第74章 挨拶
ロンバード子爵家に訪問するのはこれで二度目だ。
もっとも以前は厨房横のパントリーと、応接間のクローゼットの中に潜んでいたので、ソファーにす座ったのは始めてだった。
淡いグリーン地に黄色の小花柄の春らしいテーブルクロスの掛かったローテーブル。そこには、黄色と紫色の花と共に、菫柄のティーカップが置かれてあった。
ディアナ嬢が家を出る前にセッティングしておいたのだろう。
それは早春の野原のような優しい雰囲気を醸し出すと共に、ディアナ嬢とスレッタをイメージさせた。
ロンバード子爵夫人はディアナ嬢によく似ていた。
辛い思いをしてきたからだろう。まだ四十手前だというのに、クリーム色の髪には大分白いものが交じっていた。
そして目尻には小じわが。
しかし、こう言ってはなんだが愛らしく可愛いらしい女性だった。
子爵はディアナ嬢を溺愛していたが、娘を語る時、時折切なそうにしていた。それは夫人を思い出していたからなのかもしれない。
夫人は挨拶を交わしてから、ずっと優しい目で私を見ていた。そこには一瞬たりと嫌悪や憎しみという感情は含まれていなかった。
なんて凄い人なんだろうと思った。自分を殺そうとした女の息子を見ても、負の感情を一切見せないなんて。
この方に嘘は通じない。正直にありのままの思いを伝えよう。卑屈な態度をとっては彼女に失礼だ、と私は思った。
「この度はお茶の席に招待頂き、誠にありがとうございました。お目にかかれて光栄です。
私とディアナ嬢との出逢いやこれまでの経緯につきましては、もうお聞きになられていると思いますので、今日は割愛させて頂きます。
私はディアナ嬢を心から愛しております。
申し訳ないのですが、今言えるのはこれしかありません。
この先の未来が不確実だからです。
それでも、どんな未来になろうとも、娘さんと一緒に歩んでいきたいのです。
どんな道であろうと迷わず、たとえ荒地を開拓しながらでも共に手を取り進んで行きたいと思っています。
もちろん、今すぐ婚約とか結婚をさせて欲しいなどと、図々しいことをお願いするつもりはありません。
しかし、ご家族に隠れて交際するような真似だけはしたくありません。
せめて交際することだけでもお許し頂けないでしょうか。
決して信頼を失うようなことは致しません」
私が深々と頭を下げると、隣に座っていたディアナ嬢も一緒に頭を下げてくれているのが分かった。
「顔を上げてちょうだい。二人とも。
ええ、もちろん許しますよ。今の言葉は合格点でしたからね。
ディアナを愛しているという思い、これから先どんな未来が来ようと共に歩くという決意、そして、ディアナや私達家族を思い遣る気持ち。
それが全部伝わりましたから。
婚約とか結婚を急がないと言ったのは、単に今後の先行きが見えないからというのではなくて、私達が家族としてやり直せる時間を与えてくれるためなのでしょう?」
ああ。やっぱり夫人は全てお見通しだな。
「主人にどうやって二人の仲を説得させようか、それの計画を立てるつもりだったのだけれど、その必要はなさそうね。
今の貴方の言葉をそのまま伝えれば、きっと許してくれるわ。
娘を嫁がせる父親の気持ちは、正直女親には分からないけれど、あと数年猶予がもらえるのなら気持ちもおさまるのじゃないかしら。
でも、後になって手放したくないと言い出すと困るから、やっぱり婚約だけはしておいた方がいいとは思うけれど。
二人もその方が安心できるでしょうし」
夫人の言葉に私達は思わず顔を見合わせ、そして赤くなり、それを誤魔化すように二人で再び頭を深く下げたのだった。
その後、少しだけ子爵対策を話し合った後、夫人がその流れのままこう言った。
「結婚式シーズンって年に二度あるでしょ。早春の今頃と、秋。
でもこの季節はいくらなんでも無理だし、秋まで待つのは辛いでしょ?
たから緑の月がいいと思うのよ。その頃になれば割と教会の予約も取れやすくなるはずだから。
あと三か月もあるし、急ピッチで作ってもらえばドレスも間に合うと思うのよ。
披露宴は我が家でやればいいし。我が家の庭はこう言ってはなんだけれど、王都一広くて綺麗でしょう。
今は少々荒れているけれど、これから手を入れれば間に合うと思うしね。
それにほら、ディアナのおもてなしセンスは最高だから、元王族の方を招いても失礼にはならないと思うのよ。
スレッタ様はどう思う? 他に意見や希望があるかしら? どんどん言ってね。一生に一度のことだから」
あまりにも淀みなく話していたので誰も口を挟めなかった。そして、最後にどう思うかと訊ねられたスレッタは戸惑った表情をした。
頭の切れるスレッタでさえ、夫人の言っている意味が理解できなかったのだ。
そこで、結婚式は数年後ということではなかったのかですかと、真っ当な質問をした。
すると夫人はうふっと笑った。
「いやだわ。ディアナとルシアン様の結婚式は早くて三年後だと先ほど話したでしょ。今のはスレッタ様とカイル様の結婚式のことに決まっているでしょ。
満開の美しい花々に負けない花嫁なんて、スレッタ様くらいだと思うわよ。
ねぇ、皆様」
ディアナ嬢と私はうんうんと頷いたが、スレッタとカイルはあ然として口もきけずにいた。
「カイル、私のことを情けない奴だと散々馬鹿にしていたくらいだがら、君はちゃんとスレッタに告白して、いずれ結婚しようと約束しているんだよね?
私が結婚するまで自分達も結婚しないと言っていたけど、もう、いいよね?」
私がそう言うと、カイルは少し気まずい顔をした。言ってはいないなってすぐにわかった。まあ、ツーカーな仲だからな。
しかし、やっぱりそれじゃだめだって思う。ロンバード夫妻を見ればわかるじゃないか。
お互い両思いだったのに、ずっと両片想いをしていたのだから。
「良かったら、今から二人で庭を散策したらどうかしら? 花壇のスミレが満開で綺麗なのよ」
夫人が満面の笑みで言った。
三十分ほどで二人は戻ってきた。
スレッタの白い頬がピンク色に染まっていた。カイルも少し綻んでいる。私しか分からないとは思うが。
私もニヤつきそうになったが、そこはぐっと我慢した。彼がへそを曲げたら面倒だと思ったからだ。
カイルは騎士のように背筋をピンと伸ばした後、直角に腰を曲げ
「私達二人のために色々とご配慮をして下さり、感謝致します。できればその提案を受けさせて頂きたいと思います。
どうかよろしくお願いします」
と夫人に向かって言ったのだった。




