都盆地をさらに西に行き、亀岡や綾部に抜ける峠道を更に脇に逸れた場所という。
「『あぁ、もっとハッキリ言った方が良いわね。ここは大江山本拠。――酒呑童子の居た所よ』」
「『え……』」
ヒノエに曰く。老ノ坂は古くは『大江の坂』と呼ばれ、長い年月の間に転訛した大江山だという。私でも知っている『大江山』は丹後国のそれだが、どうやら後世に語られる中で、伝説の位置づけが移動してしまったらしい。
「『酒呑童子の本拠は人界と幽界の狭間。源頼光一行は洞窟を通りと表現したけれど、今いるこの場所は――貴方が見た「迷い家」と同じ。普通の人には認識出来ない、半分異界のようなものね』」
あまりに飄々と説明するヒノエに一々質問を入れるのも野暮だ。もし私が何も知らない小僧であれば、一々驚いて質問を乱発していただろうが、今となってはすんなりその説明を受け入れられる。
「『人目を憚るように、千年もか』」
「『……そうよ』」
長い歴史の間、京都を霊的に守護しつつ様々な怪異討伐を行って来た異能集団。時代が移り変わり、今では帝都、いや、東京や日本全体を守護しているのであろう。東京から数百粁も離れた『ラセツ』本拠に今、私が居る。
「『私は、どうして』」
「『……覚えてないのね、無理もないわ』」
――あの夜。
白い霧と化した怪異に包まれた。
間もなく霧は闇に散り、私は一人、地面に倒れ込んだという。
無論、意識はない。
私を介抱しようとデービッドが駆け寄り、状況確認の一種――瞳孔を見た時に問題が起きた。
眼は黒く塗りつぶされ、瞳は真っ赤に染まっていた。
邪眼――。
見た者を傷つけ、苦しめる、脅威。
もろに邪眼を見てしまったデービッドは、その場で吐き気を催し胸を押さえ、俄に昏倒してしまったという。ヒノエが言うには心身ともに別状はなく、現在は無事とのことだが……。
罪悪感が私の頭を重くする。意識がないとはいえデービッドを傷つけてしまった。
「『タケミナカタ様の荒ぶる御心に触れたのでしょう』」
神の呪い――。
いつもなら切り替えが容易な邪眼は、一向に収まる気配がなかったらしい。緊急避難的に立川基地『神聖同盟』の施設やスティグラー博士が検診を行ったが、ヒノエの提案により『ラセツ』の本拠で『解呪』の儀式を行う事になった。
運良く連合軍特急の傷病兵専用車両に間に合い、今ここに居る。
「『デービッドやマイクも一緒に来ているけれど、別室で待機して貰ってるわ』」
「『そうか――。それでこの眼は?』」
「『安心して、呪詛は払われてるわ。タケミナカタ様によって』」
「『な、なに?』」
「『ふふ、驚くことはないでしょう? 呪詛を行った神力を解くには、同じ神様の同じ神力を使うのが効率的でしょ? これは昔からある解呪法なのよ』」
――そういうものなのか。
澄ましたヒノエの表情に、疑義を挟むのも野暮だし、億劫である。
兎にも角にも、解呪の儀式とやらは成功し、私は数日ぶりに意識を取り戻した。それでも意識を失う前の最後の記憶――耳に残る警句は忘れられなかった。
「『何も信じるな――、か』」
「『……何か?』」
「『いや、何でもない』」
ヒノエが僅かに首を傾げるが、その言葉は伝えない方がよさそうだ。フォカロルといいタケミナカタといい――意味深な警句を残しては消えてゆくばかり。
深意、神意、真意――。
全てはかり兼ねるまま、私は日の射さぬ穏やかな和室の窓を見上げるしかない。
ここは曇天。
幽界――つまりあの世か。
こんなに気分の晴れない、どんよりとした鈍い空は中々お目にかかれない。鬱屈した空模様に眉を顰め口角を下げた。
「『でも、これなら大丈夫そうね』」
「『あぁ、体調は問題なさそうだ』」
自分の身体を見下ろすと、純白の浴衣を纏い目立った傷は全くない。手を握ったり首をほぐしても、違和感は微塵もない。
「『いえ、――違うの』」
ヒノエが目を伏せている。
気まずそうな、いや、緊張した面持ちか。口の薄い紅が微かに震え、声色が静かに重みを増した。
「『実は、貴方に会ってもらいたい人がいるの』」
「『……誰ですか?』」
一瞬の沈黙。
言葉選びか、何かの決断か――。
「『私達、「羅刹」の頭領――いえ、創始者よ』」
――名を、滝夜叉姫という。




