19-1 戦艦大和撃沈指令――東シナ海
「『最近、なんか静かよねぇ……』」
キャサリンの物憂げな溜息が丸く渦巻く。年頃のそばかす娘の溜息は恋煩いに似て、ひどく退屈を嫌うものだ。
「『いくらなんでもおかしいぜ、こいつはよ』」
同じく退屈を嫌う暴力的乙女の溜息は轟々と津波の勢いである。立川基地の執務室は、怠惰で物憂げな雰囲気がどんよりと渦巻いている。デービッドは勿論、マイクも、あの勤勉なバーナードすらどこか手持ち無沙汰の様子である。
「『あぁ――。平和という具合ではないな。いくら平時でも、ここまで静かな状況はハッキリ言って異常だ』」
新聞をバサバサと畳みながら、バーナードが零した。
「『ここ2週間くらいだよな。各地からの報告もパタリと無くなっちまって……』」
「『段々夏らしくなって来やがったのに、あの糞やかましいトンチキもぜーんぜん、啼きやしねぇや』」
水無月も半ばを過ぎ、新緑は遥か遠く過去の出来事だ。命の息吹は雨を浴び、忍び寄る梅雨の気配に蛙達が奇声にも似た鬨の声を上げる。なのに、まるで相反するように――怪異は静かに息を潜めている。幾ら朝8時とはいえ人の世は既に動き出している。にもかかわらず――、である。
マイクとクラウディアの嘆き。その視線の先には、隣のレーダー室にいるはずのグレムリンを見晴るかす。
怪異グレムリン。
奴の正体は――。
「『休暇にしては長すぎですね。バカンスでもあるまいし、さすがに身体も鈍ります』」
デービッドの欠伸に片眉を上げながら、私も言葉を合わせた。
『嵐の前の静けさ、じゃなきゃ良いんですけど』
「『おいおい、ウラベ。縁起でもねぇこと言うなって』」
「『そうよぅ。日本の諺で「口はワザワイの元」って言うじゃない』」
――災い。
悪魔の諫言。
忍び寄る深淵と世界の崩壊。
「『あぁ、キャサリン。凄く言いにくいことですが……』」
デービッドが静かに頭を掻いた。
「『この場合は、どちらかと言えば「瓢箪から駒」じゃないですかね』」
「『え、あ、そうなの? エヘヘ……』」
キャサリンが恥ずかしげに微笑みながら視線を天上を流している。首を傾け舌を出して戯ける様は、何処までも愛くるしい。
――突飛なことが現実になる。
原義的には確かにそうだ。
確かにそうなのだ。
小説の登場人物が、私を苦しめていたなど……。
「『本場のバカンスにしては短い気もするが、このまま任務がないのも不安になるな』」
「『流石バーナードは真面目だなぁ、働き過ぎも身体に毒だぜ』」
些か物憂げに髭を弄るマイクに、バーナードが何か言いかけた瞬間である。
ガンッ――。
突然、重厚な板を叩きつけるような鈍い音が執務室に響き渡った。あまりの音に胃がぎゅっと縮み上がり、俄に顔が熱くなった。驚き、竦み、眉を顰める皆と同じように、轟音の発生源である執務室入口に視線が流した。
――ロバート隊長だ。
マンジリともせず、懊悩は眉間の皺の深さに見るべきか。筋骨隆々の仁王像は苦悶の表情を浮かべ、ギロリと睨み付けるように私達を射貫く。あまりに弛緩した我々を諫めに来たのか。そう視線をデービッドに向けた時、僅かな沈黙を破り隊長が重々しく口を開いた。
「『――緊急事態だ。全員そのまま聞いてくれ』」
隊長がツカツカと足音を荒げながら、執務室中央のコルクボードに貼られている日本地図の前まで進んだ。英語と日本語が併記されている特別製の地図には、今までの戦歴と記録を貼った跡が生々しく穿たれている。ゆとりないブーツの低音がピタリと止まった。
「『英国の神聖同盟本部からの緊急通信が入った。2日前、南シナ海、カゴシマ沖で大型の漂流船が発見された』」
隊長のごつい指が、九州を離れ南シナ海の何もない点を指す。
「『北緯30度43分、東経128度4分。付近を飛行中の輸送機が最初に目撃した。現在オキナワ付近から梅雨前線が北上しており、辺りは雲が低く垂れ込めていたらしいが、偶然雲の切れ間からそれを発見したらしい』」
六月も中旬を過ぎている。確かに沖縄辺りが梅雨の真っ盛りなのだろう。東京が梅雨入りするのはもう少し後になると中央気象台も言っていた。
「『輸送機が低空に侵入し、艦影を確認。かなりの大型船なのは一目見て分かったらしい。パイロットが接近して写真を撮ることに成功。その後通信を試みるも、艦船からは反応はなく、輸送機は帰投し司令部に報告したという流れだ』」
指先が海をなぞり、米軍の鹿屋航空基地に辿り着く。
――巨大な漂流船。
それだけなら我々の耳に入る情報じゃない。
見ると、皆も同じ予感を感じているのだろう。誰とも言うことなくお互いに視線を交える。それは我々が対処すべき事象。対処すべき怪異だ。
「『その後、カノヤから正式に偵察機を出し、目標を再度発見。パイロットの証言、撮影されたフィルムから大型の戦艦であることが判明した』」
「『戦艦……ですか』」
「『そうだ。全長250メートルはゆうに越える巨大戦艦。キング・ジョージ5世より巨大で、アイオワ級より短いだろうが、横幅を考えると排水量はアイオワを軽々と越えるだろうな』」
その一言にバーナード、マイク、デービッドが仰け反り気味に目を見開いた。
「『そんな……、そんな戦艦がある訳ないでしょう』」
「『そりゃKingはビスマルクに負けてたろうけどよぉ。なんですかいな、その巨大な漂流戦艦は?』」
「『司令部に持ち帰った写真に映る艦影を照合した結果、米国、英国共に該当する艦船は見受けられなかった。……だが、パイロットの証言に基づき海軍にも照会をかけた所、一つの結論に至った』」
隊長の双眸が静かに閉じられる。
「『あれは――2年前に沈んだ日本海軍の戦艦、ヤマトだ』」




