7-3 Doppelgänger(影法師)――豊島区
「『ガアッ――!』」
黒い板塀を照らす光環。
焦げ茶色のコートの裾がふわりと舞い、男を左手で突き飛ばしながら後ろに飛び退く。虚を突き、ダンスのように身を翻すその様は、猛禽類の跳躍を思わせる。
――もはや人質ではない。
顎と顔を押さえながら苦しみ藻掻く男。
顎から脳天に弾丸が突き抜けたはずなのに尚、生きている。光環といい、やはりこの男は、人間ではない!
「『くらいやがれッ――!』」
直感的に身体が動いたのだろう、あっという間に距離を詰めたクラウディアが、大きく振りかぶった。聖打が、男に襲いかかる。
しかし、拳は大きく空を切る。
「『なにッ――?』」
振りかぶったと同時に、男は吹き飛ぶように後ろに跳ね退けた。
糸の切れたマリオネットのように、細い足腰がぐねり曲がってひとっ飛び。
瞬きする間に、2米……!
クラウディアと同様の恐るべき跳躍である。空回り、身体が回り、勢いあまったクラウディアは、砂埃を上げながら急停止した。男に視線を流しながらも、クラウディアは女に声を掛けた。
『大丈夫か――、あんた』
ちゃんと気遣っているのだろう。
しかし、女はにべもなく首を振る。
『私はいいから、ヤツを追い詰めるわよ。』
澄ました顔で、黒光りする銃身を男に向ける。
今時珍しい二十六年式拳銃――。
六連発の中折れ式の無骨な小型拳銃。
軍にいた頃には十四年式はよく見かけたが、これは明治以来の古銃である。堅実な設計と、故障の少なさから愛用している人間も少なくないが。
銃口の先、――男はニヤリと口元を歪ませる。
関節があらぬ方に曲がりながらも、男は踵を返して駆け出す。
――バンッ!
容赦ない二発目。
背中に着弾したものの、一瞬体勢を崩すのが精一杯。男はそのまま疾走を続けた。
予期せぬ発砲音にも動じぬクラウディアの疾走。私は一人予期せぬ発砲音に驚き、ワンテンポ遅れて走り出した。
『追いましょう!』
『は、はい――!』
急かされながら、板塀の迷路を走る。
右へ左へ――。
この辺りには土地勘がないから、正直言えば何処を走っているか全く分からない。
女の脚は私と同じくらいに速い。余裕のあるズボンを着こなし、軽快に走っている。
……もしかしたら、一番遅いのは、機関銃を掛けている私かも知れない。その事実は何処か認めがたく、多少無理してでも女の前に出た。
生活感のある日本家屋。
見慣れた板塀に、電灯、防火水槽。
アスファルトで舗装されていない、土と砂利の道路。
たまに聞こえる人の声が、――徐々に聞こえなくなっていった。
行く先も見えぬまま走り続け、突き当たりにぶつかった。
先に着いたクラウディアは不機嫌そうに左右に首を振っている。
もう息も絶え絶え――、上がりきっている。
情けない息を漏らしながら、膝に手を突くしかなかった。
『どうしたんです、クラウディア……?』
『……見失った。クソッ!』
人通りが全くない、狭いT字路――。
左右には男の影はなく、クレウディアの悪態が響いた。
……おかしい。
あれだけ速く走るなら、必ず足跡らしいものが地面に残るはずだ。
ブーツでなくとも、地面を噛むように跳ね回ったのだから。しかし「あるはずの足跡」は、忽然と消え失せていた。
一体何処に?
そうこうしていると、先程の女が僅かに遅れてやってきた。
ツカツカと足取り逞しく。T字路の真ん中に仁王立ちするクラウディアのすぐ側を、脇目も振らずに真っ直ぐ。
女の進む先には――家。
『――ここね』
涼やかに呟く。
白い外壁――、洋風を取り入れた、モダン住宅。
『こ、この家!』
『あぁ、迷い家だ』
クラウディアが力強く微笑み、拳をボキボキと鳴らしている。
溜まった鬱憤を練るように、拳や腕のマッサージをしている。
先頭に立つ女は、涼やかにこちらを振り返り、『行きましょう』と呟いた。
『ま、待ってくれ――。ここから先は我々だけで』
『大丈夫よ、心配しないで』
見ず知らずの女が拳銃を撃っている時点で、ただ者ではない。
だが、どう見ても米軍や関係者には見えない。
『民間人である貴女を危険にさらす訳には――』
――果たして、私の身分は何であったか? 一瞬の諧謔に言葉が詰まったが、女は飄々と答えた。
『お生憎様。貴方達と同業よ』
『へぇ――。じゃあ、ラセツなのか、あんた』
クラウディアが当然のように口にしたその言葉。
ラセツ――。
ヒノエや伊沢達が所属している日本側の霊会組織。黒き巫女、式神を操る男。
悪びれず銃を撃つこの女の顔に、あの二人の影が重なった。
『大当たり。だから気にしないで。荒事には慣れてるわ』
頼もしい限りの言葉に、気を良くしたのはクラウディアである。
『……いいな、あんた。それじゃあ、ヤツをぶん殴りに行こうぜ!』
意気揚々と肩を回すクラウディアと、フフンと鼻を鳴らす女。
どうやら似たもの同士らしい。
二人は迷うことなく迷い家に向かって歩き出した。
『ウラベ、カバーを頼む。怪しいものがあったらぶっ放せ』
『分かりました』
既にこの家自体が怪しいのだが――、乱射する訳にも行かない。
念のため、ジャケット裏側に縫い付けられた特製ポケットから、消音器を取り出し、立ったまま機関銃に急いで装着し、二人の後を追った。
漸くである。
目撃証言多数の迷い家に足を踏み入れたのだ。




