20-3 黒き御方――NYARLATHOTEP
勢いよく飛んでいった手榴弾は的確に2匹の間に落下し、炸裂する甲高い爆裂音を皮切りに、脳髄は情報と念話の洪水に見舞われた。
『隊長! 予想外のお客さんだぜ! ベートに馬腹が現れたぜッ!!』
『なんだと――?!』
『ま、間違いありません! 欧州戦線、そして多摩川に現れた馬腹です!』
『救援に向かいますか?!』
『今、私達がいるのは右舷側! エススの援護位置まで下がるわ!』
『分かった。バーナード、援護射撃用意!』
『了解――!』
口を動かすことなく念話をしながら、ミエコが後退しつつ連続的に発砲し、クラウディアは舷側に滑り込む。パンパンと可愛げのある銃声を掻き消すように、機関銃の乾いた銃声が連続的に響き渡る。目一杯引き金を絞りながら、たった目配せ一つでその場にいる全員の役目を理解する。
だが、その役目に割いている時間は無い。
「『散れッ!』」
銃撃すら必要ない。
私の眼は既に銃弾より強力なのだ。雑魚を狩るにはこれの方が良いだろうが、大物相手ならば――。
馬腹の顔を睨み穿つ。
瞼に焼き付いた、人間味のないその顔が、独楽のようにぐるりと渦状に歪む。刹那、聞くに堪えない獣の咆吼、いや、絶叫とともに馬腹の上半身がバンッ――と黒い水の入った水風船が弾けるように爆ぜ散った。
「『――ウラベ?!』」
驚くクラウディアの声に気を向かせることもなく、ベートへ向けて第2撃。
避ける暇など与えない。そもそも見られたら避けようがない。百発百中、射程も長い不可視の砲弾――それが私の変哲も無さそうな眼なのだ。
馬腹の絶叫にも似た、遠吠えにも似た悲鳴を上げてベートの頭蓋が吹き飛び、灰色の体毛が花火のように中空に舞い散る。残された下半身と四足が力なく膝をつき、百五十貫は超えるであろう巨躯は静かに薄汚れた甲板に横たえた。
「『……卜部さん』」
ヒノエが不安げな声を漏らした。
――間違ったことはしていない。ただ、僅かに己が歩んだ道程が遠くなったと胸がさざめく。それでも、自分の成すべき事をやろう。銃声が止み、静寂が訪れた。クラウディアとミエコが私に近づこうとした、その時――。
目の前の朽ち果てた2匹の怪異。
その身体は弾けた水が蠢く蛆のように、……いや、一つの意志を持った集合体のように、集まり、蠢き、補修し――。
「『まさか』」
朽ちた二匹は僅か数秒も経たぬ間に、その姿形を真っ黒い影に覆われながらも復元していく。砕け散った血肉が空白を埋め、筋骨隆々に盛り上がる。
「『……こいつら、ただの怪異じゃなさそうだぜッ!』」
クラウディアに「動揺」の言葉はない。判断を迷うことはあっても、即断即決、跳躍と攻撃こそが彼女の精華なのだ。
今、大きな雄叫びと共に、黒くくすんだ甲板から大きく跳躍し、一気に距離を詰める。再生途中の怪異に反応する時間を与えぬよう、刺突剣の切っ先がキラリと輝き、佇む馬腹の首元目がけて鋭利な刃が深々と突き刺さった。
――浅い。
遠目にそう見えた。彼女の技量を疑うべくもないが、刺突剣が鈍い光環を放ちながら怪異に命中しているにもかかわらず――、馬服の怯みはあの時ほどではない。それでも傷は深いはずなのに、悠々と首を大きく振り回している。
「『コイツ――ッ!』」
刺突剣が刺さったまま、抉れた傷口から瘴気が爆発的に噴き出した。空気の塊を諸に受けたクラウディアの身体は、風に舞う木の葉のように易々とすっ飛ばされた。
「『ウッ――!』」
「『クラウディア!』」
ミエコの近く、優に数米も吹き飛ばされたクラウディアにミエコが駆け寄るが、僅かな目配せだけでクラウディアは姿勢をくるりと起こした。軽業師のような身のこなしに安堵の念を浮かべる間もなく、斜め前に居る私とヒノエを無視するように、ヒノエ達に向かって駆け出した。
ミエコが即座に二十六年式拳銃を発砲するが、あまりに僅かな距離だ。
「『させるか――!』」
再び邪眼で2匹夫々の前腕部を凝視する。
同じように肉がうねり、肉を抉り、黒い血肉が弾け飛ぶ。勢いを無くし前につんのめった2匹は無様に甲板に顔を擦る。――にも拘わらず、傷口は黒い原形質じみた触手が即座に埋め戻し、数秒もせずに形を成してしまう。
「『な、何なんだ! こいつは!?』」
クラウディアは叫び、私は言葉を失う。
「『面倒ね、まったく! ――ウラベさん! ヒノエ! 私達が左舷側まで引きつけるわ。それまで支援してッ!』」
「『分かったわ!』」
「『任せてくれ』」
ミエコとクラウディアが僅かに頷き、再び九十九式手榴弾を淀みない流れ作業で2匹に投擲する。炸裂炎と飛び散る黒い血肉を物ともせず、私とヒノエは2匹を狙う。片や邪眼を、片や鏑矢を模した蟇目の矢を短弓にて射かける。魔怪払除の矢に蹌踉めき、邪眼で血肉を吹き飛ばされながらも執念深く走り出す馬腹とベートの姿に、ぞっと怖気が走った。
一体、なにがそこまでさせるのか。
黒き御方の冷徹な命令、か――。
武士の犬追物の如く2匹を追い掛け、第3主砲塔付近までミエコ達が下がったのが見えた。
「『ここまで来たらもうすぐよ!』」
ミエコが僅かに手を振った。
「『バーナード、準備は出来てるかぁッ!?』」
『舷側の20ミリ機銃の準備は完了している。いつでもミンチに出来るぞ』
クラウディアの威勢に呼応する頼もしい言葉に、ミエコ達が飛び跳ねるように第3主砲塔の影に消えていった。そのまま左舷側まで逃げられれば、神聖化済弾頭の雨あられが全弾外れること無く馬腹達に降り注ぐことになる。
「『私達も追いましょう』」
「『――あぁ!』」
ヒノエが背に手を回し、短弓を長い錫杖に器用にくくりつける。私も機関銃を背に回し、改めて髭切の組紐をキツく締めた。
――行こう。
そう言葉を彼女に掛けようと、一歩を踏み出したその時。
ふッ――と身体が浮いた。
いや違う。落ちたのだ。
足を出したその先に、破断した甲板を埋めているあるべき黒い結晶の塊が、あるように見えて、ない。まるでラセツの迷妄術式のように『暖簾に腕押し』だ。全体重を掛けた足が、スッっと吸い込まれる。
……声を上げる暇も無かった。
灰色の空、紺碧の海、黒い甲板、焼け焦げた高角砲座が視界から上に消え、暗い落とし穴に身体が吸い込まれ、経験したくもない重力の逆向きを一身に覚えながら――私は闇に落ちた。




