7-4 Doppelgänger(影法師)――豊島区
迷い家――それは人目に、ただの家である。
扉付の門はなく柵があるばかり。玄関まで5間ほどの間には、こげ茶色の地面に灰色飛び石が並び、木々がひっそりと壁、いや、トンネルを形成していた。
真冬だというのに常緑樹の影もあり、鬱蒼とした気配をひしひしと感じる。
『ウラベ、こういう建築はなんて言うんだ?』
『文化住宅です。よく郊外に建てられた和洋折衷建築です』
出征前――。
帝都華やかなりしころ、私の借家は全くの和風作りであった。一方で、プチブル――ちょっと背伸びした『サラリーマン』や知識人階級は、電車一本の都市郊外に一軒家を建てるのが生活スタイルとして定着しつつあった。
お洒落で、特別感があり、機能的。
子持ち『サラリーマン』の憧れ。
故に――今この瞬間、新鮮さは裏返る。
人気の無い、それでも人の存在を感じる不思議な幽霊屋敷。
この中に、ヤツがいるのだろうか?
『入るわよ――』
女は憚ることなく玄関の扉を引いた。
洋風技巧に彩られた玄関。磨り硝子の窓付き扉は、重く、重厚である。よく戦時供出されなかったものだ。
『へぇ――。結構、綺麗じゃない』
第一声、やや見下した感嘆の声。
見遣ると土間、式台、上がり框と、なるほどもっともらしい和風要素が鏤められている。内装は木材の色目は残しつつ、所々白の壁紙で覆われている。
絶対、戦後ではない。
私が夢見た頃の――昭和5年頃のそれであろうか。
この怪異は、一体いつ頃の幻影であろうか。
『土足で上がって――、あぁ、良いんですね』
『当たり前だろ、ウラベ』
内心の微笑みが、微かな違和感に掻き消された。
靴が一足――。
男物の革靴。
何の変哲も無い、革靴。
怪異は靴を脱いで上がっているのか?
違和感が頭を擡げる――。
視線を上げると、先に上がった女が次から次へと扉を開け放っていく姿が見えた。奥行き数米、長い正面廊下の左右には、複数の部屋がある。右手奥には階段もある。
女はバタンバタンと、勢いよく開けては、部屋をなめるように銃口を向ける。
『も、もう少し静かにしては――?』
女が眉一つ、視線も動かさずに即答する。
『ここは怪異の中よ。私達、奴らの胃袋の中にいるの。何処にいるかなんて隠れるだけ無駄よ。出てきたら鉛玉ぶち込むだけよ』
『ハッ――! 良いね! 最高だ!』
満面の笑みを浮かべたクラウディアが突然壁をぶん殴った!
無骨の革手袋。指先から第三関節まで、至る所鈍く輝く強化金属が鏤められるている。
そこに、クラウディアの怪力が加わる。
怪力の聖打。大きな光環と共に、壁に頭を突っ込めるほど大きい穴が空く。舞い上がる埃、砕け散る木片――。怪異か、実在の家か分からなくなる。
『ハハッ! あんた、本当に気に入ったぜ! ここがヤツの胃袋の中なら、手当たり次第、気に食わないモノはぶっ壊していくぜ!』
『ええ、宜しくてよ』
私を蚊帳の外に、勝手に話が進んでいく――。
いや、我々は調査に来たのであって……、と言おうとしたが言葉を呑み込んだ。
どうせ、何を言っても止まらないだろう。
それからは、まるでヤクザ者の殴り込みである。
扉、壁、窓。
いやさ、棚に至るまで――、クラウディアは嬉々として殴り続ける地獄絵図。京都行きの件といい、余程鬱憤が溜まっていたのだろう。
――鉄拳の暴風。
私と女は恐る恐る暴風を避けながら部屋から情報を探った。怪異を特定できる情報がない――つまり、意味の無い部屋は嵐が襲ったように荒らされた。氷式冷蔵庫は無残に砕け散り、クローゼットは粉々に木片が空を舞った。
次の部屋は……?
『この部屋は――、書斎ね』
見るからに値が張りそうな黒壇の書棚が、両側の壁一面、天井までびっちり聳え立っている。奥に同じく黒壇机と椅子、寂しげな卓上電灯が一つ、ぽつんと下を向いている。
『流石に、ここはいきなり壊さないでくださいよ、クラウディア』
『ふん――、言われなくっても分かってるよ』
本当だろうか……?
一抹の不安が脳裏を過りながらも、機関銃の負い革を引っ張り、両手で手がかりを探し始めた。
『机の上に何か乗っているわ――』
女が机を覗き込み、拳銃片手に机を指差す。
私とクラウディアも女を囲むように覗き込むと――、乱雑に散らばった名刺が目に入った。
すべて日本語である――。
『厚生省技官 医学博士 山口一郎』
『厚生技官 医学博士 厚生省予防局 山田二郎』
この二種類だけであるが、それぞれに誤字脱字、表記の揺れ、染みが目立つ個体もあった。
『――この男が、怪異なのか』
『……いえ、違うわ、きっと』
女は飄々と推論を組み立てる。
『これは名刺の偽造を行った、あるいはそのゲラね。この肩書きを偽造するということは――、畢竟、厚生省技官が行う作業や行動を模倣することになる。厚生省の技官で医学博士なら――、何かの薬を購入でもしようとしたのかしら?』
この数枚の名刺から、よくもこう、すらすらと紡ぎ出せるものだ。
野放図に銃器をぶっ放す怖い女かと思ったら、そうでもないらしい。
『……凄いですね』
『何が?』
『よくそこまで推理出来ますね』
女の顔が少しだけ緩む。
『ただらしいことを並べただけよ――。どうせここは怪異のど真ん中なのだから、全部虚構みたいなものだし』
ここは虚構――。
怪異の腹の中。
だが、何故腹の中にこんな情報がある――?
他にも資料はないか。
それぞれ手分けして、本を片っ端から開いては床に落としていく。
バタバタと、本の床がせり上がっていくようである。
『おい、……これ』
クラウディアが手に取ったのは、古さを微塵も感じさせない医学系洋書である。その中に紛れて藁半紙のメモ書きが挟まれてあった。
鉛筆での殴り書き。
漢字とカタカナが跋扈する、非常に読みにくい文章だった。
――いや、文章ですらない、単語の羅列だ。
『うーん、読み取りづらいですが、書かれている単語は……えーと』
・青酸カリ
・青酸ナトリウム
・青酸ニトリール
・アセトンシアノヒドリン
『……良くない単語ですね』
『えぇ……』
詳しい組成式などは忘れた。或いは全く分からないが、子どもでも知っている。
青酸カリは自殺にも使われる劇薬である。
劇薬が乱舞するメモ帳が書棚にあり、身分詐称の名刺が机にある。
『あの男はいったい何をやらかす気なんだ』
『……分からないわ。所詮怪異よ、アレは』
『へっ――、難しい事は考えなさんなって。取り敢えずぶん殴って昇天させてやりゃ、万事解決じゃねぇか!』
昂然と拳を前に突き出すクラウディアを見て、私は思わず口元が緩んだ。女もつられるように微笑んでいる。
『そうね……、難しい事はナシ。殴り倒すか、鉛玉をぶち込んであげましょう――!』
世にも恐ろしき乙女の会話。
その言葉に慄いたかのように、不意に二階からドタバタと物音が聞こえた。
何かを落としたのか、何かの準備をしているのか。
私達三人は視線を合わせ――、急ぎ二階へ向かった。




