エピローグ1 Till we meet again(また会う日まで)――羽田
晴れ渡る青空。
何処までも高く澄み渡り、天穹を微かに覆う雲は人の営みなど知らぬようだ。一羽の鳥が呑気に風を浴び、風に乗り、風を切り――、やはり人間の悩みなど毫も気にせぬよう泰然と空を舞っている。
秋空の名に恥じぬ陽気が燦々と降り注ぐ、ここ東京羽田航空基地から空を見上げれば、――人の喜怒哀楽を載せた航空機が爆音を轟かせながら空を駆け上っていく。
かつて東京飛行場として産声を上げた小さな小さな飛行場は拡張と接収を経て、ハネダエアベースとして米軍、そして民間航空路線が就航する『空港』に急速に変貌しつつある。軍民異なる機体が駐機場に並べられ、格納庫には数多くのレシプロエンジンの太平洋横断機が翼を休めている。
だが、この戦後の象徴も日本人には縁遠い。
国際旅行は政府やGHQにより厳しく制限され、留学などの正当な理由がなければ認可すら下りない。だからこの空港を利用する日本人は極限られ、数える程度である。
「『――色々、世話になったな』」
「『いえいえ。こちらこそお世話になりました』」
海老取川を北上し奥に入った格納庫の片隅で、ロバート以下神聖同盟日本支部の面々が送迎に来てくれた皆に別れの言葉を述べていた。庫内に差し込む秋晴れの日光が、爽やかな光線となって床を照らしている。庫外で離陸準備を進める旅客機を背に、正装に身を固めた一同が緊張した面持ちで一列に並んでいる。
一方、送る側の代表として派遣された羅刹の伊沢は、相変わらず喪服めいた黒いスーツに身を包み、やや慇懃に頭を垂れた。
「『ウチの姫から重ねて礼を言うように、と』」
「『てっきりあの姫なら、骸骨並べて盛大に見送ってくれるかと思ってたぜ』」
「『こんな人目につく場所でする訳がないでしょう? ……監視くらいはしてるかもね』」
「『うへぇ……。それは勘弁』」
フィールドジャケットの徽章も眩しいマイクの冗談を、サングラス越しにミエコが窘めた。隣りに立っているクラウディアが、呆れ気味に腕を組みながら首を傾げる。
「『……でもよ、本当に大丈夫なのか?』」
「『神聖同盟日本支部の縮小について? 私達じゃ不安かしら? クラウディア』」
「『いや、ミエコなら大丈夫だろうけどよ……。いくら怪異現象が少なくなったからってよぅ』」
僅かに感情を忍ばせた物言いに、バーナードが補足するように言葉を重ねた。
「『今度は欧州や中東の方でも異常が多く確認されている。……それに、例の奴が東西ドイツ国境付近で色々ちょっかいを掛けてきているからな』」
「『……レフチェンコめ。ただでさえ人手不足だっつーのに、ご苦労なことだぜ』」
「『日本には連絡員として私が残りますので、何かあったらすぐに呼び出しますよ。たとえ地球の裏側だとしてもね』」
送る側に並んでいるデービッドが、寂しげな笑顔を浮かべた。
「『支部は消滅した訳じゃないからな。デービッドは寂しいかも知れねぇけど、日本語が堪能なお前にしか出来ない仕事だぜ。ラセツと占領軍の折衝――、頼んだぜ』」
「『……まぁ、昔から色々知ってますから。そこは安心してください』」
日本在留時代からの蓄積が成せる、在日連合軍の中でも屈指の日本語話者としての存在。この支部を単独で預けられるだけの能力に、デービッドは笑顔をもって自負を示した。
「『それでもやっぱり寂しいわ。あれ以来、グレちゃんもいなくなっちゃったし……』」
キャサリンの瞳が床に落ち、クラウディアが思い出を振り返るように瞼を閉じた。例の事件以後、怪異現象が目に見えて減少していた。その事実は確かに彼らに休暇を与える形となったが、同盟全体の人手不足は長期休暇を許さなかった。
「『――本部の指示だ。今後は本部の取り計らいで、ラセツにも連合軍から直接物資が融通されるらしい。だが……』」
毅然としていたロバートが、僅かに言い淀んだ。
「『――ウラベさん、ですね』」
ミエコがサングラスを外し、ジャケットの胸ポケットに差した。凜とした顔に滲む憂いに、ロバートが眉を顰める。
「『あぁ、そうだ。彼はまだ……』」
「『今も眠ったまま。……いえ、半死半生のまま――ね』」
「『一緒に浮かんでいた「髭切」と共に、今後もウチの施設で彼を預かります。姫の言だと反魂の式でも解決できない不可解な状態とのことですが――、今はヒノエさんが付き添っています』」
ここに来られなかった者達。その無念と事情を全員が分かっているからこそ、言葉にする必要がある。伊沢は分かっていたからこそ、敢えて言葉に出した。
これは別れなのだ。
何も言わないことは美徳かもしれないが、それでは心残りがありすぎる。けじめを付けるために汚れ役を買う――、伊沢は内心、自嘲気味に言葉を続けた。
「『生きているのに身体機能は停止し、死んでいるのに身体は腐らない。……魂が呼び出せるなら死んでいる証左なのですが、逆説的に呼び出せないということは――』」
「『…………まだ生きている可能性がある』」
「『そう。生と死の間を卜部さんは彷徨い続ける。でも……いつかまた会う日まで、ね』」
ミエコが格納庫の窓、勿忘草色の青空に視線を流した。皆も合わせるように、何もないと分かっていても――何処までも広がる青空を見上げた。
彼が目覚める時、世界はどうなっているのだろう。彼が目覚めた時、世界は終わってしまうのだろうか。去来する不安と残された僅かな希望の狭間で、ミエコは深く目を瞑り、彼を看病しているヒノエのことを思うのだった。




