20-2 黒き御方――NYARLATHOTEP
「『お気を付けて、牧野さん』」
甲板上、タラップ付近は雑然としていた。続け様に乗艦した第二陣支援部隊と博士とも合流し、言わば補給拠点として銃火器、無線機、医療機器までが箱から即座に取り出され広げられた。支援部隊の白人兵士達がテキパキと準備する中、爆破班、探索班、支援班の3チームに自然と分かれる。
「大丈夫だ、卜部君。私は決して逃げない」
唯一武装を持たず、隊長達に守られながら大和撃沈の鍵を握る船頭役だ。その瞳は真っ直ぐに私を貫く。
……彼は逃げない。過去と向き合っているのだ。
「『各自用意は良いな。では、散開!』」
視線が交錯し大きく頷いた。機関銃、擲弾銃、刺突剣に英国製騎兵銃が銘々の進行方向に向けられる。
薄曇りの灰色空に紺碧の海面が広がり、島のような大和と小舟のようなエススだけが寂しげに人工物の矜持を持ち続けている。岩石めいた異物と破損した機銃座の谷間、左舷から船首方向に向かい早足で進む隊長達を見送りながら、私達は慎重に同じ道を辿っていく。私の視界は赤黒い霧がいっぱいだが、遅れること無く後部艦橋と第3主砲塔の谷間を銃を腰撓めに進んでいく。
「『こっちで良さそう? ヒノエ』」
ミエコが二十六年式拳銃の銃口を中空に向けながら問うた。
「『えぇ。……桁違いに濃い影が見えるわ。牧野さんの言っていた長官公室の辺りね』」
大まかな構造は共有済みだ。
戦艦大和の司令塔や艦橋等の上部構造は傍目に分かるが、艦内設備となると全く分からない。もっとも、後部甲板のクレーンは拉げ、空を走る電信線も無くなり、後部水上機甲板の歩行路側帯の辺りもあらゆるものが無くなっている。甲板上ですらコレなのだから、艦内がどうなっているか誰にも分からない。
ヒノエはきっと残留思念も見えているのだろう。時々に逸らす視線が生々しい。ヒノエに気を配りながら、見る者を圧倒する巨大な傷だらけの第3主砲塔を尻目にじりじりと進む。黒い甲板上の破片や飛び出した鉄線に巻き付くイソギンチャク、表面の一部を覆っている貝殻の山に怖気が走るばかりだ。
「『ウラベさんの方はどう?』」
私の眼もヒントになる。
「『直接に色は見えません。……ただ、霧が濃いです』」
「『……そう。敵意か無念がそこら中に溢れてるってことね』」
ミエコの視線が一層厳しく周囲を貫く。クラウディアの刺突剣がガチャリと組み替えられ、私の機関銃の銃口がゆらりと進む先を見つめる。
右舷甲板に出たところで、辺りを見回すと右舷側も状況は変わらない。変色し割れた木材片、大きく穴が空いた機銃座跡が続き、通り道にも黒い結晶がマンホールのように点在している。
「『この先の昇降口から長官公室直近の通路に降りられるわ』」
僅かに先を行くミエコが指差した船首方向。
艦橋、煙突、主檣、高角砲台座、探照灯……といった中央構造体は階段状に積み重なっており、所々に見える小さな小さなラッタルを登らなければ上には行けないが、今回の目的は下だ。
「『待って』」
ふと、ヒノエが眉を潜ませながら呟いた。
「『――いるわ。正面』」
その一言に、カッと目を見開き銃口を向けた。
……何だあれは?
私も眉を顰めた。この灰色の空の下、くすんだ世界に黒い靄が高角砲台座の間からじりじりと滲み出ている。影が揺蕩い、殺気と瘴気を纏いながら、ずるりと滑り落ちるように飛び出してきた。
ベチャリ、と耳障りな音が響き渡る。人間を優に上回る大きさを持ちながら、液状にも個体にも似た粘土質の巨大なブロック状の黒い塊が――二つ。
「『こいつは……』」
クラウディアが刺突剣を構えながら近づこうとすると黒い塊は、さも子馬が胎盤を破るように、突如として触手じみた腕や足らしきものを生やし始めた。
ぬらぬらとした巨大な黒い餅が蠢いている。塊は腕を何本も生やしたかと思えば、すぐにくっつき、また離れてを繰り返しながら――見る見るうちに形を成していく。原形質のような、まさしく生物的ながら非人間的な挙動――虫や鳥の群れにも似た蠢きに波打ちながら、やがて大きな四足獣の姿形になる。
――二匹、だ。
「『……お、おいおい! おいおい! 嘘だろう!?』」
クラウディアが頓狂に声を荒げた。
私も叫ばずにはいられなかった。
「『ベートッ――!』」
「『馬腹――!』」
二匹の獣。
視線は我々を舐め回す。
ベートは直接見聞していないが、馬腹は……忘れもしない、見紛うはずもない。あの時と同じ顔、同じ眼だ。ドス黒い瘴気のような黒靄を纏い、鼻梁も鰓も牙もそのままに、漆黒に浮かぶ鮮血の瞳が揺れる――。
ベートは見聞きする狼がそのまま大きくなったような姿形で、馬腹と背格好が似ている。共にジープなら軽々と弾け飛ばしそうな図体をしている。そのどちらもが――、同じ瞳である。
「『あらあら、随分と大物ね。困ったものだわ』」
ミエコが感情の高ぶりを押し殺すような声で呟く。振り向くと、さも当たり前のように左手でジャケットから九九式手榴弾をするりと取り出している。安全栓の紐を噛み潰しながら男勝りに引き抜くと、26年式拳銃の銃把に信管頭部を器用に叩き付け、有無を言わせず――彼女は立投姿勢のままに2匹に向かって投擲したのだった。




