7-2 Doppelgänger(影法師)――豊島区
『こちらウラベ。異常ありません。通信終わり』
『いちいち終わりを入れなくていいぜ、ウラベ。――ここは米軍じゃない』
昼下がりの住宅街――。
クラウディアがジープの助手席で、大仰にふんぞり返っている。
この米軍の象徴でもある四輪車は窮屈な作りをしている。日本人の私ですらそう思うのだから、クラウディアはどう思っているのか。
窓硝子を前に倒し、すらりと長い脚をボンネットに突き出す。
ブーツに靴下、厚手のストッキングが肌を刺す寒さを退けているのだろうが。
――目のやり場に困る!
膝小僧を出した短めのスカートを凝視する訳にも行かず、クラウディアと同じように、晴れ渡る青空を同じように見上げるしかなかった。
『すみません』
『謝らなくてもいい。ただ……、暇だな』
――その通り。
昼下がりの住宅街の麗らかな空気にほだされ、もうかれこれ一時間も無為に時間を過ごしている。
移動する幽霊屋敷――。
我々はこの怪異を伝承にあやかり『迷い家』と呼称することにした。
クラスはコーション。
危害はないが要注視対象となる。現状では被害報告らしい物は無いが、気になる点は幾つもある。頻繁な目撃例、幽霊にしては一軒家という規模感の大きさ、向かう先の不透明さ。
調査する必要は確かにあった。
『ですが、バーナードの整理通りだとしたら、こっちかあっちになるはずです。張り込まないと、見つけるモノも見つけられないですよ』
『……分かってるよ、そんなことは』
――バーナードの推理はこうだ。
東京に出現した『迷い家』は、蒲田区、大森区、荏原区、品川区……といった具合にぐるりと円を描く様に移動しており、必ずある施設の近くに現れていたのだ。
それは――銀行。
円を描くように、銀行の近くに『迷い家』は現れる。
ならば、先回りすれば良い。
当該地図から候補地点は3つに絞られたが、もし戦闘になった時、二人でカバーし合わないと難しいと判断された。
――三カ所を二人ずつ。
隊長の指示により、デービッドとバーナード。隊長とマイク。私とクラウディアと相成り今に至る。まだ馴れない車の運転を土地勘でカバーしながら、豊島区のある銀行の近く、人通りの少ない側道にジープを停め、見張っている訳だ。
『しかし、銀行の近くにだけ出現する怪異なんて随分奇特ですね』
『……こんな奴、パリにもいなかったぜ』
『パリだと、どんなのがいたんですか?』
クラウディアは米国系フランス人だ。かつてパルチザンに身を置き、ナチスドイツと闘っていた経歴を持つ。顔の傷は怪異だけでなく、ドイツ兵から撃たれた銃創も混じっているのだ。
だが、我々は『神聖同盟』――怪異と闘う組織である。
純粋な興味関心から、聞いてみたかった。
『ワーウルフやワイバーン、ベートとかだよ。……つまらん話だ、やめようぜ』
勇猛さはあれど、謙虚にて慎ましく。
まさしく、武人のようである。
『分かりました。じゃあ、どんな俳優が好きなんです?』
『なッ……! なんでそんな話題になる?!』
虚を突かれたのか、吹き出したクラウディアが飛び起きた。
『いや、午前中にデービッドと女優の話をしてたので、その逆を……』
『い、……いない!』
即答――。
俄に顔を赤らめて、ムキになって否定する。
どう見ても、誰かいるようにしか思えない。
『……ゲイリー?』
『違う……、あんな大根じゃない』
戦前、生活に余裕があった頃、見たことのあるハリウッド俳優を上げてみたが違ったらしい。
しかし大根とは――、酷い言いようである。
『……タイロン?』
『……当たりだぞ、ウラベ――』
本当か――!?
当てずっぽうが的中したらしい。
男勝りの戦闘狂でも、ちゃんと好きな俳優がいるのだ。
意外な人間らしさに感心してクラウディアの顔を眺めると、――彼女は目を見開き、真っ直ぐに正面を見つめ微動だにしない。
『クラウディア――?』
『当たりだって言ってるだろ、ウラベ! ヤツだ――!』
クラウディアの視線の先――。
挙動不審の男。
茶色の板塀で囲まれた路地を彷徨いている。
丸眼鏡、水筒、鳥打帽子――その全てが情報通りである。
さらにはっきりと特徴が掴める。
灰色のコート、焦げ茶色のスーツ、真っ黒い靴。身長5尺5寸ほど。
目先50米――。
視線は惑いその挙動は虚ろ。……齢は四十代くらいだろうか。
『行くぞ――!』
『は、はい――!』
クラウディアが颯爽とジープの助手席から跳ね上がり、ボンネットから駆け出すように車体を揺らし、前方に跳躍した。
すらりと締まった長い脚が、空を切る――。
コートが中空でふわりと靡き、砂利を砕くように着地した。
3米を優に超える跳躍を見せ――私は瞬時見とれてしまった。
クラウディアは即座に駆け出し、その俊足を遺憾なく発揮する。
――まずい!
後部座席の機関銃の負い革を慌てて思い切り引っ張り、ドアを蹴破るように飛び出した。
すでにクラウディアは十米以上先を行く。
心臓を高鳴らせながら、乾いた砂利道をバタバタと走る――。
一生懸命走っているが、クラウディアの俊足に、少しずつ距離を離されてしまう。
『――急げウラベ!』
そんなことを言ったって。
銃を背負い体格も違う。こっちだって全力だ。
目一杯に息を吸いながら、揺れる機関銃を押さえて走る。
そうこうしているうちに、男と目があう。
丸眼鏡の奥は、瞳が見えない。
――言うなれば闇、とでも言おうか。
暗く、黒く、計り知れない。
だが、奴の身体は見た通りの反応――、つまり驚き、背を向け、逃げだし始めた。
「『待ちやがれこの野郎!』」
『それで止まる人はいませんよ!』
男が水筒と鞄を持ったままくるりと踵を返す。走り出した先は――板塀の路地。
路地は角を曲がると、すぐに姿が見えなくなるが、そうそう離れられるものではない。だからすぐに見つかるし、追いつけると思っっていた。
――だが、事態は思わぬ方に転んだ。
「『うっ――!』」
10秒もない逃亡劇の果て。
曲がり角の先で、クラウディアの声が詰まった。
青息吐息の私が追いつき、クラウディアの背中越しに見たもの。
それは、人質――。
男が通行人であろう女性女性の後ろに回り、緩やかに腕で首元を絞める格好を取っている。
右手には――水筒。
何が入っているか全く見当が付かないが、佇まいの不気味さも相まって、絶対に良くない物だと直感が告げる。
「『テメェ――!』」
クラウディアの特製革手袋が、ギチギチと音を立てる。
肌に感じる程の憤怒が、隣の私にもひしひしと伝わってくる。
「『くっ――』」
私はすかさず機関銃の銃口を男に向け、照準を定めた。照門から照星を捉え、その先には男と女が。
人質の女性は、大きめのサングラスを付け、短髪で大きな髪飾りを付けている。
身長は男と同じほど――女性にしてはやや高い。
焦げ茶色をした流行のベルトコートに、刺繍の入った赤いスカーフ――と、かなりお洒落な洋装である。
……現在の状況を理解しているのだろうか?
その口元は全く微動だにせず、それどころか微笑みを浮かべている始末である。
何故――?
全く見当が付かない。
人質を取っているはずの男の方が、微かに震えているくらいである。
「貴方達、――この男が何か分かる?」
日本語で私達に問うてきた――。
口調には不貞不貞しいほどの余裕。口元は不気味に笑い、右腕をするりとコートの中に忍ばせた。
遅滞なく取り出したのは――、回転式拳銃。
迷うことなく、滑らかに銃口を男の顎下にピタリと合わせた。
「『こいつは怪異よ』」
バン――ッ!
声と、念話と、銃声が、同時に耳と頭の中に響き渡った。




