第72章 幸せになるために……
「貴方は幸せになれるのですか?」
そうディアナ嬢に訊ねられたその瞬間、私はこう思ってしまった。
爵位や地位、そして仕事を失ってもきっと自分は生きていける。
しかし、ディアナ嬢がいない世界で幸せになれるのか?と。
ロンバード子爵がスゴッテ領から戻ってきた時、彼はこう言った。
「妻を失ったとき、私の幸せはもうないと思いました。しかしそれでも死を選ばなかったのは、妻の残した愛すべき子供達がいたからです。
その子育てははっきり言って失敗しましたが、それでも妻は言ってくれました。
「子供達をこんなに大きくなるまで育ててくれてありがとう。男手一つで大変だったでしょう。
貴方が頑張ってくれていなかったら、私はこうして再び子供達に逢うことはできなかったわ。
つまり、今のこの子供達こそが、貴方の私への愛の証ね。幸せだわ」
と。
私はこれまで、妻を忘れたことは一度もなかったのですよ。そして彼女への愛を無くしたこともね。
妻を守りきれなかった情けない夫だとわかっていも、結婚を後悔したことはなかった。
自分のことを不幸だと思い込んでいましたが、妻への愛情があった私は、ずっと幸せだったのでしょうね。
ルシアン卿、私は貴方にも幸せになって頂きたいのですよ。
だから、もし愛する方がいるのなら、簡単に諦めないで欲しいのです」
ロンバード子爵、貴方は私が貴方の娘を好きだということを知っていてそうおっしゃったのですか?
それとも知らないで?
貴方の愛する人達を不幸しにした女の息子である私が、愛を諦めなくてもいいのですか?
気持ちだけなら持ち続けてもいいというのですか?
もし私だけでなく、もしディアナ嬢も私を思ってくれているのだとしたら……
私が諦めてしまったら、彼女もまた幸せになれなくなるのだろうか。
とすれば、私はさらに大きな罪を犯すことになるのではないだろうか。
そもそも、振られようが、拒否されようが、自分の思いを伝えるために来たというのに、土壇場でまた悩み出すなんて、なんて情けない男なんだ。
そして私は、少し離れたテーブルに向かい合って座り、久し振りの再会に微笑み合い、会話をしている幼なじみ達の方へ目をやった。
「私の花は今が盛りなんですよ! 散る前に思い切り愛でてやりたいんですよ!」
そう叫んだカイルの顔が浮かんだ。酷く辛そうで、哀しみに歪んでいた。
大人になってからのカイルは喜怒哀楽を滅多に見せず、いつもアルカイックスマイルを浮かべていた。
あの作りもののような顔は癪に触っていたが、あんな苦しそうな顔よりはまだマシだ。
彼に二度とあんな顔はさせたくない。今日中に二人を結ばせてみせる。
私はディアナ嬢の方に顔を向き直した。そして、彼女の目をじっくり見つめながらこう口を開いた。
「ディアナ嬢。私は貴女を愛しています。
子供の頃に出逢った頃からずっと好きだったのです。
王都を離れていたときも、貴女が私の心の支えでした。
大人になって再会したときはすぐには貴女に気付かなかった。それでも自然に惹かれていったのです。
でも、貴女がロンバード子爵令嬢だと知って絶望しました。自分には思いを告げる資格などないのだとわかって。
逢わないようにしなければならないと思いました。
しかし、貴女が母上の死因を知りたいと言ったとき、狡い考えが頭に浮かんでしまったのです。
もし私の母親の罪が暴かれ、そのせいで決定的な別れとなろうとも、一緒に死因を究明しよう。
そうすれば、その時間だけは一緒に居られる理由ができるからと。
いくらその罰を受ける覚悟があるとしても、卑怯な真似だとわかっていた。いや、わかっているつもりだった。
しかしその代償は大きかった。貴女を死なせなくてはならなくなったのだから。
ところが今現在、貴女の母上が生きていることが分かって、罰どころかご褒美を頂いたような気分で、正直複雑な心境です。
もちろん、母の罪が軽くなるわけではありませんが、少なくとも貴女の母親殺しの息子ではなくなりました。
だから……せめて気持ちを伝えたいと思ったのです。
愛していますと」
私は嘘偽りのない、ストレートな気持ちを伝えた。ムードもへったくれもない。
しかし、ディアナ嬢は顔を真っ赤に染め、目に涙を浮かべながらも微笑んでくれた。
「私も同じ気持ちです。
幼い頃、苛めっ子に助けてもらった時から、ずっとずっとルシアン様が好きでした。
貴方のことを忘れたことは一度もありませんでした。
私にとっても貴方は心の支えだったのですもの。
母の死の真相を知ればきっと辛い未来が見えてしまう。
それでも私だけでなく、貴方にとっても真実を知ることは、この先生きて行くために必要だと思いました。
なぜなら、どんな真実があきらかになったとしても、貴方への私の思いは変わらないという確信があったからです。
それは間違いではありませんでした。
しかも母は私の貴女への思いを認めてくれました。兄もです。
「貴女が思う方も貴女を愛し、大切に思って下さるのなら反対する理由はどこにもないわ。
私は貴女の幸せを何よりも望んでいるといるのだから」
そう言って微笑んでくれました。
母はこうも言ったのです。
「私も貴女も一度死んだのだから、過去の不幸を引き摺る必要はないのよ」
って」
私は目を見開いた。
たしかにフィリップ君からは、夫人が前向きな考え方をする方で、私に対して蟠りを持っていないことは聞いていた。
しかしそれは、臨死体験という筆舌に尽くしがたい経験をしたからこそ、そう考えることができたのだ、ということを改めて思い知った。
「この場所で私はルシアン様にお願いしましたよね?
私が死んだら雇ってもらえますかって。
あのお願いは少し変えます。
これからは私と、ずっと一緒に歩いて行って下さいませんか?」
「私の未来は不透明です。どんな困難が待ち受けているのか先が見えませんよ? それでも共に歩いてくれるのですか?」
「もちろんです。だって誰の人生だって未来なんてわかりませんもの。
それなら愛する方と一緒に進むのが一番に決まっています。
それに、普通のご令嬢なら平民になったらそりゃあ大変でしょう。
真実の愛、百年の恋だなんて言っても、一年も経たずに夢から醒めてその恋も消える、そんな方々が多いのではないでしょうか。
でも、私はこの七年、平民として暮らしていたのです。
今さら平民となっても全く困りませんよ?」
ディアナ嬢は真っ直ぐに私を見つめて、にっこりと笑った。
愛らしくて可愛い。本当にお日様の下で輝くタンポポのように眩しい。
そしてそれと同時に、芯の通った力強さを感じた。どうか意気地無しの私に貴女のパワーを分けて下さい。
そう思った私は、彼女の両手をギュッと握りしめたのだった。




