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18-2 LUCIFERO(天使と悪魔)――旧参謀本部跡

挿絵(By みてみん)



 ――幽霊タクシー。

 確か昭和5年頃だったか。私の子どもの話だ。便所に居ると声を掛けられ殺される「赤いマント」然り、幼き時分はそういう怪談話でよく盛り上がったものだ。

 曰く。

 寝静まった街をゆっくり走る一台のタクシー。

 暗闇の中でもライトも付けず、そろりそろりと走っている。不信に思いフロント硝子を覗き込むと運転席には誰も乗っていない。或いは髑髏がケタケタと笑い、何事もなくすーっと闇に消えていくというのだ。

 そしてこのタクシーを目撃した者は数日中に死んでしまう。

 そんなありきたりな都市伝説だった。

『……滝夜叉姫ですか』

 驚きなど微塵もない。

 この手はもう慣れっこだ。

 無尽蔵の髑髏に囲まれたことも、無尽蔵の髑髏が天使を苦しめ囲った現場もこの眼で見てきたのだ。何も驚くことはない。彼女の声であれば尚更――。

『ほぅ、少しは驚いてもらえると思ったのじゃがなぁ。肩透かしよのぅ』

 カタカタと髑髏の顎が鳴る。

 顔の表情は筋肉が作るものだが、骨のくせに笑って見える。

 枯骨の割にはシフトレバーをガクガクと器用に操作している。静けく流れる水のように車体はゆっくりと走り出した。

 高級士官用住宅が次々と車窓を流れ、暗闇の中ポツポツと輝く街灯が一文字に後方へ滑っていく。

『ウラベも図太くなったものだな』

『これだけ色んな怪異に遭遇してたら、そうもなりますよ』

『ほほほほ――、新橋の闇市で怪異に怯えていた頃が懐かしいのぅ。今では黒めがね(サングラス)も板に付く伊達男(はんさむぼうい)とな!』

『お陰様で』

 大仰に肩を竦ませると骸骨が満足そうに口をカタカタ鳴らした。

『それで――、何処へ行くんですか?』

『旧参謀本部だ』

 ――参謀本部?

『市ヶ谷ですか?』

 参謀本部は連合国への降伏とともにその歴史的役目を終え、2年前の年末に廃止された。市ヶ谷にある参謀本部の建物は、今では極東国際軍事裁判(東京裁判)のまっただ中であるし、軍の権威を示すあの庁舎は、裁判所兼米軍将校の宿舎に成り下がっている。

『いや――、言い方が悪かったな。ニホンの参謀本部は敗戦に伴い二年前に廃止されているのだから、正確には旧参謀本部()()だな。ミヤケザカの方だ』

 あぁ――。

『壁や庭は残っていると思いますが、今は廃墟ですよ』

 宮城の南西、堀端沿いにある確かに()()だ。元々は彦根藩井伊家の屋敷跡に明治期に立てられた参謀本部。隣の陸軍の陸地測量部とともに、桜田門から望む姿は雄壮な佇まいだった。しかし、アメリカと戦争になった直後くらいに新宿区の市ヶ谷台へ移転したため、今は蛻のカラだ。遠目には警視庁、国会議事堂とともに構造物はしっかり残っているように見えるが……。

『そうだ。だが、そこに行かねばならないのだ』

()()()()()()()()?』

『……そうじゃ。儂らというより、お主こそ行かねばならぬ』

 怪訝な表情を浮かべると、博士が俄に頭を掻いた。

『何のことか訳が分からんだろう。だが――、事前に言葉を連ねようと意味が伝わらぬものもあるのだ』

 知的無頼漢が言葉による説明を放棄した。

『……分かりましたよ。でも、確認ですが武器は必要ないのですね?』

『ほほ! お主の眼こそが武器ではないか』

 ――態々言うかね、そういうことを。

 車窓を流れる暗黒と人々の輝きを尻目に、腹に据えかねて腕を組んでふんぞり返った。これ以上言葉を重ねることに倦んだのか髑髏は肩を竦め、博士は肩を落として押し黙った。

 ヘッドライトは覚束なく旧帝都を映し出す。

 人々の濁声と連合軍の下卑た歓呼の声。焼け落ち暗闇に塗れた帝都を眺めれば、自然とそんな風景と化した声すら聞こえてきそうだ。

 静かに走る幽霊タクシー。

 誰も何も気にしまい。夜分にタクシーを乗り回すなど、資本家か連合軍くらいのものだ。

 戦争は悲劇を平等に担保しないし格差を助長するが、――日本人は皆、1等国に支配される四等国家に属している分、国際的には平等なのかも知れない。

 星空は死に絶え、ぼつぼつと灯る人工灯の下、パンパン目当てのGIが群がる。酒やヒロポンに塗れて生き残った命を無駄にする輩もうじゃうじゃいる。

 彼らを怪異から守っているとはいえ――、常に問いかけは絶えない。

 守るべき者は彼らか?

 見たい景色はこんなものか?

 私を怪異に導いた声が、脳髄に染み入るように滲んで離れない。

『……もうそろそろ着くぞ、ウラベ』

『どうじゃ、元運転手の骸骨の乗り心地は? あっという間じゃったろう?』

『この髑髏――、そうなんですか?』

『十数年前にこの辺りで()()()()()()()おった馬鹿者がおってな。そやつが怪異に巻き込まれ死んでしもうたのじゃ。……勿体ないじゃろう? 少しばかり街で()()()()()()じゃ』

 ――こいつだったのか。

 頭もたせ(ヘッドレスト)越しの髑髏を凝視していると、車体が不意にガクンと前のめりに止まった。

『ようやく到着だな』

 博士が慣れた手つきで窓を開けると、静寂の中から寂しげな肌寒い風が舞い込んだ。

『ここが――』

 そこは闇を湛える寂寥(せきりょう)の廃墟。

 煉瓦造りの堅牢な建物だからこそここまで残っているのだろうが、星明かりなく街灯なく、ただただ近くの街の灯りだけが、黒く焼け焦げた参謀本部建屋を細やかに照らしていた。

 真白き庁舎も今は昔。

 東京大空襲で焼け落ちた庁舎は明治の荘厳な面影など消え失せ、建物正面に鎮座する有栖川親王の騎馬像が虚しく闇夜を見つめている。

 建屋の後光の如く、煌々と灯りが見える。

 皇居の目と鼻の先、ここから北側にはパレス・ハイツがある。連合軍専用の蒲鉾型住宅(クオンセット・ハット)が立ち並ぶ居住地域だ。午後10時を過ぎても灯りは絶えず夜を照らしている。その灯りだけが敗残の廃墟を廃墟たらしめている。

『行こうウラベ。滝夜叉姫はそのままで行けるか?』

『無論ぞ。お父上の眼前、その気になれば誰ぞに憑依すら出来よう』

 お父上――平将門。

 ちょうど皇居を挟んだ向かい側が今の将門塚だったか。

『ここで……何が』

 髑髏が首をカタカタと震わせ、ガチンと顎を開いた。

()()じゃよ。悪魔とのな――』

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