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7-1 Doppelgänger(影法師)――豊島区

挿絵(By みてみん)


『ウラベ、最近ボーっとしてませんか?』

『え、……あぁ。すまない』

 左耳から入ってきたデービッドの諫言が、右耳に抜けていく。いや、抜けるところで、必死に押しとどめた。

 ――その通りだ。

 恥じの感情が胸の奥底からじわじわと湧き始めた。

 京都行きの中止。

 とんぼ返りとなった私達は、いつもの日常に回帰していた。

 1946年(昭和21年)のクリスマスも、ちょっとした一悶着を無事に()なし――、気がつけば1947年を迎えていた。

 全く以て、騒がしい正月であった――。

 首相は労働運動まわりで舌禍を起こすし、政治家、経済人、報道関係者が大量に公職追放になるし、紙面は波風が立ちっぱなしである。

『そっちの記事はどうですか――?』

 ――そう。

 私は、執務室隣の書庫で紙面を読んでいる。

 デービッドも一緒だ。日本語が読める者同士、何かと一緒になることが多い。

『めぼしいものはないなぁ――』

 在京の新聞から地方新聞に至るまで読破する。

 偏りはある。

 連合軍兵士が休息や任務に向かう先――、その地域が安全かどうかの確認は幾ら独立しているとはいえ『神聖同盟』に課せられた責務の一つである。

 怪異情報の精査は我々にしか出来ないのだ。

『こっちの記事は面白そうですよ。……岐阜に偽汽車現る。衝突回避のために急ブレーキをかけ、車内は騒然となった。先日の信越線でも吹雪の中同様のブレーキ動作をしており、関連性を疑う……とのことです』

 日本語を読み、喋り、書ける――。

 これは相当に貴重な能力であることを、最近になって知ったばかりである。

 アメリカは広い。

 人口も多い。

 にも関わらず――日本語の読み書き会話が出来るのは百人もいないという。1億4千万人もいる巨大国家で、である!

 そこにエンタングルメント・ストーンという逸物(いつぶつ)が加わのだから怖い物なしである。

『怪異にしては平和な方だな』

『いえいえ、逆ですよウラベ』

『逆?』

『私達が相対している怪異達がおかしいんですよ。怪異ってもっと身近な不思議やひょんなこと――がほとんどなんです。怪異が()()()()()()なくらいが当たり前ですよ、本来は』

 への字に曲がった口角。確かに我々の任務、仕事は命懸けである。だが本当の怪異はもっと平和で日常に溢れている。その現実、いや印象は強敵という存在に上書きされてしまう。

 デービッドは再び視線を新聞に落とした。

 そんな脅威が多くても、こうやって新聞を読んでいられるのも平和故である。

 しかし――。

 惚けていたのはそれだけではない。あの列車で見た、ヒノエが頭に浮かんで離れないのだ。


 哀愁を漂わせた瞳。

 透き通る肌、薄い紅、微かな香、艶やかな長髪。

 黒衣の巫女――。

 幼さを僅かに残した(かんばせ)

 冷たい態度。

 胸の底から涌き上がる、形容しがたい感情。

 脳裏にこびり付くように、忘れられない情景。

 だが――、今は仕事中だ。

 首を振って邪念を振りほどいた。

『それにしても、比較的平和な記事が多いな』

『まぁ、良い事なんですがねぇ。怪異調査が肥やしにもならない徒花(あだばな)となるのは避けたい所です。……こういう時は、適当に指を指して記事を探るのも一興ですよ』

 デービッドなりの暇つぶしなのか――。

 彼は俄に席を立ち、私の後ろに歩いてきた。着席する私の真隣で前屈みに新聞を覗き込んだ。

『ド・レ・に・し・よ・う・か・な――』

 神様の言うとおり――か。

 子どもの数え歌、童謡のそれをよく覚えているものだ。戦前の日本留学で、一体どんな環境に触れてきたのか、後で聞きたくなった。

 惚けていた私が開いていた紙面は、ラジオ・芸能等の()()()である。一(ミリ)も怪異と関係がなさそうなインデックスがずらりと並ぶ。その上をデービッドの指が滑走と停止を繰り返す。

『ここだ!』

 勢いよく、紙面のやや右上を指した。

 どれどれ――、と私も覗き込んでみる。

 それは女の写真。

 短髪で笑顔が明るく、白い歯を覗かせた、可愛げのある顔。目立つのは大きな花の髪飾り。首にスカーフを巻いた、……女優であろうか。

『あぁ――、この人、最近有名になってきた女優ですよね』

『そうなのか?』

 つい2、3ヶ月前。

 私は浮浪者であり、世事を疎み、憎み、真っ黒に塗りつぶされた現実に生きていた。華やかなりし演劇や映画、興味の持ちようがない世界であった。

 故に無関心、故に無知。

 デービッドの方がまだその辺りを知っているのが、恥ずかしくなった。

『そうですよ。ほら、労働争議(ストライキ)を描いた映画で、私腹を肥やす財閥の娘役で良い演技してた』

 見ていないが、きっとそうなのだろう。

 記事を見ると、まさしく最近になって注目され始めた、新人の銀幕女優(スタァ)とある。未熟なところもあるが、溌剌と現実味のある演技が特徴とのこと。


 ――()()()()()()

 その名を読んだ時、バーナードの声が頭に響いた。

『ウラベ、デービッド。スマンが、執務室に戻ってきてくれ』

『何かあったんですか?』

『ちょっと調査に出て欲しい怪異情報があるんだ。詳しくは地図を見せながら説明する』

 さて――、なんであろうか。

 隣の執務室に戻ると、珍しくバーナードとクラウディアが、面と向かって机を睨んでいた。机上に広げられた、東京近郊の地図――。すべて英語表記である。

『やっぱり、()()だろ』

『間違いないとは思うが、行ってみないことには分からん。候補を埋めるには人数も足らん』

『さっきからそればっかりじゃねぇか!』

 気を荒ぶらせるクラウディアと、逡巡しているバーナードの様子に、……私は当惑した。

『どうしたって言うんです、二人とも』

『あぁ、ウラベか。最近、出動までは行かない不可思議な目撃情報が多数あってな。それを地図に落とし込むと、面白いことが分かったんだ』

 バーナードは近くに来るよう指で招くと、地図を指差した。

 赤丸――。

 花が咲くように、西東京の周辺にぼつぼつと鏤められている。

『この赤丸は、ある怪異の目撃情報なんだ』

『ある怪異って?』

()()()()()()だよ』

 クラウディアが間に入って、不満そうに呟いた。

『そう……、この赤丸の付いたところでは、()()()()()()()()()姿()()()と、その男が入っていく()()()()()()()()()()んだ』

 ――家屋を目撃?

 私だけでなく、デービッドも大きく首を傾げた。

『家は()()()あるものじゃないですか。目撃とは?』

『……文字通りだ。近隣住民が目撃した家は、そこに()()()()()()なんだよ』

『え――』

『順を追って説明しよう』


 バーナード曰く。

 近隣の日本人住民が、近所では見かけない不審な男を目撃した。

 右手に水筒、左手に革鞄。

 鳥打帽子(ハンチング帽)を目深に被り、よそよそしく不安げに辺りを見回す男。

 声を掛けても反応はなく、男は無視するばかり。気味悪がった目撃者が恐る恐る様子を窺うと、男は見知らぬ家に入っていく。

 家は――、2階建て。

 洋風を取り入れた、白壁の()()()()()

 皆一様に首を傾げる。

 そもそもこんな家などあったろうか――?

 時間を置き、再び前を通ると、家は跡形無く消え失せてしまっていた。

 この男と家がセットで、東京都内各所で目撃されていたのである――。

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